ダブルスタンダードとは、矛盾の一形態である。
同種事象への対処にあたって相矛盾する二つの基準を使い分けることを指す。日本語では二重基準など。錯誤が背景にあるもの、感情が背景にあるもの、利害が背景にあるものなどがある。
明らかに基準外のものを放置しながら基準に抵触するか怪しいものを狙い撃つような場合や、自身が批判対象と同じ行動を取った場合等、『お前が言うな』的状況が多く、公平性を欠く点が問題となる。
このような不公平がまかり通ってしまう背景には、全く同じ事象と言うものは通常は発生しないため、わずかな差を理由に言い逃れをされたり、仮にダブルスタンダードであることが示されてもそれを判定したり処罰したりする仕組みが存在しなかったりするということが挙げられる。
ただし、子供の自由権の制限や障害者に対する支援等、判断を変える背景・差違が十分に合理的なものであれば(それが合理的であるかの議論の余地はあるが)ダブルスタンダードとはいわない。
また、使用者本人がそもそも公平を期していない場合については、ダブルスタンダードよりむしろ暴論・強権の類として批判されるべきものである。
とはいえ、ほとんどの人間が生きていく中で「それはそれ、これはこれ」などと言いながら、その理由をきちんと説明できなかった経験はあると思われる。
一般人なら周囲から嫌われる程度で済むが、政治家やマスコミ、国家など政治的影響力の大きさに比例してダブルスタンダードの弊害は大きくなり、非常に厄介である。
対立する基準A,Bを持つ2人が属する集団があるとする。この集団に対してAの基準を提示すればBの基準を持つものが反発し、Bの基準を提示すればAの基準を持つものが反発する。結果として、この集団にダブルスタンダードを有する個人がいなくても、集団自体はダブルスタンダードになってしまう。
目的の大枠は同じだがその理由や細部が異なる者の集団と議論すると起こりやすい。集団と議論する際は集団は原則として完全に一致した意見を持っているわけではないことを頭に入れておきたい。
相手がダブルスタンダードを用いている場合矛盾を前提に含んでいるため、理論上は矛盾を指摘することで対処可能である。しかし、議論に強制力が伴わないと、権力や人格攻撃など理論外の手段により潰されて対処不可能である場合が多い。以下に対処方法を考え得る範囲で記しておくが、対処できるとは限らないのが現実である。
一番対処が容易である。わかってないだけであるため、相手に説明して錯誤を自覚させればよい。ただし、相手を刺激しないようにしないと、感情的な問題に移行するおそれがある。相手が「自分で錯誤に気づけない程度の能力」しか持ち合わせていないことを忘れてはいけない。同時に、自分になんらかの錯誤があって相手をダブルスタンダードと勘違いしている可能性の検討も怠ってはならない。
どうしても私情が挟まってしまい、統一した理論に基づいて手を下せない場合というのは存在する。相手に矛盾があることを示しながら、説得すれば相手の感情が変わることがあるかもしれない。しかし、感情的な問題なので確実な方法は存在しない。
相手が利害に基づいて意図的にダブルスタンダードを用いている場合、説得はまず不可能である。
この場合、相手は実際は利害関係や何かしら裏の意図で動いているものの、そのことを公言すれば信用が失墜するためそれを防ぐ目的で理論を意図して曲げているわけで理論だけで説得することは不可能である。また、利害関係者からの圧力などにより叩き潰される危険が非常に高いため、通常は説得をあきらめ利害調整するしかない。
調整も不可能な場合、相手の利害関係や矛盾を暴露することで世論の圧力をかけたり、或いは相手ごと叩き潰してしまうしかなくなるがこれはもう理論上ではない権力闘争であるため、もしやろうというなら自分の権力・体力・状況を見極め慎重に決断しなければならない。また、自らが煽動者となってしまう危険性も自覚しておくべきである。
原因は集団における基準統一の欠如である。集団内で基準を統一する仕組みが先に出来ればいいのだが、実際にそれが可能である場合は希有である。
これに対し、ある目的を持つ集団の構成要員間の差異を利用して複数の微妙に異なる意見を一つに束ね、理論が自己矛盾しているとしてその目的全体を批判するという詭弁が存在する。 自分が集団側の場合は引っかからないように注意したい。また表面上同じ目的を持っている人間でも、意図する理由が違う場合があることも頭に入れておきたい。
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最終更新:2024/05/04(土) 03:00
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