池田七三郎とは新選組隊士である。局長付。新選組隊士最後の生き残りとして知られる。
嘉永2年(1849年)11月13日、上総国の商家に生まれる。本名稗田利八。諱は貞利、利定。
武士を志願して江戸で武家に奉公し剣術を学ぶ。慶応3年(1867年)10月、新選組の隊士募集に応募し入隊。
慶応4年(1868年)1月、鳥羽伏見の戦いに参戦。江戸に帰還後3月の甲州勝沼の戦いで負傷。会津に送られる。会津戦争中に斎藤一と共に如来堂で死亡したと思われたが、生き延びて水戸藩の佐幕派残党に加わるも降伏。東京で謹慎処分を受けた後、明治2年(1869年)3月に放免。その後は商人として生きる。
昭和4年(1929年)、作家の子母沢寛の取材を受けて、自身が新選組に入隊した経緯、京都不動堂村の新選組屯所の様子、どう見ても大名のような近藤勇の姿などを語り遺した。坂本龍馬暗殺(近江屋事件)についても話しており、坂本暗殺は新選組内部ではとうとうやられたか程度の話だったが、伊東甲子太郎暗殺(油小路事件)の際は夜更けに隊士がぞろぞろ出て行ったと語り、坂本暗殺に新選組が関与していない傍証の1つとされる。
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最終更新:2024/12/27(金) 07:00
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