賢明な読者ならお気づきのことだと思うが、この記事は「賢明な読者(読者諸兄/読者諸君)なら…」という言葉について説明している。
※賢明な読者なら記事全体を先に眺めて察したと思うが、大変読むのが面倒な記事なので、太字だけ読めば概略を理解できるようにした。
概要
賢明な読者なら使用例を思い出せると思うが、何らかの伏線を回収する、または前の文と関連する何かについて説明するなどの際に使う定型句である。
しかし、活字を好んで眺める読者ならお分かりであろうが、「『賢明な読者ならお気づきだろうが』と言われて気づいた経験がほとんどない」ということも多い。
賢明な読者ならお気づきだろうが、この言葉は「この文章を読んだ一部の賢明な読者だけが気づく」という意味で使われていることが多く、読者全員が賢明ということではない。
賢明な読者の中には気づかなかった者への煽りに感じるという人もいると思うが、伏線に気付かせる仕組みとして機能している、または「本当に気づいた人のことを、伏線等を考えた筆者よりおそらく頭が良いであろう『賢明な読者』として持ち上げる」などの筆者側の謙遜の意味で使われているとされることもある。
賢明な読者なら普段からそうしているだろうが、この文を見た場合は以前の内容を再度読み返して確認してみたりするといいかもしれない。
賢明な読者なら理解していると思うが、この記事のように初っ端からこの言葉を使うのは非常に稀である。賢明な読者なら実感しているだろうが、そもそもこの記事ほど「賢明な読者」を多用することはほとんどなく、仮に使いすぎた場合は非常に読みにくい文章になってしまうので注意が必要である。
初出?
スラングに詳しい読者は察しているだろうが、この言葉の初出は不明である。
ネット検索が得意な読者はGoogleで「賢明な読者 青空文庫」「賢明なる読者 青空文庫」で検索、あるいは、国立国会図書館デジタルコレクションにて「賢明な読者」「賢明なる読者」辺りで検索してみたと思う。当記事編集者がそこで出てきた研究論文からさらに参考文献をさかのぼって発見した中で最も古いのは雑誌「児童研究」(1898、明治31年)の創刊号の冒頭論文である(参考リンク)。
教育に関する思想界一般の趨勢は、今や那辺に向いて集注せんとするか。賢明なる読者は既に之を認知せるならん。見よ児童研究と名づくる新方面の研究は十九世紀の後半に起り将来二十世紀の教育界に於ては次第に研究の焦点たらんとするものあることを。恐らくは新教育学なるものが児童研究の上に建設せらるるの期あらんと信ずるは決して迷妄の期望にあらざるべし
ただし賢明なる読者はおわかりのことと思うが、これはあくまで「現時点(2021年10月時点)でニコニコ大百科編集者がインターネット上で確認した日本人著者の文書の中で最も古い例」でしかなく、さらに古い例も存在していたとみられる。
賢明な読者は既に気づいているかもしれないが、「日本人著者」と限定している通り、外国人著者のものも含めるとさらに古い例があり、デイヴィッド・ヒューム『人間本性論』(初出は1739年)の和訳版には以下のような記述がある(リンク)。
賢明な読者は、以上の体系を十分に明確に理解するには至らなくとも、同意することは容易だと分かるだろう。
この個所の原文は"an intelligent reader will find..."というものだったようである(リンク)。
I believe an intelligent reader will find less difficulty to assent to this system, than to comprehend it fully and distinctly, and will allow, after a little reflection, that every part carries its own proof along with it.
関連リンク
賢明な読者はお気づきだろうが、この記事はアンサイクロペディアで既出である。
関連項目
- 推理小説
- 江戸川乱歩 (この言い回しを多数の作品内で使用していると言われる)
- ニンジャスレイヤー (この言い回しが複数回使用されているほか、ときに類似した「読者の皆さんの中にニンジャ反射神経の持ち主がおられれば」と言った無茶振りも行う)
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