アントニヌス・ピウス / インペラトル・ティトゥス・アエリウス・カエサル・ハドリアヌス・アントニヌス・アウグストゥス・ピウス(86年~161年)とは、ローマ皇帝で、ローマ五賢帝の四人目である。
概要
ローマ五賢帝で非の打ちどころがなさ過ぎて、逆に地味な人物である。養父ハドリアヌスの生前から後継者が決められていたが、ささやかな抵抗を行い、時代は五賢帝最後のマルクス・アウレリウス・アントニヌスの時代に移る。
アントニヌス・ピウスの治世
南フランスのパトリキ貴族の家に生まれる。120年に執政官だったころハドリアヌスに見いだされ、二度目の養子縁組として白羽の矢が立てられ、さらにアンニウス・ウェルス(後のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝)、ルキウス・ウェルスの二人が後継者としてアントニヌス・ピウスの養子とされた。
その後ハドリアヌスの没後に既定路線通り皇帝についた。人物像は節制と気前の良さを両立させ、政治においても執政官を元老院にゆだね、属州統治などもそつなくこなしていった。旅を好んだハドリアヌスに比べ、ローマ郊外のロリウムでの田園生活を楽しみ、即位後はイタリアから出ることがなかったなど対照的な人物であった。
しかし軍事活動にも力を注ぎ、140年代初めにはハドリアヌスの長城より北方にアントニヌスの長城を築き、領土の拡張・保全に努めた。また、北アフリカで小規模な反乱が起きたことが伝わっている。
しかし、アントニヌス・ピウスはハドリアヌスの措置に即位の年にさっそく背いた。アンニウス・ウェルスとケイオニア・ファビアの婚約を解消させ、自分の娘ファウスティナと婚約させた。さらにアンニウス・ウェルスにカエサルの称号を与え、アウレリウス・カエサルを名乗らせる。こうして、アンニウス・ウェルスの帝位継承が明らかになったのである。
アントニヌス・ピウスはアウレリウス・カエサルを執政官におさめて権威を高めさせ、145年にはファウスティナと結婚させる。この結果養子皇帝制とは名ばかりにほぼ血縁的世襲として、五賢帝で唯一何の問題もなく帝位継承が行われたのである。
そして161年に亡くなった。穏やかな人物であり、帝国統治をそつなくこなしたアントニヌス・ピウスに代わり、哲学者皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスともう一人の養子ルキウス・ウェルスの共同統治の代に移る。
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