キャプテンスティーヴ(Captain Steve)は、1997年アメリカ生産の競走馬である。後に日本に種牡馬として輸入されている。
父Fly So Free、母Sparkling Delite、母父Vice Regentという血統。
父フライソーフリーは2歳時にGI2勝を挙げてエクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞し、3歳時はフロリダダービーを勝つなど通算33戦12勝。その父タイムフォーアチェンジは*アジュディケーティングの半兄でGI1勝を含む9戦5勝・重賞2勝。
母スパークリングディライトは6戦2勝で、繁殖牝馬としても本馬以外にはこれといった馬を産んでいない。近親を見るとスパークリングディライトの母スパークリングトパーズのいとこに1976年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬プラウドデルタがいる。同じ牝系には一応フサイチエアデールも属しているが割と遠いところ(キャプテンスティーヴから見て曾祖母の半姉の玄孫)である。
母父ヴァイスリージェントはカナダでリーディングサイアーを10回以上受賞した名種牡馬。
本馬は1歳セリにおいて7万ドルで落札され、ボブ・バファート調教師に預けられた。馬主のマイケル・ペグラムは、1年前のケンタッキーダービーを見た帰りに知人にプレゼントされた拳銃が空港で不法所持と間違えられて逮捕されたことがあり、その時ペグラムと親交のあったバファート師を通して事情を聞いた上で釈放する計らいをした地元警察の警部、スティーヴ・トンプソンの名前を取って本馬につけた(警部は英語でcaptainである)。
そんな名前を持つ本馬、デビュー戦こそ1番人気を裏切る6着に敗れたが続く2戦目を7馬身差で圧勝しあっさり初勝利を挙げた。続くベストパルS(GIII)では最後方から追い込んだが上位との差を詰め切れず、半馬身差でエクスチェンジレートを下して勝ったディキシーユニオンの6馬身差3着に敗れた。続くデルマーフューチュリティ(GII)でも追い込みが決まらず3着に終わった。
ここまでは西海岸で走っていたが、ここでケンタッキー州に遠征しブリーダーズフューチュリティ(GII)に出走。今回は逃げの手に出るとそのまま3馬身差で快勝した。弾みを付けて東海岸のガルフストリームパーク競馬場で開催されるブリーダーズカップ・ジュヴェナイルに出走したが、3角で手応えを失うとそのまま後退し、勝ったアニーズから約28馬身も離れた10着に大敗した。
再びケンタッキー州に戻り、ケンタッキージョッキークラブS(GII)を好位から抜け出し5馬身3/4差で圧勝すると、西海岸に戻って出走した12月のハリウッドフューチュリティ(GI・8.5ハロン)では前走で6着に破ったハイイールドを再び4馬身後方の2着に葬って初GI制覇を挙げた。2歳時は8戦4勝だった。
3歳時は1月のサンタカタリナS(GII)から始動したが、スタートからゴールまで先頭争いを演じ続けて最後に競り勝ったザデピュティ(キングカメハメハの半兄)の6馬身半差3着に終わった。続くルイジアナダービー(GII)でも中団から伸びきれず3着だった。
続くケンタッキーダービーでは中団追走から4角で位置取りを上げていき、先頭集団に並んで直線に向いたが、直線に入ったところで外から急激に斜行してきたウィーラウェイにまともに内に押し込まれるという致命的な不利を受け、そのままフサイチペガサスの13馬身3/4差8着に大敗した。プリークネスSにも出走したが、先に抜け出したレッドバレットに追いつくことが出来ず、2番手争いでも遅れて4着に終わった。
その後ベルモントSに出走せず短期間の休養を挟み、7月のアイオワダービー(L)を快勝すると、スワップスS(GI・9ハロン)も2番手から直線抜け出しティズナウに2馬身半差を付けて勝利した。この勢いでハスケル招待ハンデキャップ(GI・9ハロン)に駒を進めたが、直線抜け出したところをディキシーユニオンに差し切られて3/4馬身差2着に惜敗した。
次走のケンタッキーカップクラシックハンデキャップ(GII)では2番手から抜け出し、後方から差してきたゴールデンミサイルに3/4馬身差で競り勝った。しかし、グッドウッドブリーダーズカップハンデキャップ(GII)では前回の対戦の後にスーパーダービーを6馬身差で圧勝したティズナウに競り負けて半馬身差の2着だった。
その後出走したブリーダーズカップ・クラシックでは13頭中9番人気だったが、後方から4角で位置取りを上げて直線でもよく脚を伸ばし、ティズナウとジャイアンツコーズウェイには離されたが3着に入った。3歳時はこれを最後に11戦3勝でシーズンオフに入った。
