ユウフヨウホウ 単語

3件

ユウフヨウホウ

3.3千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

ユウフヨウホウYu Fuyoho)とは、1997年生まれの日本競走馬鹿毛

障害ゴーカイで、最低人気の立場からの悲願を打ち砕いた障害競走界最大の一発屋

な勝ち
2001年中山大障害(J-GⅠ

概要

ラグビーボールユウミロク、カツラノハイセイコという血統。
ナイスネイチャと並ぶ*ナイスダンサーの代表産駒で、1986年NHk杯高松宮杯を勝ち、同年の東京優駿菊花賞で1番人気に支持された(結果は4着と3着)種牡馬としても中央重賞4頭、としても2014年JDD勝ちゼノコを輩出している。ちなみにオーナー珍名馬で有名な小田切有一
メジロラモーヌ牝馬三冠を達成した1986年オークス2着で、その後カブトヤマ記念を勝利したなかなかの実
は稀代のアイドルホースハイセイコーの代表産駒で、が勝てなかった東京優駿天皇賞(春)勝利した名種牡馬としてはユウミロクが一の中央重賞である。

1996年目黒記念1996年1997年ダイヤモンドS勝利したユウセンショウ、半*ジャッジアンジェルーチ)に中山グランドジャンプを連覇したゴーカイがいる。

1997年3月19日、静内町のタイヘイ牧場な生産サニングデールシルポートなど)で誕生。オーナーは「ユウ」の冠名を用いたアイテツ。

名意味は「冠名」。峰とは富士山の異称。ユウフ/ヨウホウではなくユウ/フヨウホウである。

※本の現役期間は2001年齢表記変更を挟みますが、本記事では現表記(満年齢)に統一します。

芙蓉峰を豪快に

東・松元厩舎に入厩したユウフヨウホウだったが、デビューは遅れ3歳の3月になってから。芝1800mでデビューし、その後2200m、2500mと距離を伸ばしていったが5着が最高と掲示板入りが精一杯だった。4歳上のゴーカイがこの年の中山グランドジャンプを勝ったこともあり、6月までに6戦したところで地に見切りを付け、から障害競走に転向することになる。

10月地最後のレースで騎乗した牧田和弥騎手が引き続き手綱をとって障害競走デビュー。5着、3着、3着ときて、4戦で未勝利を突破する。
オープンでも牛若丸ジャンプS(OP)で3着、ジャンプS(OP)2着と好走し、阪神スプリングジャンプ(J-GⅡ重賞初挑戦したが、後方から実況にろくに名前を呼ばれることもなく5着。
その後の場のオープンも6着、半年休んでジャンプS(OP)からはJSで手綱を取った今村康成騎手今村聖奈騎手)に乗り替わったが10着。続く場のオープンでは3着に食い込んだが、勝ったカネトシガバナーからは10身以上離されていた。

そんな中、ユウフヨウホウは年末の中山大障害(J-GⅠに挑戦する。1番人気中山GJ連覇を達成し、過去2年2着に終わった中山大障害を3度で悲願の制覇に臨むゴーカイ。2番人気はカネトシガバナーで、この2頭が人気を分け合っていた。ユウフヨウホウはというと……10頭立ての最低人気、単勝114.7倍上の今村康成も重賞勝利、というかそもそもこれまで地含めて通算8勝の全く実績のない騎手となれば、まあ当然の評価である。

だが、ここでユウフヨウホウはまさに一世一代の走りを見せ、暮れの中山に集まった競馬ファン然とさせる。

最初の障害でいきなりカネトシガバナーではなく3番人気マキタコンコルドが落する、波乱を予感させる幕開けとなったレース。さらに大竹柵で4番人気ギフテッドクラウンが落。カネトシガバナーが後ろを離して引っぱる展開を、ゴーカイは3番手、ユウフヨウホウはそのを見ながら4番手につけて進む。大生垣でメジロシュナイダーが落し残り7頭。このあたりで後ろ3頭が置いて行かれ、勝ち負けは逃げるカネトシガバナー、2番手のミナミゴージャス、そしてゴーカイ・ユウフヨウホウ兄弟の4頭に絞られた。
最終障害前のバンケットでカネトシガバナーが後退、ゴーカイとミナミゴージャスが前に出る。そして最後の障害でカネトシガバナーが落ゴーカイがミナミゴージャスを振り切って先頭に踊り出た。
そのまま直線。先頭はゴーカイ三度目の正直だ、悲願の中山大障害制覇だ!

