マリエンバード(Marienbard)とは、1997年アイルランド生産の競走馬・種牡馬である。
父Caerleon、母Marienbad、母父Darshaanという血統。
父カーリアンはジョッケクルブ賞とベンソン&ヘッジスゴールドカップ(現:インターナショナルS)を勝ち、種牡馬としては英愛リーディングサイアーを2回受賞した。
母*マリエンバドは5戦2勝、一時的に日本に輸入されたこともあるが本馬以外に活躍した産駒はいない。従兄にはロワイヤルオーク賞(3100m)を勝ちジャパンカップに来日したこともあるトップサンライズがいる。
母父ダルシャーンはジョッケクルブ賞の勝ち馬で種牡馬としても成功した。
血統を見るといかにも欧州という重厚な血統に見えるが、カーリアン産駒といえば日本ではむしろシンコウラブリイやフサイチコンコルドのようなスピード型の馬の方が馴染みが強いであろうし、大叔母にはモルニ賞(GI・1200m)でミエスク相手に勝利したサクラレイコもいるため、なんか言うほど重そうでもない気もする。ただ距離的には長い方が良いと見られており、出走したレースの距離は2戦目の条件戦における11f135y(≒2336m)が最短であった。
本馬はサイーフ・アリというアイルランドのオーナーブリーダーによって生産所有され、イギリスのマイケル・ジャーヴィス調教師に預けられた。5月26日生まれという遅めの生まれだったこともあり、デビューは3歳6月となった。
初戦は12ハロンのレースで、出遅れた上に直線でヨレるというスムーズさを欠いた競馬になりながら勝利した。続く条件戦とリステッド競走を連勝し、グレートヴォルティジュールS(GII・12ハロン)に出走。デビュー戦同様に出遅れた上に勝負どころでヨレながら2着に追い込み、セントレジャーでは11頭中4番人気とそこそこ穴人気したものの6着に敗戦した。翌月にはランフランコ・デットーリ騎手を鞍上に据えてパーペチュアルS(GIII)に出走したが2着に惜敗し、シーズンを終えた。
3歳シーズンを終えた後、本馬はゴドルフィンにトレードされ、サイード・ビン・スルール厩舎(UAE)に転厩した。
引き続き長距離戦を中心に使うことになり、4歳初戦はヨークシャーカップ(GII・14ハロン)に出走した。これを勝利し重賞初制覇を挙げたが、アスコットゴールドカップ(GI・20ハロン)では混戦の中で2番人気に推されたものの残り1ハロン地点から伸びを欠いて5着に敗れた。
しばらく休養してドーヴィル大賞(GII・2500m)に出走したがここでは前年ジョッケクルブ賞馬ホールディングコートに逃げ切られて2着に敗れ、続く愛セントレジャー(GI・14ハロン)ではこの年を皮切りに同レースを4連覇することになるヴィニーローの3着に終わった。シーズン最終戦としてオーストラリアに遠征しメルボルンカップ(GI・3200m)に出走したが、大出遅れを喫して最後方からになりながらスタート後の600mで22頭中7番手まで押し上げるという無茶苦茶な競馬になり、本馬のペースメーカーだったギヴザスリップが逃げてニュージーランド調教馬エセリアルの2着に入ったのとは裏腹に、本馬は7着に敗退した。
5歳時は12ハロン・2400m路線に絞って使うことになった。この年からGIになったドバイシーマクラシック(2400m)に出走。1年以上ぶりの12F戦ではあったが追い込んで接戦の4着に入り、格好を付けた。なお、このレースで同じゴドルフィンのトゥブーグにデットーリ騎手が騎乗したため、この年の上半期はジェイミー・スペンサー騎手が手綱を執った。
イギリスに戻って出走したジョッキークラブS(GII・12ハロン)ではクビ差で勝利したが、続くコロネーションカップ(GI・12ハロン)では道悪を苦にしたのか6頭中4着に終わった。
ドイツに遠征して出走したドイツ賞(GI・2400m)からはデットーリ騎手が再び鞍上を務めることになった。1番人気に支持されたレースでは道中後方を進むと直線で後方から豪快に追い込んで勝利し、ようやく初GI制覇を挙げた。続くバーデン大賞(GI・2400m)では一転先行策を取り、前年の2着ということもあって1番人気に推されていたボリアルを残り200m地点で早々に競り落とすとそのまま先頭を譲らず、GI連勝を挙げた。
