エアシャカール(1997年2月26日生~2003年3月13日没)とは、元競走馬。皐月賞、菊花賞を制した二冠馬で、日本ダービーをわずか7cmの差で2着に敗れた、史上もっとも三冠馬近づいた二冠馬、いわゆる準三冠馬ある。・・・史上もっとも三冠馬近づいた二冠馬、いわゆる準三冠馬なんだよ・・・。
森秀行厩舎所属、主戦騎手は武豊騎手。
血統構成は 父サンデーサイレンス 母アイドリームドアドリーム 母父Well Decorated
母は自身の成績は大したことがなかったが、近親が大活躍しており、祖母に縁があった人間が購入したことで日本へやってきた。
デビュー前からエアシャカールは能力の高さが評判になったが、気性の荒さも評判になった。どれくらい評判になったかというと森厩舎の調教助手たちが「今日のエアシャカール担当」をくじ引きで決めるレベル。
デビュー戦は出遅れて5着も、2戦目で勝ち上がり。500万下条件で2着のあとホープフルS(OP)を格上挑戦で勝利をおさめると、いよいよクラシック戦線に駒を進める。
皐月賞トライアル、弥生賞(GII)ではフサイチゼノンの2着。しかし、そのフサイチゼノンが「フサイチゼノン事件」なる騒動で勝手に消えていったり、皐月賞がスタートしたと思ったらラガーレグルスがゲートから出られず競走中止になったりと波乱満載であったが、そんな皐月賞ではダイタクリーヴァ差のない2番人気に支持され、外から豪脚で抜け出し、ダイタクリーヴァとの競り合いを制して皐月賞制覇。
次いで日本ダービーでは1番人気。その人気に恥じることなく4コーナーから大外一気のまくりで馬群を抜け出し、二冠達成か、と思わせたところでさらに外から河内騎手騎乗のアグネスフライトが強襲してきた。
「河内の夢か!豊の意地か!どっちだぁー!!」
という名実況と共に2頭並んでゴール。結果は、わずか7cmの差でアグネスフライトに凱歌が上がり、エアシャカールは二冠を逃した。
その後エアシャカールは海外遠征を敢行してキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドS(国際GI)に出走。日程的に現地での前哨戦に出られなかった上、相手がエルコンドルパサーを下したモンジューとあっては分が悪く5着。
海外遠征のため、休む間もなく菊花賞トライアルの神戸新聞杯(GII)に出走したが、内へヨレまくって3着に敗退。しかしライバルとなる馬もダービー馬アグネスフライト以外は回避するなど、菊花賞は一騎打ちムードになった。
そして菊花賞では武豊騎手が「エアシャカールは右にヨレたがる」という癖を見抜き、内ラチ沿いを走って右にヨレないようにした。それが功を奏し、内からスルスルと伸びてきたエアシャカールは、アグネスフライトが伸びないのを尻目に、トーホウシデンとの叩きあいを制して二冠目を手中に収めた。このエアシャカールのヨレる特性を理解しての騎乗は武豊騎手屈指の好騎乗とも言われている。
エアシャカールの次のレースはジャパンカップに決まった。ジャパンカップには強力外国馬も多く参戦するが、何よりも天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)を制し、古馬中長距離路線完全制覇を目論む世紀末覇王テイエムオペラオーとの対決が注目された。
しかし世紀末覇王の壁は厚く、ジャパンカップはテイエムオペラオーが制し、エアシャカールは
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この項目は、編集者の資料が何者かにより焼却されたために途中の内容が大幅に省略されました。 でもまあ、世の中知ってたとしても書かない方がいい事ってあるよね。 |
・・・5歳の有馬記念を最後に現役を引退した。
種牡馬としては血統の良さから期待も高かったが、引退直後の事故によりたった4頭の産駒しか残せず安楽死となってしまった。
さすがは準三冠馬
わずか7cmで・・・
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最終更新:2025/12/23(火) 03:00
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