「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん」とは、2000年3月4日公開の劇場版映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』で石田ヤマトが叫んだ迷名セリフである。
概要
「ぼくらのウォーゲーム」作中で新種のデジモン(ケラモン)がインターネット上に出現し
それに気づいた太一と光子郎は、ケラモンを倒す為に再び選ばれし子供達を集めようと試みるが
ケラモンに電話回線やインターネットを使えなくされるなどの妨害を受けた為、旅行や受験などをしていた仲間達を集められないでいた
そんな中、災害用伝言ダイヤル(#171)を使って、なんとか島根の祖母の家にいるヤマトとタケルに連絡を取る事ができ、太一はネットワーク内にいるケラモンを倒す為、至急パソコンにデジヴァイスを
セットするようにヤマト達に頼む。
ヤマトとタケルは、インターネットにデジヴァイスを繋げる為に、パソコンのある家を探し回るが
島根に島根の田舎にパソコンなんてハイカラな物は置いておらず、ヤマトが思わず
「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん!」
と思わず絶叫してしまうのであった。
名(迷)言
タケル「でも…ここおばあちゃん家だからパソコンなんてないよ?」
ヤマト「ないよな・・・島根だから・・・」
太一「島根だってパソコンくらいあるだろ!」
・「島根にパソコンなんてあるわけないじゃん!」
(ミミに鳥取と島根の違いを聞かれて)
太一 「パソコンがないのが島根」
ヤマト 「何年前の話だ、馬鹿にすんな」
補足
このセリフで「島根=ざいご田舎」というイメージがついた人が大勢いるかもしれないが、『ぼくらのウォーゲーム!』が劇場公開された2000年当時は「Windows2000」のリリース等もあり丁度パソコンが一般家庭にも広く普及しはじめた時期であり(その後同年の「Windows ME」、翌年の「Windows XP」を通じてようやく全般的にも普及するのだが)、ズバリ公開月の3月時点での全国の一般家庭におけるパソコン普及率は40%弱であった(参考: 「主要耐久消費財等の普及率(平成8年3月~平成16年3月末)(Excel形式、内閣府ウェブサイト)。なお、2014年現在は80%強)。その為、島根にあるヤマトの祖母の家周辺にパソコンが無いのはそう珍しい事ではなく、決して島根が田舎だったからというわけではない(と思う)。
パロディ
有名なセリフとなったので、数々の作品でパロディが作成された。
- 2015年に発売されたアニメ 秘密結社鷹の爪と島根県とのコラボグッズの卓上カレンダーで「パソコンどころか パソコン教室もある」のキャッチが付けられた (参考:「島根にパソコンない」──夏に検索増える理由 県は「盛り上がるきっかけになれば」)
- 2017年に公開された劇場アニメ ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール- にて終盤に「島根の合宿所にはパソコンが無かった」というセリフがある。(参考:『劇場版 SAO』伊藤智彦監督に“ネタバレあり”インタビュー。あのシーンで明日奈はなんと言ったのか? - 電撃オンライン)
それで結局島根にパソコンはあったの?
ヤマトとタケルはこの台詞の後も捜索を続け、どうにかパソコンのある一般家庭を発見してデジヴァイスを接続することに成功する。
なおそのパソコンのあった場所は…(島根のとある床屋の店の中)
色々言われているが、要するに島根にパソコンはあったと言う事になる。
島根県民の補足
なお、実際の島根人として追記すると、一応2014年現在ではインターネット環境は整備されてはいる。しかし、個人のインターネット普及率を見ると高知県・青森県に次ぐワースト3であり全国平均よりも低水準なのが実情である(参考: 「平成26年版 情報通信白書」都道府県別インターネット利用率(個人)(平成25年末)(総務省ウェブサイト))。統計の内訳を見ると、同様にパソコン普及率の低い他の県と比べて携帯端末も普及率が低いことが挙げられる。これは未だに県民の大半はアナログな対話・電話・手紙が主流で、ちょっと郊外に足を運ぶと懐かしの黒電話が現役だとか家に鍵をかけないなんて地域もザラにあり、メールやSNSでの簡素な遣り取りよりも人間同士の素朴な触れ合いがより重要視されている結果であろう。決して島根が機械の扱いの苦手な老齢世代の多い高齢化ワースト5常連だからというわけではない(と思いたい)。
特に出雲地方には「一杯茶でお客を帰してはいけない」という素朴なおもてなしの精神が根強く残っていて、「まあ折角ここまで来らいた事だけん、上がって仏壇でも拝んでってごしなはいや」と勧められるがままに玄関先から奥に足を踏み入れたが最後、あなたの湯飲みには際限なくお茶が継ぎ足され、テーブルの上にはお菓子やら果物やら料理(漬物(つけもん)、煮物(たいたん)、練物(あご野焼き(≒でっかい飛び魚のちくわ)、かまぼこ(≒渦巻きが無く少し大きい厚切りなると)、はんぺん(=薩摩揚げ))、etc...)やらが次々と運ばれ、いつ果てるとも知れない昔語りと世間話が延々と続くことになるだろう。丁重にお断りするにせよ、素直にご馳走(ごっつぉ)になるにせよ、途中でお暇を乞うにせよ、それ相応の話術と精神力(あとそれらを入れるための大きな胃袋)が求められるのは言うまでもない。・・・・・・でもま、たまーにはいいよね、こういうのも。
なお、どうしてこのような風習が根付いたのかというと、時は江戸時代に遡り、時の出雲松江藩主の松平治郷が千利休に始まる茶の湯に明るい茶人で、その茶菓子文化が城下町の松江周辺を中心に町人にも広まっていったためである、とされる。このため、松江市や出雲市のごく一部の企業や幼稚園、保育園などでは現在でもイギリスのティータイムよろしく、3時(15時)のお茶の時間が設けられているところがある。このほかにも、水族館アクアス(半分は浜田市だけど)で有名な江津市にはさらに時代が前になるが柿本人麻呂に縁ありとされる星高山といった場所もあったりするので、古くからこのあたりには吟や茶道、華道などが発達しやすい土壌があったともいえる。
島根に親戚を持つ皆様、そしてこれから島根に来ていただける皆様、パソコンのようなデジタル環境には乏しいですが、是非とも今後とも島根をよろしくお願い致します。
島根にだって関連動画くらいあるだろ!!
関連項目
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