3つの国と11の競馬場を駆け巡り
獲得してきたタイトルのバリエーションは、
どんな名馬の追随も許さない。
芝とダートの垣根を、そして国境さえも乗り越えて、
チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者。
君が刻んだ空前の軌跡、そのひとつひとつが永遠に輝く。
アグネスデジタル(Agnes Digital)とは、1997年生まれの日本の競走馬・種牡馬。超弩級の変態白井最強を実証した異能の天才である。
まずはこの勝ち鞍を見てほしい。
主な勝ち鞍
1999年:全日本3歳優駿(GII)
2000年:マイルチャンピオンシップ(GI)、名古屋優駿(GIII)、ユニコーンステークス(GIII)
2001年:天皇賞(秋)(GI)、マイルチャンピオンシップ南部杯(GI)、香港カップ(G1)、日本テレビ盃(GIII)
2002年:フェブラリーステークス(GI)
2003年:安田記念(GI)
おわかりいただけただろうか。この馬は芝・ダート両方のGIを勝利しており、さらに地方・中央・海外のGIに勝利経験がある。この時点でただ物ではない。
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については 「アグネスデジタル(ウマ娘)」を参照して下さい。 |
デビュー前のエピソードからふるっており、牧場で彼を見初めた管理調教師白井最強寿昭師が生産者に開口一番「この馬、売るのか?」と挑発し、日本人に売る気のなかった生産者の心をねじ伏せ、その後クールモアのエージェントが好条件の商談を持ち込んだが生産者は「そのcoltはMr. Shiraiに売約済だ」と言い放ち、当初売るつもりもなかった日本人の白井師に売ったという逸話がある。
しかしながら、白井師に「なんでこんな見栄えしない馬買うんです?」と疑問を投げかける現地関係者もいたという。 確かに、現役時代も馬体は小さめであんまり見栄えはしないタイプであった。
しかし白井師は「60頭は見たが一番気に入った、走るぞ」と彼の可能性を信じてやまなかった。
デビューから3歳秋まではダートを中心に走り、当時統一GIIの全日本3歳優駿(当時)など重賞を3つ勝ったが、GIではボロ負けしたり、春に少し挑戦した芝でもイマイチ……と、ムラのあるダート馬という扱いであった。
しかし、陣営は何を思ったか突然マイルチャンピオンシップに登録する。ちなみにこの時点では芝レース未勝利。そんな謎ローテを疑問視する心理はオッズにも反映され、結局は13番人気という低評価でレースを迎えた。だがしかし。
レース中盤まで割と絶望的な位置にいたはずが、直線を向くと一頭だけ動く歩道の上を走ってきたかのようにテレポートしたんじゃないかってくらいの常識ハズレな末脚を繰り出して全馬ぶっこ抜き、レコードタイムで 大 勝 利 で あ る。
しかも京都を知り尽くしたベテラン、翌年2月に引退を控えていた的場均騎手にとって最後のGI勝利であり、それを思い出のつまった淀でプレゼントしてみせたのだった。 白井最強。もっとも白井師も勝つとまで思っていなかったらしくレース直後は仰天したらしいですが。
古馬になってからの活躍も期待されていたが、年明け初戦の京都金杯で球節を痛めてしまい、春は完敗続き。煮え切らない走りを続けるデジタルは哀れ、一発屋の烙印を押されて忘れられた。
……それが間違いだったと気づかされるのは、この年の秋のことである。
2000年より、内国産馬のみで争われていたGIが外国産馬にも少ない枠付きながら開放されていた。2001年にはクラシックも開放され、その申し子であるクロフネが天皇賞(秋)出走を表明していた。
地味に外国産馬である前年の2着馬メイショウドトウが出走賞金的に一枠を埋めるのは確実であり、もう一枠しかない外国産馬出走枠はクロフネで決まるか……と思われたが、秋になって復調し日本テレビ盃とマイルチャンピオンシップ南部杯を連勝、出走賞金でクロフネを上回ったアグネスデジタルが直前になって出走を表明。哀れクロフネは除外となった。
何にしても復調して賞金を積んでいたエイシンプレストンが矛先を向けていたらアウトだったが。
クロフネの権利を持っていた社台グループは「え? 白井さんマジですか?(回避してくださいよ~)」と言ったそうだが、白井師は「どうしても使いたいので、ご理解ください(だが断る)」と返したそうな。日本最大の生産グループにも正論でぶつかる白井最強。
しかし競馬ファンは激怒した。「クロフネの可能性を駄馬が摘んだ」「ダートのマイラーに用はねぇよ」など罵詈雑言が乱舞し、
