SSラツィオ(Societa Sportiva Lazio)とは、イタリア・セリエAに所属するサッカークラブである。
本拠地はイタリアの首都でありラツィオ州の州都でもあるローマ。ホームスタジアムはスタディオ・オリンピコ。名称の「ラツィオ」とはローマが位置している州の名前である。
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1900年創設。愛称はBiancocelestiで、チームカラーは白と青。クラブ発足時はフットボールクラブとしてではなく、陸上競技など複合的なスポーツクラブであり、スポーツの象徴的な存在であるオリンピックへのリスペクトから、ギリシャ国旗の2色(青と白)をチームカラーに取り入れている。
1958年には初のタイトルとなったコッパ・イタリアを獲得。1973-1974シーズンには初のスクデットを獲得。1990年代後半から黄金期を迎える。数々のスター選手を擁したチームは2000年にスクデット獲得。しかしサッカーバブルが崩壊した事もあり、財政が悪化。クラブはスター選手の売却を余儀なくされた。2010年代に入ってからは強豪としての地位を取り戻しつつあり、セリエAでも上位に進出することも珍しくなく、UEFAチャンピオンズリーグにも出場している。
同じくローマを本拠地としており、同じスタディオ・オリンピコをホームスタジアムとして使用しているASローマとは非常に激しいライバル関係にある。両チーム同士の対戦はローマ・ダービー(デルビー・デッラ・カピターレ)と呼ばれ非常に大きな盛り上がりを見せる。サポーター同士は犬猿の仲であり、熱狂的なサポーター同士の暴力沙汰や器物損壊などの騒動も少なくない。
ちなみに、ASローマは主としてローマ市内での人気が高いのに対し、ラツィオは広くラツィオ州に支持者を持つ。
1900年にローマのプラティ地区において設立。前身は、イタリア人将校ルイジ・ビビアレッリが創立した「ソシエタ・ポデスティカ・ラツィオ(Società Podistica Lazio=ラツィオ競歩協会)」である。
1927年にファシスト政権主導によって3つのクラブが合併しASローマを創設したが、ラツィオはこのファシスト政権の政策に抵抗したローマで唯一のメジャークラブとなった。1929年に全国統一リーグとして発足されたセリエAに参加する。
1934年にはイタリア史上最高の選手の一人と評されるシルヴィオ・ピオラが加入。1938 FIFAワールドカップではイタリア代表の連覇に貢献したストライカーは2度の得点王を獲得し、1936-37シーズンには戦前のセリエAでの最高成績である2位にクラブを押し上げている。
第二次世界大戦後は選手の賃金が最低レベルまで減らされたことでストライキを起こすなど厳しい時期を迎え、セリエAの中でも平凡な成績が続く。1950年代後半にかけてチーム力を高めると、1957-58シーズンにはコッパ・イタリア決勝でACフィオレンティーナを破り、クラブ史上初となるタイトルを獲得。
しかし、初タイトル後に主力選手が引き抜かれたこともあってチーム力は低下してしまい、1960-61シーズンには初となるセリエB降格の屈辱を経験することになる。2シーズンをセリエBで過ごした後にセリエAに復帰したものの、中位が定位置のチームとなっていた。
1970-71シーズンに再びセリエBに降格。しかし、1972-73シーズンにセリエAに復帰するとACミランとユヴェントスと共にスクデット争いに加わる躍進を遂げる。このシーズンでは結局タイトルに手が届かなかったが、続く1973-74シーズンにはジュゼッペ・ウィルソンを中心とした堅守とこのシーズンの得点王に輝いたジョルジョ・キナーリャの活躍によって初となるスクデットを獲得。
ところがラツィオの栄光は長く続かなかった。1976年にエースのキナーリャは北米リーグへ移籍し、中心選手だったルチアーノ・チェッコーニはローマの宝石店で射殺されるという悲劇に見舞われる。このことがクラブに暗い影を落とし、再び中位へと順位を下げていった。
1980年代はラツィオにとって暗黒期と言える時期となる。1980年代に違法賭博行為に関与したスキャンダルが発覚し、ACミランと共にセリエBへ降格となる。結局、宿敵ローマが黄金期を迎えた3シーズンをセリエBで過ごすことになり、ようやく1982-83シーズンにセリエA復帰を果たせたものの、1984-85シーズンは勝ち点わずか15しか挙げられずに最下位に終わり、またもセリエBに降格。苦しい時期をエースとして牽引してきたブルーノ・ジョルダーノはSSSナポリへと移籍してしまう。さらに1986年には選手の賭博スキャンンダルによって勝ち点9を剥奪され、あわやセリエC降格になるというどん底に陥っていた。
