ネルウァ / インペラトル・マルクス・コッケイウス・ネルウァ・カエサル・アウグストゥス(Imperator Marcus Cocceius Nerva Caesar Augustus、30年~98年)とは、ローマ皇帝で、ローマ五賢帝の一人目である。
概要
ドミティアヌスの暗殺によるフラウィウス朝の断絶により、その日のうちに即位した。即位した際には老齢であり、ドミティアヌスの死後の混乱を抑える役目を担って、トラヤヌスに帝位を譲った。
ネルウァの治世
ナルニアの共和政時代にさかのぼる由緒ある元老院議員の家に、マルクス・コッケイウス・ネルウァは生まれた。即位前の経歴にはそれまでの皇帝と異なり、属州総督や軍団の指揮といった役職にはなく、法律家としての職務しか行っていなかったとされる。なお65年に反ネロの陰謀が明らかになり、元老院議員が大量に処罰された際、逆にトゥルピリアヌスらとともにネロから表彰された議員の中にネルウァがいた。
ネロに重宝されたにもかかわらず、フラウィウス朝でも引き続き重用され、ネルウァは政界の荒波を乗り越えていった。そしてドミティアヌス暗殺劇の際その日のうちに即位し、おそらく反ドミティアヌス派に擁立されたとされる。
ネルウァ即位後は反ドミティアヌス派が台頭し、ドミティアヌスの密告者らが罰せられていった。また元老院議員を政治に参画させるために自身と、同じく高齢のウィンデクス討伐の功労者ウェルギニウス・ルフスを執政官に任じた。こうしたネルウァの政治抗争は「老人政治」と研究者から呼ばれ、ドミティアヌスの積極的な新規登用とは逆を行くものだった。
しかし、ネルウァのよく言えばバランス感覚に優れた、悪く言えばあいまいな態度を取った、ドミティアヌス派と反ドミティアヌス派のどちらに対しても穏便だった方針は、崩れる。97年に近衛隊長官に任じられたカスペリウスの、ドミティアヌス暗殺犯パルテニウスとペトロニウスの引き渡しの要求に屈し、二人の処刑を招くのである。つまり、ネルウァはドミティアヌス派に大きく傾かざるを得なくなった。
しかしネルウァは10月、トラヤヌスを養子にすると宣言する。あくまでも仮説だが、上ゲルマニア総督トラヤヌスとシリア総督ニグリヌスの両陣営が反ドミティアヌス派とドミティアヌス派の対立と重なり、一時はドミティアヌス派に屈したネルウァだったがルキウス・リキニウス・スラの策動で、反ドミティアヌス派のトラヤヌスの陣営が勝利した、とも言われている。
こうしてトラヤヌスを皇帝位につけると、ネルウァの1年数か月の皇帝生活は終わりをつげ、没することとなった。
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関連項目
- 世界史
- ローマ帝国
- ローマ五賢帝
- ネルウァ
- トラヤヌス
- ハドリアヌス
- アントニヌス・ピウス
- マルクス・アウレリウス・アントニヌス
- ルキウス・ウェルス
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