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アグネスデジタル

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勇者は、戦場を選ばない。

3つのと11の競馬場を駆け巡り
獲得してきたタイトルバリエーションは、
どんな名の追随も許さない。
芝とダートの垣根を、そしてさえも乗り越えて、
チャンピオンフラッグをはためかせてきた勇者
君が刻んだ前の軌跡、そのひとつひとつが永遠にく。

JRA「ヒーロー列伝」No.54 アグネスデジタルexit

アグネスデジタル(Agnes Digital)とは、1997年生まれの日本競走馬種牡馬超弩級変態白井最強を実した異天才である。

まずはこの勝ちを見てほしい。

な勝ち
1999年:全日本3歳優駿(GII)
2000年:マイルチャンピオンシップ(GI)、名古屋優駿(GIII)、ユニコーンステークス(GIII)
2001年:天皇賞(秋)(GI)、マイルチャンピオンシップ南部杯(GI)、香港カップ(G1)、日本テレビ盃(GIII)
2002年:フェブラリーステークス(GI)
2003年:安田記念(GI)

おわかりいただけただろうかこのは芝・ダート両方のGI勝利しており、さらに地方・中央・海外GI全てに勝利経験がある。この時点でただ物ではない。

曖昧さ回避 この記事では実在競走馬について記述しています。
このを元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するウマ娘については
アグネスデジタル(ウマ娘)」を参照して下さい。

伝説その1:去りゆく勝負師に花束を

デビュー前のエピソードからふるっており、牧場で彼を見初めた管理調教師白井最強寿昭師が生産者に開口一番「この、売るのか?」と挑発し、日本人に売る気のなかった生産者の心をねじせ、その後クールモアエージェントが好条件の商談を持ち込んだが生産者は「そのcoltMr. Shiraiに売約済だ」と言い放ち、当初売るつもりもなかった日本人白井師に売ったという逸話がある。
しかしながら白井師に「なんでこんな見栄えしない買うんです?」と疑問を投げかける現地関係者もいたという。 確かに、現役時代も体は小さめであんまり見栄えはしないタイプであった。
しかし白井師は「60頭は見たが一番気に入った、走るぞ」と彼の可性を信じてやまなかった。

デビューから3歳まではダートを中心に走り、当時統一GII全日本3歳優駿(当時)など重賞を3つ勝ったが、GIではボロ負けしたり、に少し挑戦した芝でもイマイチ……と、ムラのあるダートという扱いであった。
しかし、営は何を思ったか突然マイルチャンピオンシップに登録する。ちなみにこの時点ではレース勝利そんなローテを疑問視する心理はオッズにも反映され、結局は13番人気という低評価レースを迎えた。だがしかし

レース中盤まで割と絶望的な位置にいたはずが、直線を向くとテレポートしたんじゃないかってくらいの常識ハズレな末脚を繰り出して全ぶっこ抜いた。レコードタイムで。大 勝 利 で あ る。
しかも京都を知り尽くしたベテラン、翌年2月引退を控えていた的場均騎手にとって最後のGI勝利であり、それを思い出のつまったプレゼントしてみせたのだった。 白井最強もっとも白井師も勝つとまで思っていなかったらしくレース直後は仰したらしいですが。
になってからの活躍も期待されていたが、年明け初戦の京都金杯で球節を痛めてしまい、敗続き。煮え切らない走りを続けるデジタルは哀れ、一発屋の烙印を押されて忘れられた。

……それが間違いだったと気づかされるのは、この年ののことである。

伝説その2:人気種牡馬クロフネはワシが育てた

2000年より、内のみで争われていたGI外国産馬にも少ない付きながら開放されていた。2001年にはクラシックも開放され、その申し子であるクロフネ天皇賞(秋)出走を表明していた。
地味外国産馬である前年の2着メイショウドトウが出走賞金的に一を埋めるのは確実であり、もう一しかない外国産馬出走クロフネで決まるか……と思われたが、になって復調し日本テレビ盃マイルチャンピオンシップ南部杯を連勝、出走賞クロフネを上回ったアグネスデジタルが直前になって出走を表明。哀れクロフネは除外となった。
何にしても復調して賞を積んでいたエイシンプレストンが矛先を向けていたらアウトだったが。
クロフネの権利を持っていた社台グループえ? 白井さんマジですか?(回避してくださいよ~)」と言ったそうだが、白井師は「どうしても使いたいので、ご理解ください(だが断る)」と返したそうな。日本最大の生産グループにも正論でぶつかる白井最強

