カネツフルーヴ(Kanetsu Fleuve)とは、1997年生まれの日本の競走馬。黒鹿毛の牡馬。
ハイペースの消耗戦を仕掛ける大逃げで川崎記念母仔制覇を果たすなど交流GⅠを2勝、現在まで残る2つのコースレコードを残し、名牝の血を証明したロジータの息子。
主な勝ち鞍
2002年:帝王賞(GⅠ)
2003年:川崎記念(GⅠ)、ダイオライト記念(GⅡ)、オグリキャップ記念(GⅡ)
父*パラダイスクリーク、母ロジータ、母父*ミルジョージという血統。
父はアメリカでGⅠを4勝し、日本で種牡馬入りしてカネツフルーヴの他にテイエムプリキュアなどを輩出した。カネツフルーヴは2年目の産駒。
母は牝馬ながら1989年の南関東三冠を達成、東京大賞典と川崎記念も制した、川崎競馬場の誇る歴史的超名牝。繁殖牝馬としてもカネツフルーヴとイブキガバメントの重賞馬2頭など活躍馬を送り出し、牝系の血は現在も広がっている。
母父は競走成績こそ4戦2勝だが、日本でロジータのほかイナリワンやオサイチジョージなどを送り出して種牡馬として成功を収め、特に地方向け種牡馬として大活躍した。母父としての産駒にもセイウンスカイなどがいる。
同期の交流GⅠ3勝馬レギュラーメンバーは同じロジータの血を引く(ロジータの初仔シスターソノの仔)同牧場産で、同じ厩舎の所属、主戦騎手も同じであったが、活躍時期は微妙にすれ違っている。
1997年4月26日、母と同じ新冠町の高瀬牧場で誕生。
オーナーは「カネツ」冠名を用いていたカネツ競走馬。カネツ商事という投資会社の競走馬部門で、もともとはいわゆるオーナーズクラブ(馬主資格所有者で競走馬を共同所有するクラブ)であった。それが会員を一般に開放して一口馬主クラブとなり、カネツフルーヴも1口5.25万円×600口(=3150万円)で募集された。ロジータの仔ということで、早々に満口になったそうである。
その後、カネツ競走馬はローレルレーシングに名前が変わり、カネツフルーヴの馬主名義も2001年12月のレースからローレルレーシングに変わっている(勝負服は同じ)。
馬名意味は「冠名+フランス語で『大河』」。デビュー時点で530kg、全盛期は540~550kg台という雄大な馬格の持ち主であった。
※本馬の現役期間は2001年の馬齢表記変更を挟みますが、本記事では現表記(満年齢)に統一します。
栗東・山本正司厩舎に入厩したカネツフルーヴ。ただ入厩当初の山本師からの評価は高くなく、曰く「初めの頃は茄子に胡瓜を差したような体型やった。馬ってホントわからんね。縁があって馬を見る前に預ることを決めたが、もし先に馬を見ていたら返事はNOやったやろ」とのこと。
そんなカネツフルーヴも1999年12月4日、小倉・芝2000mの新馬戦で厩舎所属の松永幹夫を鞍上にデビューした際にはロジータの仔ということもあってか1番人気に支持された。しかしデビュー戦は2着、折り返しの新馬戦も3着と敗れ、明けて3歳初戦、京都・ダート1800mの未勝利戦で早め先頭から7馬身差の圧勝で勝ち上がる。
続く同条件の500万下を2着に敗れたあと、クラシックを目指して芝に戻り、京都・芝2000mの500万下・つばき賞を勝利。トライアルのスプリングS(GⅡ)を後方から捲ってダイタクリーヴァの3着に突っ込み、見事に皐月賞の優先出走権をゲットした。
しかし皐月賞(GⅠ)ではさすがに壁は高く、見せ場なくエアシャカールの10着。日本ダービーを目指して京都新聞杯(GⅡ)に挑むもアグネスフライトの6着に敗れ、ダービーと同日の東京・芝2000mの駒草賞(OP)6着を最後に芝を断念。母と同じダート路線へ進むことになった。
夏場の自己条件・900万下から仕切り直したが2着、3着と勝ちきれず、脚部不安でしばし休養。明けて4歳、900万下と1600万下を連勝してオープン入りするが、オープン入り初戦の仁川S(OP)を4着に敗れたところで深管骨瘤を発症してまた休養と、なかなか順調にいかない。
4歳12月に復帰後も当時は降級制度があったためオープン復帰には1600万下であと2勝が必要で、そこからハイペースで出走を重ねて5歳となった2002年、2月の北山Sと4月の丹沢Sを勝ち、7戦を要してようやくオープンに復帰した。これ以前はなかなか脚質も定まらなかったが、このあたりから基本的に逃げのスタイルを確立する。