この最悪な状況を打破すべく、1992年に大手食品会社を経営するセルジョ・クラニョッティが会長に就任。早速ポール・ガスコイン、アーロン・ヴィンター、ジュゼッペ・シニョーリを獲得。監督にディノ・ゾフが就任し、セリエAでも上位に進出。1994年からはズデネク・ゼーマン監督のもとで超攻撃的なサッカーを披露し、リーグ2位に入る。この頃のセリエAは世界最高リーグとしての地位を築いており、ラツィオはその中でも上位チームである「セブン・シスターズ」の一角に名を連ねるまでになっていた。
勢いを得たクラブをさらに強化すべく1998年に株式を上場。クラニョッティ会長は巨額の資金を投じてクリスティアン・ヴィエリ、フアン・セバスティアン・ヴェロン、パベル・ネドベド、シニサ・ミハイロビッチ、ロベルト・マンチーニ、マルセロ・サラス、クラウディオ・ロペス、エルナン・クレスポらスター選手を次々と獲得。また、下部組織からもアレッサンドロ・ネスタも台頭。
1997年にスヴェン・ゴラン・エリクソンが監督に就任すると、クラブの黄金期が訪れる。1997-1998シーズンに実に24年ぶりのタイトルとなるコッパ・イタリア優勝を果たすと、1998-99シーズンには初の欧州タイトルとなるUEFAカップウィナーズカップ制覇を達成。そして、1999-2000シーズンにはユヴェントスとのデッドヒートを制し、26年ぶり2度目のスクデット獲得に成功。さらにこの年のコッパ・イタリアも制しており、クラブ史上初の二冠を達成。エリクソン監督が在籍していた3シーズンの間にラツィオは7つのタイトルを獲得している。
ところが、2000年代に入ってイタリアのサッカーバブルが崩壊。株式上場が裏目に出たことに加え、クラニョッティ会長が経営する会社の事業も悪化。結果、クラブは深刻な負債を抱えるようになり、スクデット獲得に貢献したスター選手の大半を売却するだけでなく、2002年に生え抜きのネスタまでもACミランに売却。クラニョッティ一族は2003年にクラブを追われることになる。
2004年にクラブを買収したクラウディオ・ロティートが会長に就任。ロティートは深刻な経営難にあるクラブに対して緊縮財政を実施。クラニョッティ時代のようにスター選手を補強することはできなくなり、クラブの規模が小さくなったことは否めないが、多額の負債を抱えながらも身の丈にあった補強戦略である程度の成績を維持することはでき、再生計画は着実に進んでいく。
2000年代後半には二桁順位で終わるシーズンが続いていたが、この苦しい時代のチームを牽引したトンマーゾ・ロッキの活躍により2008-09シーズンのコッパ・イタリアを優勝。2009年には現役を引退したイグリ・ターレがSDに就任すると、ロティートの右腕として敏腕を発揮する。
2011年には元ドイツ代表のミロスラフ・クローゼが加入。2012-13シーズンには決勝でローマとのローマ・ダービーを制する劇的な形で4年ぶり6度目のコッパ・イタリア優勝を飾る。その後もターレSDは東欧や南米にスカウト網を広げ、セルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチやフェリペ・アンデルソンといった若い才能を適正な価格でクラブに迎え入れていく。結果、ラツィオは欧州のカップ戦出場くらいは狙えるレベルのクラブにまで回復していた。
2016年夏に鬼才・マルセロ・ビエルサ監督を招聘したものの、わずか1か月で突如辞任してしまう。混迷のクラブをシモーネ・インザーギ監督が引き継ぐが、3度の得点王に輝いたチーロ・インモービレの活躍やミリンコビッチ=サビッチの本格的なブレイク、ルイス・アルベルトの台頭もあってクラブは上位戦線に顔を出すほどの力を手にするようになる。2018-19シーズンには7度目となるコッパ・イタリアのタイトルを手にし、2020-21シーズンには12年ぶりにUEFAチャンピオンズリーグの本戦に出場。さらには21年ぶりに決勝ラウンドへと駒を進める。
背番号 | Pos. | 国籍 | 選手名 | 生年月日 | 加入年 | 前所属 |
