伊勢義盛(?~1186)とは、平安時代末期に活躍した武将である。
概要
源義経の家来で、義経四天王の一人に数えられる程度の側近中の側近。そのため武蔵坊弁慶、佐藤継信、佐藤忠信らと同程度には創作物にも登場する。
ちなみに名前は『吾妻鏡』や延慶本『平家物語』では伊勢能盛と書かれている。
父親は『義経記』の諸本で出自にぶれがあり、本人の出身も伊勢国(覚一本『平家物語』、『源平盛衰記』)、上野国(『平治物語』、長門本『平家物語』)と振れ幅が大きい。創作物では山賊にされることも多いが、一応は父親が源義朝の家来であった縁で源義経に仕えたとされる。なお、『系図纂要』によるともともとは伊勢武盛だったらしいが、源義経から偏諱されてこの名前になったらしい。
物語上の性格は感情的な武人で、このことを示すかのように同時代史料に限りなく近い慈円の記した記録『愚管抄』によると、源義仲を打ち取ったのは彼らしい(そうなると『平家物語』のかの有名な石田為久に打ち取られる下りがあくまでも物語表現となってしまうが)。また弁舌に長け、『平家物語』では田内教能を降伏に導いた彼の舌戦が描かれている。
しかし、ここまで源義経に忠義を尽くした彼だが、実はいつ死んだかは文学的表現で覆われてきた。『義経記』には平泉での源義経の最後の戦いに付き従ったとされるが、『源平盛衰記』では源義経と合流を約して別れた後、伊勢で山内首藤経俊に討たれたことになっている。この件に関しては同時代史料である『玉葉』の文治2年(1186年)7月25日の記事に彼の首が梟首されたことが記載されているので、具体的な事実関係は不明だが源義経より先に発見されて殺されており、源義経と一緒に死んだのはあくまでも『義経記』の演出に過ぎないようだ。
関連項目
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