晴れてオープン入りしたカネツフルーヴ、ダートでの初重賞挑戦は5月の東海S(GⅡ)となったが、逃げたもののあえなく捕まって5着。
それでも陣営は、果敢に大一番・帝王賞(GⅠ)へ登録。無事に出走を果たすことになった。このときの上位人気勢は昨年の南関東三冠馬・トーシンブリザードに岩手の皇帝・トーホウエンペラー、川崎のベテラン・インテリパワーといった地方勢。中央勢は最上位人気がミラクルオペラといういささか手薄なメンバーで、カネツフルーヴは14.4倍の6番人気という微妙なポジションであった。
しかしカネツフルーヴは外目の枠からスムーズに2番手を確保して逃げるサプライズパワーを追走。そのまま抜群の手応えで直線を向いたカネツフルーヴは、サプライズパワーをあっさりかわして先頭に踊り出ると、上位人気の地方勢が伸びあぐねるのを尻目にぐんぐん後ろを突き放し、追い込んできたミラクルオペラを全く寄せ付けず2馬身半差で快勝。
雄大な馬格に裏打ちされたパワーを持つ反面、切れ味のない彼の走りに、深い地方の砂での先行策がガッチリと嵌まっての勝利。ロジータの血が鮮やかに南関東で花開いた瞬間であった。
秋は盛岡の第2回JBCクラシック(GⅠ)から始動。しかしここから壁にぶつかり、JBCクラシックは道中3番手から早め先頭に立つもののアドマイヤドンにあっさり置いて行かれ7馬身以上ぶっちぎられ、牝馬プリエミネンスにもかわされて3着。
中山ダート1800mでの開催だったジャパンカップダート(GⅠ)では内で先行するも3コーナーからのペースアップについていけず11着撃沈。年末の東京大賞典(GⅠ)も9着に沈み、思うようにならないまま5歳を終える。
明けて6歳初戦は、母ロジータの引退レースとしても知られる川崎記念(GⅠ)。母仔制覇を目指して乗りこんだカネツフルーヴと松永幹夫だったが、昨年秋の冴えない走りから、9頭立ての少頭数で混戦ムードの中でも4.8倍の4番人気に留まる。
前述の通り、パワーはあるもののキレのないカネツフルーヴは、普通の先行策ではどうしてもキレ負けしてしまう。ではどうするか? 答えはシンプルである。どうせ速い上がりが使えないなら、前で競馬をして粘り込むしかない。それも中途半端な先行策では足りない。後ろが届かないぐらいのハイペース逃げで!
かくしてレースが始まる。決してゲートの出はよくなかったが、松永騎手がグイグイ押してカネツフルーヴは一気にハナを切って逃げる。そのまま後ろを離してガンガン飛ばしていくカネツフルーヴ。1100mの通過タイムが66秒1だったので、1000m通過はおそらく59秒台。芝かよ!というような暴走ペースである。この破滅的なペースにはさすがに後続もついていけず、2周目の向こう正面では後続を大きく突き放し、交流重賞では珍しい大逃げに突入。そのまま後ろを引き離して、川崎の短い直線に突入する。
このときにはもうカネツフルーヴは明らかにバテバテだったのだが、そのペースに途中まで付き合ってしまった先行勢も同じくバテバテで全く伸びない。最後方に控えていた前年覇者リージェントブラフが猛然と追い込んできたが、カネツフルーヴが道中たっぷり稼いだリードを埋めるには川崎の直線は短すぎ、1馬身振り切ってカネツフルーヴは先頭でゴール板に飛び込んだ。
上がり最速のリージェントブラフが38秒0に対して、カネツフルーヴの上がりは驚くなかれ42秒1。たとえ完全にバテていようと、追いつかれなければ勝ちなのである。模索の末に辿り着いた自分のスタイルで、川崎記念母仔制覇の勲章を見事に掴み取ったカネツフルーヴであった。
続く中山ダート1800mのフェブラリーS(GⅠ)では松永騎手を同厩同期のレギュラーメンバーに取られて中舘英二が騎乗、14番人気の低評価だったが、ここも逃げを打ち、ゴールドアリュールの4着。ただ松永騎手でなかったせいか、それほどのハイペース逃げではなかった。
松永騎手に戻ってダイオライト記念(GⅡ)に向かうと、ここも1000m61秒5のハイペースでガンガン飛ばしてホームストレッチで後続をはるか置き去りに大逃げに突入。しかし今度は後ろを大きく離したところで息を入れて脚を残し、上がりを37秒2でまとめてリージェントブラフと牝馬ネームヴァリューを寄せ付けず逃げ切りレコード快勝。このときのレコードタイム2:29.6は、2024年現在もコースレコードとして残っている。