続くレースは凱旋門賞となった。斤量差もあって英愛ダービーを含む6連勝中のハイシャパラルとジョッケクルブ賞を含む4連勝中のスラマニが上位人気となったが、本馬はこの期に及んでもまだ信用されきっておらず8番人気と人気薄で、前年の2着馬であるアクワレリストや古馬混合GIを連勝中の3歳牝馬イズリントンはともかく、単純にGI勝ち鞍で見れば本馬以上にステイヤーっぽく見える日本馬マンハッタンカフェよりも不人気という有様であった。しかしレースでは中団好位から進めて直線で前が開くと鋭く伸び、後方から追い込んだスラマニを退け勝利した。勝ち時計2:26.7は当時歴代4位の好タイムであった。
なお、5歳以上の馬が勝ったのは*トニービン以来14年ぶりであり、本馬の後には2019年のヴァルトガイストを待たねばならない。
さて、凱旋門賞を勝利し中距離のトップホースの座を確立した本馬は、その後ブリーダーズカップとジャパンカップを目指すことになった。しかし日本から種牡馬入りのオファーがあり、結局凱旋門賞を最後に引退することになった。通算17戦8勝(GI3勝)。
17戦のうち複数回走った競馬場はグレートヴォルティジュールSとヨークシャーカップに出走したヨーク競馬場のみであり、他のレースは全て違う競馬場で出走した。
引退後は日本のイーストスタッドで種牡馬入りし、100頭近くの牝馬を集めたが、2006年に初年度産駒がデビューするとこれが思ったより走らず交配数が減少。結局16頭と交配した2008年を最後にアイルランドに輸出された。残された産駒から重賞馬は出ず、サイアーランキングも66位が最高と不振に終わった。
アイルランドでも活躍馬は出ず、2013年を最後に産駒はいない。本馬が繋養されていたキルバリーロッジスタッドを取り上げた記事(外部リンク)において「fatal accident」(死亡事故)と書かれているため、2012~13年頃に事故死した可能性が高いと考えられる。
Caerleon 1980 鹿毛 |
Nijinsky 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
Foreseer 1969 黒鹿毛 |
Round Table | Princequillo | |
Knights Daughter | |||
Regal Gleam | Hail to Reason | ||
Miz Carol | |||
*マリエンバド Marienbad 1991 鹿毛 FNo.12-g |
Darshaan 1981 黒鹿毛 |
Shirley Heights | Mill Reef |
Hardiemma | |||
Delsy | Abdos | ||
Kelty | |||
Marie de Fontenoy 1983 栗毛 |
Lightning | Kashmir | |
Fidra | |||
Primula | Petingo | ||
Valrose |
掲示板
1 ななしのよっしん
2022/02/11(金) 01:01:08 ID: VajH2CbUc8
マリエンバードが勝った凱旋門ではもともとハイシャパラルとスラマニの前評判が高かったんだけど、レース後には何故か2頭に勝ったマリエンバードの低評価が見直されるのではなく負けた2頭が「ハイシャパラルとスラマニって実はそれほど強くなかったんだな」と評価を下方修正される不思議な雰囲気になってしまっていて正直そりゃねえよ!と不満だった
その後のハイシャパラルとスラマニの走りを見てもらえれば分かるとおり普通にマリエンバードが強かっただけなんだけどねえ
2 ななしのよっしん
2022/02/11(金) 01:14:09 ID: q2e5s/flyk
この馬とスラマニが成功してればニジンスキー系はまだ盛り返せただろうに、
繁殖成績ではSW系のハイシャパラルに大きく水をあけられてしまったのがなぁ
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 23:00
最終更新:2024/04/25(木) 23:00
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