4歳時は2月のドンハンデキャップ(GI・9ハロン)から始動した。4角で2番手から抜け出した本馬を前年のブリーダーズカップ・クラシックで4着だった同世代のアルバートザグレートが追い上げてくる形になったが、1馬身1/4差をつけて粘り勝った。その後ドバイワールドカップに招待され、遠征することとなった。
ドバイワールドカップでは、前哨戦のアル・マクトゥームチャレンジラウンド2を勝ったベストオブザベスツ、前年のケンタッキーダービーとベルモントSで2着だったアプティテュード、日本から遠征したトゥザヴィクトリー・レギュラーメンバーなど11頭が対戦相手となった。逃げるトゥザヴィクトリーを好位から追う形になり、直線でもトゥザヴィクトリーがよく粘ったが、残り200m地点でトゥザヴィクトリーを交わすと3馬身差を付けて勝利した。
なお、トゥザヴィクトリーの2着は日本馬のみならずドバイワールドカップにおける牝馬全体の最高成績となっている(次点は2018年5着のフォーエヴァーアンブライドルド)。
帰国後、6月のスティーブン・フォスターハンデキャップ(GII)で復帰した。ここではトップハンデとなり、2番手追走から一旦は抜け出したものの10ポンド軽いガイデッドツアーに差し切られて半馬身差の2着だった。
続くハリウッドゴールドカップ(GI・10ハロン)では、ドバイワールドカップで6着に破ったアプティテュードとの再戦となり、他に前年のパシフィッククラシックSでティズナウを破って勝った実績があるスキミングなどが出走したが、直線で外から斜行したフューチャラルがスキミングに接触。体勢を崩したスキミングが更に本馬にぶつかるというアクシデントがあり、その間に2番手に上がったアプティテュード(ゴール後にフューチャラルの3着降着により繰り上がり)の4着に終わった。続くサンディエゴH(GII)でも逃げたスキミングと先に仕掛けたフューチャラルに置き去りにされ、逃げ切ったスキミングの6馬身差3着に終わった。
続けてパシフィッククラシックS(GI・10ハロン)に出走したものの、逃げて5馬身半差で圧勝したスキミングとの差を全く詰めることが出来ずに2着と半馬身差の4着に敗れ、これを最後に引退した。通算成績は25戦9勝・GI4勝だった。
引退後は、アメリカの生産者からあまり関心を持たれなかったこともあり、JRAに500万ドルで購入され日本軽種馬協会の種牡馬として輸入された。2年目までは約80頭の繁殖牝馬を集めていたが、3年目以降は約15~50頭を行き来し続け、導入当初と比べてあまり人気は芳しくなかった。
種牡馬成績だが、直仔よりは母父としての活躍が目立っており、直仔に中央重賞馬がいない(OP特別も全2勝)のに比べ、母父としては中山大障害を勝ったニホンピロバロンやダートグレード競走の常連牝馬メモリーコウを出している。
ちなみにドバイで相見えたトゥザヴィクトリーとは一度も交配されていないが、その全妹のビスクドールとは一度だけ交配され、産まれたアイスドールはエニフS(OP)を勝利している。
2013年4月、運動中に急性心不全で倒れ死亡した。16歳だった。
| Fly So Free 1988 栗毛 |
Time for a Change 1981 栗毛 |
Damascus | Sword Dancer |
| Kerala | |||
| Resolver | Reviewer | ||
| Lovely Morning | |||
| Free to Fly 1974 鹿毛 |
Stevward | Nashua | |
| Sherry Jen | |||
| Dancing Lark | Native Dancer | ||
| Say Blue | |||
| Sparkling Delite 1985 栗毛 FNo.20-a |
Vice Regent 1967 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| Victoria Regina | Menetrier | ||
| Victoriana | |||
| Sparkling Topaz 1974 鹿毛 |
Jacinto | Bold Ruler | |
| Cascade | |||
| Alotoffun | Crozier | ||
| Nimble Doll | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Native Dancer 4×5(9.38%)、Bold Ruler 5×4(9.38%)、My Babu 5×5(6.25%)、Nasrullah 5×5(6.25%)
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最終更新:2025/12/05(金) 22:00
最終更新:2025/12/05(金) 21:00
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