さらに笠松のオグリキャップ記念(GⅡ)でも1周目からガンガン飛ばして大逃げを仕掛け、2周目の向こう正面では15馬身ほども突き放す、交流重賞では滅多に見られないような逃げっぷりを披露。そのまま後ろを完全に置き去りにしたまま、2着リージェントブラフを9馬身ぶっちぎる2戦連続レコード大圧勝。こちらのレコードタイム2:39.5も、やはり現在まで20年以上破られていない。
超ハイペース大逃げというスタイルを完全に自分のものとしたカネツフルーヴ。名牝の仔は開花の時を迎え、新世紀のダート界に君臨する……はずだった。
だが、好事魔多しというにはあまりにも運がない。オグリキャップ記念のゴール直後、カネツフルーヴは転倒。膝に外傷を負ってしまう。縫合手術を受けることになり、無念の休養となってしまった。
半年休んで11月のJBCクラシック(GⅠ)で復帰したカネツフルーヴだったが、復帰後の彼は完全に輝きを失っており、その後の戦績に語ることはほとんどない。秋のGⅠは3戦とも惨敗。7歳も現役続行したがオグリキャップ記念(GⅡ)で前年覇者の意地を見せて2着に粘った程度で、5月の東海S(GⅡ)でブービーから8秒7も離された最下位で入線したのを最後に現役引退となった。通算37戦10勝 [10-7-5-15]。
超ハイペース大逃げのスタイルを確立した6歳春の強さは圧巻だっただけに、つくづくオグリキャップ記念での転倒からの休養が悔やまれる。専ら「ロジータの息子」として語られるカネツフルーヴだが、もう少しこの全盛期が長く続いていれば、そして交流重賞にも現代ぐらいの注目が集まっていれば、後のパンサラッサのような個性派としてもっと人気を博していたかもしれない。
引退後は優駿スタリオンステーションで種牡馬入り。しかし初年度から牝馬は9頭しか集まらず、しかも受胎率に難があって産まれた初年度産駒は1頭だけ(しかも未出走)。2年目からは受胎率は改善したものの人気が集まるおとはなく、2011年まで7年間の種牡馬生活で39頭に種付けして産駒は17頭だけだった。
2010年限りでシンジケートは解散し、優駿SSを出されて中標津町の大西牧場へ無償譲渡。2011年限りで種牡馬を引退。2012年9月、病気のため15歳で死亡した。
*パラダイスクリーク 1989 黒鹿毛 |
Irish River 1976 栗毛 |
Riverman | Never Bend |
River Lady | |||
Irish Star | Klairon | ||
Botany Bay | |||
North Of Eden 1983 鹿毛 |
Northfields | Northern Dancer | |
Little Hut | |||
*ツリーオブノレッジ | Sassafras | ||
Sensibility | |||
ロジータ 1986 鹿毛 FNo.4-m |
*ミルジョージ 1975 鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend |
Milan Mill | |||
Miss Charisma | Ragusa | ||
*マタテイナ | |||
メロウマダング 1981 鹿毛 |
*マダング | Habitat | |
Jellatina | |||
スピードキヨフジ | *チャイナロック | ||
イチシンヒカリ |
クロス:Never Bend 4×4(12.50%)、Little Hut 4×5(9.38%)
川崎記念とダイオライト記念の動画がない……。YouTubeには川崎記念もダイオライト記念もあるのでそっちで見てください。
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/12/02(月) 11:00
最終更新:2024/12/02(月) 11:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。