分析するにしても「2000m以上で実績がないから」「広い府中ではなおのこと持たない」「そもそも春に府中でいいとこなしだった」などなど常識的にはまず勝ち目なし。
……つまり、勝つ可能性が低いのに無為に出走枠を埋めに来たKYな奴になってしまったのである。
しかしデジタルと白井師はそんなことは意に介さない。馬場の状況を見切った白井師の秘策「観客席に向かって走れ(訳:大外に出せ)」がピタリとハマり、世紀末覇王テイエムオペラオーに落日を告げる豪脚で撫で斬り快勝。競馬ファンや関係者を呆気にとらせた。やはり白井最強だった。
ちなみに、天皇賞(秋)前日の武蔵野ステークスにてクロフネがダートで神憑り的な圧勝をぶちかまし、競馬ファン・関係者が腰を抜かしたのはあまりにも有名。
そしてクロフネは伝説となり、超人気種牡馬へとのし上がった。つまり、デジタルが間接的にクロフネの種牡馬としての地位を作り上げたともいえる。
まあ、そのせいで適性が食い合った自分が後で苦労することになるのだが……。
次走には海外遠征となる香港カップを選択。今度はスローペースを見越し前につけるとそのまま抜け出し快勝。天皇賞(秋)がフロックなどではないことを満天下に示す。
香港カップの前に行われた香港ヴァーズをステイゴールド、香港マイルをエイシンプレストンが勝利しており、この年の香港国際競走デーを席巻した日本馬の大トリとして恥ずかしくないレースを見せた。香港スプリントでダイタクヤマトとメジロダーリングが完敗してるとか言うな。
余談だがステイゴールドの劇的勝利ばかり言われるため、白井師は「劇的だからってなんなんだ! ウチのデジタルがいっちゃん強い勝ち方したやろ!(要約)」とキレちゃったとか。愛馬の名誉を重んじる白井最強。
2002年は2月のダートGIのフェブラリーステークスから始動。レースには前年覇者ノボトゥルー、南関東四冠馬トーシンブリザード、ドバイワールドカップ2着馬トゥザヴィクトリー、NAR年度代表馬トーホウエンペラー、JBCスプリント優勝馬ノボジャック、1月の川崎記念を勝ったリージェントブラフ、前々年の本レース1~2着馬ウイングアローとゴールドティアラなどが集結した。この超豪華メンバーの中でアグネスデジタルは1番人気に支持され、先団から力強く抜け出すと2着トーシンブリザード以下に1馬身差をつけて快勝、堂々のGI4連勝を飾った。しかもその内訳は盛岡ダート→府中芝→シャティン芝→府中ダート。適性ってなんだっけ。
競馬場が変わろうが馬場が変わろうが意に介さず連勝するさまから超弩級の変態オールラウンダーとしての名声を確かにした。
すべてをこの手に
望みを問われて彼は すべてだと答えた
勇士とは欲張りなものなのだただし彼は天与など待たない
膂力と技巧と才覚を頼りに前例なき戦いを勝ち抜いて
簒奪することに挑む
そして、ドバイワールドカップへ遠征したのだが……香港でのトランジット失敗でやつれ果てるという計算外のアクシデントで調整が間に合わず、離された6着に敗れてしまう。
次走シャティンのクイーンエリザベス2世カップでは見事に立て直し、この勝利で香港魔王の異名を取るエイシンプレストンにこそ先着されたものの2着に食い込んで見せた。
しかし、残念ながら体調の悪化に歯止めがかからず、結局2002年は夏以降全休となった。
シャティンでのレースから1年後、名古屋競馬場の交流重賞かきつばた記念で復帰。4着に敗れたが、体調上向きと判断した陣営は次走を迷わず春の大目標安田記念にする。
1番人気がローエングリンというやや混戦めいた空気が漂う中、デジタルも4番人気とそこそこの評価をされていた。
そう、やっぱりみんな恐れていたのだ。得体のしれない彼の一発激走を……ただ単に軸馬がいなかったのでGI馬を評価しただけとも言えるし、むしろGI5勝馬には失礼な(ry
いきなりダンツジャッジが落馬する中、直線半ばでローエングリンが抜けだしたところを待ってましたとばかりに急襲したアドマイヤマックスが捉えようとしていたその刹那。
外からさらに素晴らしい切れ味で二頭まとめて交わす栗毛馬、アグネスデジタルである! 先頭に変わるとそのままゴール板に飛び込んだ。
走破時計の1:32.1は当時のレコードで、改装前府中のレコードであり参考記録とはいえ、あのオグリキャップの猛時計1:32.4も越える凄まじいタイムであった。
これでGI勝利は6つめとなり、当時のGI最多勝記録7の更新まであと2つに迫った。
