ユウフヨウホウ(Yu Fuyoho)とは、1997年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牡馬。
名障害馬ゴーカイの弟で、最低人気の立場から兄の悲願を打ち砕いた障害競走界最大の一発屋。
父ラグビーボール、母ユウミロク、母父カツラノハイセイコという血統。
父はナイスネイチャと並ぶ*ナイスダンサーの代表産駒で、1986年のNHk杯と高松宮杯を勝ち、同年の東京優駿と菊花賞で1番人気に支持された(結果は4着と3着)馬。種牡馬としても中央重賞馬4頭、母父としても2014年のJDD勝ち馬カゼノコを輩出している。ちなみにオーナーは珍名馬で有名な小田切有一。
母はメジロラモーヌが牝馬三冠を達成した1986年のオークス2着馬で、その後カブトヤマ記念を勝利したなかなかの実力馬。
母父は稀代のアイドルホース・ハイセイコーの代表産駒で、父が勝てなかった東京優駿と天皇賞(春)を勝利した名馬。種牡馬としてはユウミロクが唯一の中央重賞馬である。
全兄に1996年の目黒記念・1996年と1997年のダイヤモンドSを勝利したユウセンショウ、半兄(父*ジャッジアンジェルーチ)に中山グランドジャンプを連覇したゴーカイがいる。
1997年3月19日、静内町のタイヘイ牧場(主な生産馬にサニングデール、シルポートなど)で誕生。オーナーは「ユウ」の冠名を用いた㈱アイテツ。
馬名意味は「冠名+芙蓉峰」。芙蓉峰とは富士山の異称。ユウフ/ヨウホウではなくユウ/フヨウホウである。
※本馬の現役期間は2001年の馬齢表記変更を挟みますが、本記事では現表記(満年齢)に統一します。
栗東・松元茂樹厩舎に入厩したユウフヨウホウだったが、デビューは遅れ3歳の3月になってから。芝1800mでデビューし、その後2200m、2500mと距離を伸ばしていったが5着が最高と掲示板入りが精一杯だった。4歳上の兄ゴーカイがこの年の春の中山グランドジャンプを勝ったこともあり、6月までに6戦したところで平地に見切りを付け、秋から障害競走に転向することになる。
10月、平地最後のレースで騎乗した牧田和弥騎手が引き続き手綱をとって障害競走デビュー。5着、3着、3着ときて、4戦目で未勝利を突破する。
オープンでも牛若丸ジャンプS(OP)で3着、淀ジャンプS(OP)2着と好走し、阪神スプリングジャンプ(J-GⅡ)で重賞初挑戦したが、後方から実況にろくに名前を呼ばれることもなく5着。
その後の平場のオープンも6着、半年休んで秋の秋陽ジャンプS(OP)からは淀JSで手綱を取った今村康成騎手(今村聖奈騎手の父)に乗り替わったが10着。続く平場のオープンでは3着に食い込んだが、勝ったカネトシガバナーからは10馬身以上離されていた。
そんな中、ユウフヨウホウは年末の中山大障害(J-GⅠ)に挑戦する。1番人気は中山GJ連覇を達成し、過去2年2着に終わった中山大障害を3度目で悲願の制覇に臨む兄ゴーカイ。2番人気はカネトシガバナーで、この2頭が人気を分け合っていた。ユウフヨウホウはというと……10頭立ての最低人気、単勝114.7倍。鞍上の今村康成も重賞未勝利、というかそもそもこれまで平地含めて通算8勝の全く実績のない騎手となれば、まあ当然の評価である。
だが、ここでユウフヨウホウはまさに一世一代の走りを見せ、暮れの中山に集まった競馬ファンを唖然とさせる。
最初の障害でいきなりカネトシガバナーではなく3番人気のマキハタコンコルドが落馬する、波乱を予感させる幕開けとなったレース。さらに大竹柵で4番人気ギフテッドクラウンが落馬。カネトシガバナーが後ろを離して引っぱる展開を、ゴーカイは3番手、ユウフヨウホウはその兄を見ながら4番手につけて進む。大生垣で牝馬メジロシュナイダーが落馬し残り7頭。このあたりで後ろ3頭が置いて行かれ、勝ち負けは逃げるカネトシガバナー、2番手のミナミノゴージャス、そしてゴーカイ・ユウフヨウホウ兄弟の4頭に絞られた。
最終障害前のバンケットでカネトシガバナーが後退、ゴーカイとミナミノゴージャスが前に出る。そして最後の障害でカネトシガバナーが落馬。ゴーカイがミナミノゴージャスを振り切って先頭に踊り出た。
そのまま直線。先頭はゴーカイ。三度目の正直だ、悲願の中山大障害制覇だ!
