悲壮感とは、
本記事では、1について解説する。
概要
「悲壮」とは、専門的な話をすると美学上の用語であり、美というものを幾つかの類型に分けた際の美的範疇の一種とされている。その中でも「滑稽(喜劇美)」の対立概念に位置づけられ、悲劇の中に見いだされる美(悲劇美)を指す。
悲哀や悲愴とも良く似ているが、これらの二語は単純な悲しさを表すものであり、それらとは違って悲壮は特に価値ある人物の破滅を目の当たりにした時に成り立つ言葉とされる。例えば物語の主人公が、自身の手ではどうしようもない原因(人間社会の構造、運命の悪戯)或いは超越的な存在(神など)によって挫折し、苦汁を舐めている時、それを視聴している私達は主人公に対して悲哀の感情を抱くだろう。それがただただ理不尽な悲運であるならば尚更である。
しかしその悲劇の中で、主人公が必死に足掻き前へと進む姿を示した時、私達はそこにある種の「崇高」を見出すことになる。苦難に立ち向かう人間の勇気に対する賛辞、いわゆる人間讃歌を感じ取った時、その物語は悲壮感の溢れるものとして私達の娯楽となるわけである。
なお悲劇を題材にした芸術は西洋、特にギリシャにて古来から発展してきたものである。歴史が長いために悲劇観の変遷に応じて悲壮の定義も多様となっており、個人の主観が関わることからそれが悲劇であるか否かについても解釈が分かれることがある。つまりある人は結末がハッピーエンドでないから悲劇と言い、ある人は破滅に至るまでの過程が滑稽だから喜劇と言う、ということもありえる。
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