もがそう思った間、外からグンと伸びてきたがいた。
単勝万馬券最低人気ゴーカイ、ユウフヨウホウ!

さあゴーカイだ! 先頭はゴーカイ! 先頭はゴーカイ
悲願の中山大障害制覇に向かってゴーカイ先頭!
最後の直線コースに入った! 内、頑っているのはミナミゴージャス
先頭はゴーカイ! 先頭はゴーカイ
外から、外からユウフヨウホウ! 外からユウフヨウホウ!!
なんとなんと!! ユウフヨウホウがやってきた!!!
先頭は、ユウフヨウホウ!!!
ユウフヨウホウです、1着でゴールイーン!!
今村康成!! なんと初重賞制覇が中山大障害!! これは驚きましたユウフヨウホウ!

――テレビ東京 四家秀治アナ

なんとなんと、も注していなかった最低人気が、の悲願を打ち砕いての大金星1989年エリザベス女王杯サンドピアリス2000年スプリンターズSダイタクヤマトに次ぐ史上3頭最低人気中央GⅠ制覇。GⅠでの単勝万馬券もその2頭+1991年有馬記念ダイユウサクしかなく史上4頭である。通算9勝にして重賞初制覇をJ-GⅠの大舞台で飾った今村騎手は、結局これが一の重賞制覇となった。
3度の2着に敗れたゴーカイJRAでは初の同一GⅠ3年連続2着。これが最後の中山大障害となり、史上初のGⅠ兄弟ワンツーはにとっては悔しい悔しい記録となった。

さて、ゴーカイはこの翌年に骨折で現役引退が去りし後の障害界に、そのを砕いたが君臨した……となれば美しい物語だが、現実はそうはならなかった。
ユウフヨウホウは翌年、場のオープン京都ハイジャンプ(J-GⅡを2戦続けて落競走中止。これが彼の競走メンタル面に何らかのを及ぼしたのか、はたまたこの中山大障害だけ彼に何かが宿っていたのか……その後のユウフヨウホウの戦績にることはなにもない。8歳まで現役を続けたものの、14頭立てで6頭が落した2003年阪神スプリングジャンプ(J-GⅡでの5着が最高成績で掲示板入りもままならず、2005年阪神SJを勝ちから16も離された大差の最下位に敗れたところで現役引退となった。

通算29戦2勝 [2-1-4-22]。競馬界の一発屋と言えばもが連想するのはダイユウサクだろうが、あちらは有馬記念の前に重賞も勝っている。ユウフヨウホウの勝利障害勝利中山大障害だけ。本当に文字通りの意味での一発屋だった。J-GⅠ障害戦績2勝というのは2024年現在の現役を除くと、彼の他にメルシーモンサンだけである。

引退後は名古屋学院大学術部で術競技となり、その後静岡県の磐田若葉クラブへ移動。2018年まで個人ブログなどで生存が確認できる。netkeiba.comの本掲示板によると2019年に亡くなったという情報があるが、報道クラブからの発表はなく日は不明。

血統表

ラグビーボール
1983 鹿毛
*ナイスダンサー
1969 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night
*ペルシアンテール
1973 鹿毛
Le Haar Vieux Manoir
Mince Pie
*ペルシアンプリンセス Prince Taj
Esmerald
ユウミロ
1983 黒鹿毛
FNo.19-a
カツラノハイセイコ
1976 黒鹿毛
ハイセイコー *チャイナロック
ハイユウ
コウイチスタア *ジャヴリン
ミタケ
リュウアコバット
1977 黒鹿毛
*インディアナ Sayajirao
Willow Ann
リュウメイン Aggressor
*マイトアンドメイン

クロスNearco 5×5(6.25%)

関連動画

関連リンク

関連項目

この記事を編集する
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/05/01(水) 22:00

ほめられた記事

最終更新:2024/05/01(水) 22:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP