田辺裕信 単語


ニコニコ動画で田辺裕信の動画を見に行く

タナベヒロノブ

1.2千文字の記事
これはリビジョン 3036093 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

田辺裕信(たなべ ひろのぶ)とは、JRA所属の騎手のことである。

概要

1984年2月12日生まれ、福島県二本松市出身。

2002年競馬学校騎手課程18期生として卒業し騎手免許を取得、同期は現在障害競走を中心に活躍する五十嵐雄祐や黒岩悠ら。美浦の小西一男厩舎に所属が決まった。

2002年3月2日、中山2R3歳未勝利戦で初騎乗し16頭中8着に終わる。その後はプロの壁にぶち当たり、61戦目の同年8月3日新潟12レース3歳上500万下で61戦目にしてようやく初勝利を掴んだ。この年は8勝を挙げた。

翌年には20勝と成績を伸ばすも、その後数年間は年間10~15勝と伸び悩んだ。

2009年に自己最多の33勝を挙げると、2010年末にエージェントと契約。2011年にはアンタレスステークスをゴルトブリッツで勝利し重賞初勝利、この年はこの他に重賞2勝、年間88勝を挙げ全国リーディング7位、関東リーディング3位と飛躍、中央競馬騎手年間ホープ賞を受賞しトップジョッキーの仲間入りを果たす。

2014年にはフェブラリーステークスを最低人気(16番人気)のコパノリッキーで勝利し念願のGⅠ初制覇を達成。夏のサマージョッキーズシリーズでは七夕賞、関屋記念、京成杯オータムハンデキャップを勝利し優勝。

2016年からは小西厩舎を離れフリー騎手として活動を開始。安田記念をロゴタイプに騎乗し勝利。

2019年にはJRA通算10000回騎乗を達成、秋にはアルクトスでマイルチャンピオンシップ南部杯を制し、JpnⅠを初制覇。

2021年8月1日に新潟8RでJRA通算1000勝を達成している。

人物・エピソード

騎乗スタイルとしては、4コーナー手前付近からインコースを突いての直線勝負を得意としている。

いわゆる競馬サークルとは関係のない家庭で育ったが、競馬好きだった父親の影響を受け次第に競馬が好きになっていき、父親とともによく福島競馬場に遊びに行っていた。

中学2年時の進路を決める際に競馬学校の生徒募集のお知らせを見て騎手を志した。ちなみに生徒募集のお知らせを見るまでは普通の高校に進学するつもりだったため、馬に触れたことすらなかった。

実は潔癖症な面があり、動物も苦手。馬に慣れるのにも時間がかかったとのこと。

ちなみにJRAやマスコミ等では漢字の表記ルールで田辺と記載されるが、戸籍上は田邊で地方競馬に遠征した場合は田邊で表記されることもあったりする。

GⅠ級競走勝利

※馬名横の数字は勝利年。

フェブラリーステークス コパノリッキー(2014)
かしわ記念 コパノリッキー(2014)
安田記念 ロゴタイプ(2016) 
マイルチャンピオンシップ南部杯 コパノリッキー(2016・2017)
アルクトス(2019)
JBCクラシック コパノリッキー(2014)
東京大賞典 コパノリッキー(2017)

関連動画

関連項目

  • 競馬
  • JRA
  • コパノリッキー
  • ロゴタイプ
  • アルクトス
  • 騎手の一覧
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/11(木) 08:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/11(木) 07:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP