王昭君とは、古代中国の女性である。紀元前1世紀頃の人。
姓が王、諱が嬙、字が昭君。中国四大美女の一人に上げられることが多い。
その生涯
荊州南郡秭帰県(湖北省宜昌市)の人。前漢の第10代皇帝元帝の後宮に入っていた。
紀元前33年、匈奴の君主である呼韓邪単于が入朝した時、漢の女性を妻に娶りたいと言ってきたので王昭君が嫁ぐ事になった。
王昭君は呼韓邪単于との間に一男を儲けるが紀元前31年に呼韓邪単于が死ぬと、匈奴の風習に従い呼韓邪単于の跡を継いだ復株累若鞮単于に嫁ぎ二女を儲けた。
王昭君が死ぬと今の内モンゴル自治区フフホト市にある「青冢」に葬られた。現在同所は観光地として整備されている。
伝説
漢民族ながら異民族に嫁いだこと、漢民族の風習になかった夫の義理の息子に嫁いだという「悲劇性」が彼女を悲劇の美女に昇華させたといえよう。既に前漢末の王族で学者だった劉歆が編纂したといわれる『西京雑記』に彼女の物語が描かれている。
漢の元帝は匈奴の呼韓邪単于が漢の女性を妻に欲しいというので、どうせ異民族に美醜など分からんだろと後宮に入っている女性の似顔絵の中から、一番ブサイクなものを選んでこれを嫁がせることにした。
ところが彼女─王昭君の出立直前に召し出してみると絶世の美女である。元帝は後悔したが今更取り消せないので、王昭君が賄賂を贈らなかったために彼女の肖像画を醜く描いた毛延寿という宮廷の絵描きの首を刎ねてうっぷんを晴らした。
その後、呼韓邪単于が死ぬと義理の息子が王昭君をそのまま妻にした。王昭君は反発したが、漢の朝廷から匈奴の風習に従えといわれやむを得ず命令に従った。
こうした伝説の信憑性はともかく、この頃から既に王昭君の悲話が世間に知れ渡っていたということがいえよう。
中国四大美女
一般に西施、虞美人、卓文君、王昭君、趙飛燕、貂蝉、楊貴妃などの中から4人が選ばれる。
王昭君は「落雁美人」と称される。沈魚美人の西施、閉月美人の貂蝉、羞花美人の楊貴妃と並び、沈魚落雁、閉月羞花とはそれぞれ絶世の美女を指す言葉を指す。
ちなみに落雁美人のいわれは、異民族の地に嫁ぐ途中、悲しみのあまり琵琶を掻き鳴らし、彼女の姿と悲しいしらべに空を飛ぶ雁が次々と落ちてきたという伝えからである(「出塞曲」の由縁でもある)。
なお、桜や椿の品種にも「オウショウクン」(王昭君)があったり、アクションゲーム「ゴッドイーター」にはこれら中国四大美女にちなんだ宝剣の一つとして「宝剣 王昭君」が登場したりする。
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