しかし競馬ファン激怒した。クロフネの可性を駄馬が摘んだ」「ダートマイラーに用はねぇよ」など罵詈雑言が乱舞し、
分析するにしても2000m以上で実績がないから」「広い府中ではなおのこと持たない」「そもそも府中でいいとこなしだった」などなど常識的にはまず勝ちなし。
……つまり、勝つ可性が低いのに為に出走を埋めに来たKYになってしまったのである。
しかしデジタル白井師はそんなことは意に介さない。馬場の状況を見切った白井師の秘策「観客席に向かって走れ(訳:大外に出せ)」がピタリとハマり、世紀末覇王テイエムオペラオーに落日を告げる脚で撫でり快勝。競馬ファンや関係者を呆気にとらせた。やはり白井最強だった。

ちなみに、天皇賞(秋)前日の武蔵野ステークスにてクロフネダート憑り的な圧勝ぶちかまし競馬ファン・関係者がを抜かしたのはあまりにも有名。
そしてクロフネ伝説となり、人気種牡馬へとのし上がった。つまり、デジタルが間接的にクロフネ種牡馬としての地位を作り上げたともいえる。
まあ、そのせいで適性が食い合った自分が後で苦労することになるのだが……。

伝説その3:「勇者は、戦場を選ばない。」

次走には海外遠征となる香港カップを選択。今度はスローペースを見越し前につけるとそのまま抜け出し快勝。天皇賞(秋)がフロックなどではないことを満下に示す。
香港カップの前に行われた香港ヴァーズステイゴールド香港マイルエイシンプレストン勝利しており、この年の香港国際競走デーを席巻した日本大トリとして恥ずかしくないレースを見せた。香港スプリントダイタクヤマトメジロダーリング敗してるとか言うな。 
余談だがステイゴールドの劇的勝利ばかり言われるため、白井師は「劇的だからってなんなんだ! ウチのデジタルいっちゃん強い勝ち方したやろ!(要約)」とキレちゃったとか。の名誉を重んじる白井最強

2002年初戦はフェブラリーステークス。ここでも先団から強く抜け出し、トーシンブリザード以下を抑え快勝、堂々のGI4連勝を飾る。しかもその内訳は盛岡ダート府中芝→シャティン芝→府中ダート適性ってなんだっけ。
競馬場が変わろうが馬場が変わろうが意に介さず連勝するさまから超弩級変態オールラウンダーとしての名を確かにした。 

すべてをこの手に

望みを問われて彼は すべてだと答えた
勇士とは欲りなものなのだ

ただし彼は与など待たない
と技巧と才覚を頼りに前例なき戦いを勝ち抜いて
簒奪することに挑む

往くの厳しさを知りながらそれでもなお突き進む
英雄とは破りなものなのだ

JRA「名馬の肖像」アグネスデジタルexit

そして、ドバイワールドカップへ遠征したのだが……香港でのトランジット失敗でやつれ果てるという計算外のアクシデントで調整が間に合わず、離された6着に敗れてしまう。
次走シャティンのクイーンエリザベス2世カップでは見事に立て直し、この勝利香港魔王異名を取るエイシンプレストンにこそ先着されたものの2着に食い込んで見せた。
しかし、残念ながら体調の悪化に止めがかからず、2002年は結局全休となった。 