誰もがそう思った瞬間、外からグンと伸びてきた馬がいた。
単勝万馬券の最低人気、ゴーカイの弟、ユウフヨウホウ!
さあゴーカイだ! 先頭はゴーカイ! 先頭はゴーカイ!
悲願の中山大障害制覇に向かってゴーカイ先頭!
最後の直線コースに入った! 内、頑張っているのはミナミノゴージャス!
先頭はゴーカイ! 先頭はゴーカイ!
外から、外からユウフヨウホウ! 外からユウフヨウホウ!!
なんとなんと!! ユウフヨウホウがやってきた!!!
先頭は、ユウフヨウホウ!!!
ユウフヨウホウです、1着でゴールイーン!!
今村康成!! なんと初重賞制覇が中山大障害!! これは驚きましたユウフヨウホウ!
なんとなんと、誰も注目していなかった最低人気の弟が、兄の悲願を打ち砕いての大金星。1989年エリザベス女王杯のサンドピアリス、2000年スプリンターズSのダイタクヤマトに次ぐ史上3頭目の最低人気中央GⅠ制覇。GⅠでの単勝万馬券もその2頭+1991年有馬記念のダイユウサクしかなく史上4頭目である。通算9勝目にして重賞初制覇をJ-GⅠの大舞台で飾った今村騎手は、結局これが唯一の重賞制覇となった。
3度目の2着に敗れたゴーカイはJRAでは初の同一GⅠ3年連続2着。これが最後の中山大障害となり、史上初のGⅠ兄弟ワンツーは兄にとっては悔しい悔しい記録となった。
さて、兄ゴーカイはこの翌年に骨折で現役引退。兄が去りし後の障害界に、その夢を砕いた弟が君臨した……となれば美しい物語だが、現実はそうはならなかった。
ユウフヨウホウは翌年、平場のオープンと京都ハイジャンプ(J-GⅡ)を2戦続けて落馬競走中止。これが彼の競走能力やメンタル面に何らかの影響を及ぼしたのか、はたまたこの中山大障害だけ彼に何かが宿っていたのか……その後のユウフヨウホウの戦績に語ることはなにもない。8歳まで現役を続けたものの、14頭立てで6頭が落馬した2003年の阪神スプリングジャンプ(J-GⅡ)での5着が最高成績で掲示板入りもままならず、2005年の阪神SJを勝ち馬から16秒も離された大差の最下位に敗れたところで現役引退となった。
通算29戦2勝 [2-1-4-22]。競馬界の一発屋と言えば誰もが連想するのはダイユウサクだろうが、あちらは有馬記念の前に重賞も勝っている。ユウフヨウホウの勝利は障害未勝利と中山大障害だけ。本当に文字通りの意味での一発屋だった。J-GⅠ馬で障害戦績2勝というのは2024年現在の現役馬を除くと、彼の他にメルシーモンサンだけである。
引退後は名古屋学院大学馬術部で馬術競技馬となり、その後静岡県の磐田若葉乗馬クラブへ移動。2018年まで個人ブログなどで生存が確認できる。netkeiba.comの本馬の掲示板によると2019年に亡くなったという情報があるが、報道やクラブからの発表はなく没日は不明。
ラグビーボール 1983 鹿毛 |
*ナイスダンサー 1969 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Nice Princess | Le Beau Prince | ||
Happy Night | |||
*ペルシアンテール 1973 鹿毛 |
Le Haar | Vieux Manoir | |
Mince Pie | |||
*ペルシアンプリンセス | Prince Taj | ||
Esmerald | |||
ユウミロク 1983 黒鹿毛 FNo.19-a |
カツラノハイセイコ 1976 黒鹿毛 |
ハイセイコー | *チャイナロック |
ハイユウ | |||
コウイチスタア | *ジャヴリン | ||
ミタケ | |||
リュウアコンバット 1977 黒鹿毛 |
*インディアナ | Sayajirao | |
Willow Ann | |||
リュウメイン | Aggressor | ||
*マイトアンドメイン |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2024/05/01(水) 22:00
最終更新:2024/05/01(水) 22:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。