しかし、その後は燃え尽きたかのように凡走を繰り返すようになる。距離が長い宝塚記念はともかく、地方のダート中距離では勝ちきれず、一度は栄光を掴んだ秋天は17着と鞍上の四位騎手をして「みじめだった」とこぼすほどの惨敗。そしてこの年の有馬記念に出走し、有馬記念連覇の偉業を成し遂げたシンボリクリスエスの後ろでひっそりと9着に敗れる。しかしその個性から穴馬党や某巨大掲示板の住民には最後まで愛され続けていたようで、適性距離ではない宝塚記念や有馬記念でもかなりの人気を背負っていた。
翌年の1月に京都競馬場で引退式が行われ、あのマイルチャンピオンシップと同じ馬番をつけてターフを疾走。こうして稀代の変態個性派名馬の競走馬生活に幕が下ろされた。
当時中央と地方で行われていた古馬マイルGIを芝ダート含めて全勝してみせるなど、やはり本質的にスピードの勝ったマイラーだったことは疑いない。
しかし、マイルから中距離までなら柔軟にこなし、馬場や競馬場を選ばない器用さや精神の強さ、当時「動く歩道」と評されたテレポートするかのような末の切れ味と、地方の深い砂も気にしないパワーをどちらも損なうことなく兼ね備えた類稀な身体能力は特筆すべきモノであろう。
トゥザヴィクトリーやクロフネ、ヴァーミリアンと言ったあたりの芝からの転向組はキレを失ったり元からそういう面に乏しいタイプで、ダートに流れたような面もあるのだが、年老いてもキレを失うことはなかった、と書けば彼の筋肉の神秘がお分かりいただけると思う。
JRAのポスターに「勇者は、戦場を選ばない。」と謳われただけのことはある。まさに変態最強。そして馬体など見た目に惑わされず、彼を見出した白井師はやはり最強すぎて我慢できない。
ちなみに競走馬にありがちな気性の荒さとは無縁のおとなしい馬だったらしく、厩務員の井上さんはデジタルを担当している間、特に困らされた経験はなかったとのこと。闘争心を見せるのは競馬場でだけでよいと馬がわかっていたのかもしれない。
種牡馬としては全体的に良績がダートに寄っており、産駒には自身が勝てなかったジャパンダートダービーを制したカゼノコがいる。いちおう芝もこなせる産駒も出しているが、自身のような変態性を感じる オールラウンダー性を備えた馬はまだ誕生していない。大成前に体質の弱さから伸び悩む産駒も多く、正直頭打ち気味。
2020年に種牡馬を引退して功労馬として余生を送っていたが、2021年12月8日死去。24歳だった。関係者によると放牧中の事故による安楽死との事。
Crafty Prospector 1979 栗毛 |
Mr. Prospector 1970 鹿毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Gold Digger | Nashua | ||
Sequence | |||
Real Crafty Lady 1975 栗毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | |||
Princess Roycraft | Royal Note | ||
Crafty Princess | |||
Chancey Squaw 1991 鹿毛 FNo.22-d |
Chief's Crown 1982 鹿毛 |
Danzig | Northern Dancer |
Pas de Nom | |||
Six Crowns | Secretariat | ||
Chris Evert | |||
Allicance 1980 鹿毛 |
Alleged | Hoist the Flag | |
Princess Pout | |||
Runaway Bride | Wild Risk | ||
Aimee | |||
競走馬の4代血統表 |
父Crafty Prospectorは米国で10戦7勝でガルフストリームパークH(GI)2着があるが、重賞勝利には恵まれなかった。種牡馬として米国で多くの重賞馬を輩出した。
母Chancey Squawは米国で9戦1勝。大種牡馬Blushing Groomの姪に当たる。
母父Chief's Crownは第1回ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル優勝馬で通算21戦12勝(うちGI8勝)。米国の他にも英・仏・豪など産駒はいろんな国で活躍した。
最後の輝き
軌跡
掲示板
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最終更新:2024/12/15(日) 01:00
最終更新:2024/12/15(日) 00:00
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