伝説その4:この変態、努々忘れるなかれ

シャティンでのレースから1年後、名古屋競馬場交流重賞かきつばた記念で復帰。4着に敗れたが、体調上向きと判断した営は次走を迷わずの大安田記念にする。
1番人気ローエングリンというやや混戦めいた空気が漂う中、デジタルも4番人気とそこそこの評価をされていた。
そう、やっぱりみんな恐れていたのだ。得体のしれない彼の一発走を……ただ単に軸がいなかったのでGIを評価しただけとも言えるし、むしろGI5勝には失礼な(ry
いきなりダンツジャッジが落する中、直線半ばでローエングリンが抜けだしたところを待ってましたとばかりに急襲したアドマイヤマックスが捉えようとしていたその刹那
外からさらに素晴らしい切れ味で二頭まとめて交わす栗毛アグネスデジタルである! 先頭に変わるとそのままゴールに飛び込んだ。
走破時計1:32.1は当時のレコードで、装前府中レコードであり参考記録とはいえ、あのオグリキャップの猛時計1:32.4も越える凄まじいタイムであった。
これでGI勝利は6つめとなり、当時のGI最多勝記録7の更新まであと2つに迫った。
しかし、その後は燃え尽きたかのように走を繰り返すようになる。距離が長い宝塚記念はともかく、地方ダート距離では勝ちきれず、一度は栄を掴んだ秋天は17着と上の四位騎手をして「みじめだった」とこぼすほどの惨敗。そしてこの年の有馬記念に出走し、有馬記念連覇の偉業を成し遂げたシンボリクリスエスの後ろでひっそりと9着に敗れる。しかしその個性から党や某巨大掲示板の住民には最後までされ続けていたようで、適性距離ではない宝塚記念有馬記念でもかなりの人気を背負っていた。

翌年の1月京都競馬場引退式が行われ、あのマイルチャンピオンシップと同じ番をつけてターフを疾走。こうして稀代の変態個性競走馬生活に幕が下ろされた。

評価

当時中央と地方で行われていた古マイルGIを芝ダート含めて全勝してみせるなど、やはり本質的にスピードの勝ったマイラーだったことは疑いない。
しかし、マイルから中距離までなら柔軟にこなし、馬場競馬場を選ばない器用さや精の強さ、テレポートするかのような末の切れ味と、地方の深いも気にしないパワーをどちらも損なうことなく兼ね備えた類稀な身体は特筆すべきモノであろう。
トゥザヴィクトリークロフネヴァーミリアンと言ったあたりの芝からの転向組はキレを失ったり元からそういう面に乏しいタイプで、ダートに流れたような面もあるのだが、年老いてもキレを失うことはなかった、と書けば彼の筋肉秘がお分かりいただけると思う。
JRAポスターに「勇者は、戦場を選ばない。」と謳われただけのことはある。まさに変態最強して体など見たに惑わされず、彼を見出した白井師はやはり最強すぎて慢できない。

ちなみに競走馬にありがちな気性の荒さとは縁のおとなしだったらしく、厩務員の井上さんはデジタルを担当している間、特に困らされた経験はなかったとのこと。闘争心を見せるのは競馬場でだけでよいとがわかっていたのかもしれない。

種牡馬としては全体的に良績がダートに寄っており、産駒には自身が勝てなかったジャパンダートダービーを制したカゼノコがいる。いちおう芝もこなせる産駒も出しているが、自身のような変態性を感じる オールラウンダー性を備えたはまだ誕生していない。大成前に体質の弱さから伸び悩む産駒も多く、正直頭打ち気味。
2020年種牡馬引退して功労として余生を送っていたが、2021年12月8日死去。24歳だった。関係者によると放牧中の事故による安楽死との事。

血統表

Crafty Prospector
1979 栗毛
Mr. Prospector
1970 鹿毛
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
Real Crafty Lad
1975 栗毛
In Reality Intentionally
My Dear Girl
Princess Roycraft Royal Note
Crafty Princess
Chancey Squaw
1991 鹿毛
FNo.22-d
Chief's Crown
1982 鹿毛
Danzig Northern Dancer
Pas de Nom
Six Crowns Secretariat
Chris Evert
Allicance
1980 鹿毛
Alleged Hoist the Flag
Princess Pout
Runaway Bride Wild Risk
Aimee
競走馬の4代血統表

クロス:5代内アウトブリード

Crafty Prospector米国で10戦7勝でガルストリームパークH(GI)2着があるが、重賞勝利には恵まれなかった。種牡馬として米国で多くの重賞を輩出した。
Chancey Squawは米国で9戦1勝。大種牡馬Blushing Groomの姪に当たる。
Chief's Crownは第1回ブリーダーズカップ・ジュヴェナイル優勝で通算21戦12勝(うちGI8勝)。米国の他にも英・など産駒はいろんなで活躍した。

主な産駒

関連動画

変態 in テレポーテーション

変態 in ときめきワンダーランド

変態 in シャティ

香港魔王VS変態

最後の

軌跡

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最終更新:2024/03/19(火) 17:00

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最終更新:2024/03/19(火) 17:00

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