沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故 単語


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沖縄県営鉄道輸送弾薬爆発事故とは、大東亜戦争中の1944年12月11日に発生した鉄道史上最悪の爆発事故である。死者221名を出し、生存者は僅か3名のみだった。

概要

絶対国防圏の要であるサイパン南方地帯・本土を結ぶフィリピンの失陥により、アメリカ軍の次なる標的は沖縄台湾に絞られた。陸軍沖縄南部を担当地域としていた第9師団を台湾へ転出する事とし、いたを埋めるべく中部の第24師団を南部へ移動させようとした。移動には沖縄県営鉄道の糸満線が使用され、軍人や物資が続々と南部へ送り込まれていた。

1944年12月11日弾薬と第24師団の兵士150名を乗せた6両編成の列車が嘉手納を出発。中の古波蔵で停して研修から戻って来た衛生兵約60名と女学生数名が乗。その間に先頭部分の機関車が燃料補給のため那覇駅へ向かい、帰りにガソリン入りドラム缶を満載した蓋(天井い)貨物車両医薬品を積載した有蓋車両を牽引してドッキング。計8両編成となった。古波蔵を出発した列車は糸満方面に向かって進行。嘉山で軍作業帰りの女学生2名を乗させ、喜屋武通過した後、列車は上り坂に差し掛かって速度が落ちる。

そして16時30分頃、南風神里付近で突如として爆発。積載していた弾薬や燃料が次々に誘爆して巨大な火柱が築かれ、爆発音は遠く離れた那覇市にまで届いたという。乗していた兵士210名、女学生8名、乗務員3名の計221名が犠牲となり、助かったのは咄嗟に脱出できた女学生2名と乗務員1名のみだった。あまりの衝撃に最後尾の車両連結部分が外れて燃え盛りながら坂を下っていき、嘉山にまで到達している。更に周囲のサトウキビには弾薬が野積みされていてこれらにも誘爆して周囲一帯100mは炎の海に沈んだ。粉々に吹き飛んだ人間と思われる片や装飾品などが木々に引っかかっていたという。

事故から数時間後、火勢が弱まったのを見計らって救護班や衛生兵が救助活動を開始。あちこちに焼け焦げた犠牲者の遺体が散乱する中、地面は医薬品と思われるガーゼや包帯が散らばり、まるで化粧したかのようにく塗り潰されていた。この時はまだ負傷者が多くいて、息のある者は南風原の陸軍病院に搬送されたが、爆内臓をやられたのか治療の甲斐なく1~2週間の間に亡くなった。

第32軍は箝口を敷いて爆発事故を内密に処理した。

原因

原因はレールから生じた火、もしくは機関車の煙突から排出された火の粉ガソリン誘爆した事とされる。そもそも軍のマニュアルには「引火の危険があるガソリン車両に乗せてはならない」と明記して厳禁扱いしていたのだが、何故か現場の人間無視してしまい、このような爆発事故が発生した。第32軍の参謀長長勇中将事故が起きた事に激怒し、彼によって注意喚起書が配布された。十・十空襲以降、第32軍では軍紀の弛緩が確認されており、これが格納をいい加減なものにしてしまったのではないかと摘する意見もある。

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