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- | 監督 | イゴール・ドゥドール | 1978.4.16 | 2024 | マルセイユ | |
3 | MF | ルカ・ペッレグリーニ | 1999.3.7 | 2023 | フランクフルト | |
4 | DF | パトリック | 1993.4.17 | 2015 | バルセロナB | |
5 | MF | マティアス・ベシーノ | 1991.8.24 | 2022 | インテル | |
6 | MF | 鎌田大地 | 1996.8.5 | 2023 | フランクフルト | |
7 | FW | フェリペ・アンデルソン | 1993.4.15 | 2021 | ポルト | |
8 | MF | マテオ・ゲンドゥージ | 1999.4.14 | 2022 | マルセイユ | |
9 | FW | ペドロ | 1987.7.28 | 2021 | ローマ | |
10 | FW | ルイス・アルベルト | 1992.9.28 | 2016 | デポルティーボ | |
13 | DF | アレッシオ・ロマニョーリ | 1995.1.12 | 2022 | ミラン | |
15 | DF | ニコロ・カザーレ | 1998.2.14 | 2022 | エンポリ | |
16 | DF | ディミトリエ・カメノヴィッチ | 2000.7.16 | 2021 | スパルタ・プラハ | |
17 | FW | チーロ・インモービレ(C) | 1990.2.20 | 2016 | トリノ | |
18 | FW | グスタフ・イサクセン | 2001.4.19 | 2023 | FCミッティラン | |
19 | FW | バレンティン・カスティジャーノス | 1998.10.3 | 2023 | ジローナ | |
20 | MF | マッティア・ザッカーニ | 1995.6.15 | 2021 | ヴェローナ | |
22 | FW | ディエゴ・ゴンサレス | 2003.1.7 | 2023 | セラヤ | |
23 | DF | エルセドイ・ヒサイ | 1994.2.2 | 2021 | ナポリ | |
26 | DF | トマ・バシッチ | 1996.11.25 | 2021 | ボルドー | |
29 | MF | マヌエル・ラッツァーリ | 1993.11.29 | 2019 | SPAL | |
32 | MF | ダニーロ・カタルディ | 1994.8.6 | 2013 | ベネヴェント | |
33 | GK | ルイジ・セペ | 1991.5.8 | 2022 | サレルニターナ | |
34 | DF | マリオ・ヒラ | 2000.8.29 | 2022 | レアル・マドリード | |
35 | GK | クリストス・マンダス | 2001.9.17 | 2023 | OFI | |
46 | DF | ファビオ・ルジェッリ ※ | 2004.12.13 | 2023 | ラツィオユース | |
52 | DF | マテオ・ドゥシュ ※ | 2005.11.23 | 2023 | ラツィオユース | |
53 | GK | フェデリコ・マグロ ※ | 2005.1.10 | 2023 | ラツィオユース | |
59 | GK | ダヴィデ・レンツェッティ ※ | 2006.6.9 | 2023 | ラツィオユース | |
65 | MF | ニコラ・ロヴェッラ | 2001.12.4 | 2023 | モンツァ | |
70 | FW | サナ・フェルナンデス ※ | 2006.3.10 | 2023 | ラツィオユース | |
77 | DF | アダム・マルシッチ | 1992.10.17 | 2017 | オーステンデ | |
87 | FW | クリスティアーノ・ロンバルディ | 1995.8.19 | 2013 | レッジーナ | |
94 | GK | イヴァン・プロヴェデル | 1994.3.17 | 2022 | スペツィア |
※はプリマヴェーラ所属選手。
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最終更新:2024/05/03(金) 05:00
最終更新:2024/05/03(金) 05:00
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