高階貴子単語

タカシナノキシ
  • 2
  • 0pt
掲示板へ

高階貴子たかしなの きし / たかこ、?~996?)とは、平安時代中期の女流歌人である。
官職名から高内侍(こうのないし)、子の周が儀同三を称したことから儀同三司母(ぎどうさんしのはは)とも呼ばれる。

概要

百人一首54番の作者で、女房三十六歌仙の一人。藤原道隆の妻で、藤原道雅祖母

代々学者を輩出した高階氏の出身で、円融天皇の内として宮中に仕えた。されるが、高階氏は藤原氏べて地位が低く、貴子・高階成忠も当初は身分が釣り合わないことを理由に不安視していた。また、は容姿・性格ともに女性受けが良く、赤染衛門姉妹をはじめライバルは多かった。

しかし、は最終的に貴子を妻にするを選び、終生にわたって正妻として彼女を大切にした。との間には藤原周、藤原隆家、定子など3男4女に恵まれ、定子が一条天皇の中宮となるなど、の中関白は大いに繁栄した。めでたし、めでたし。

・・・とは残念ながらいかなかった。最の夫・の飲み過ぎが原因で病死すると、彼女運命は一転する。子の周は藤原道長政治的に対立を深め、花山法皇を引いた事件が原因で、周とがそれぞれ太宰府出雲に左遷され、中関白落してしまう。一条天皇の寵以外に後ろい定子の身を案じながら、貴子は失意のうちに病する。の死からわずか翌年、まるで夫の後を追うような寂しい最期であった。

忘れじの 行く末までは かたけれは けふを限りの 命ともがな百人一首にも採用された貴子の詠んだ和歌である。夫にされている今日の内に死にたいという、なかなか情熱的な歌だが、彼女を裏切ることく、生涯にわたって愛した。しかし、その夫の死によって子供達の不幸を見届けざるを得なくなった彼女の思いはいかばかりだろうか。夫をはじめ、家族幸せでいる内に死ねなかったことが、貴子の心残りであっただろう。

関連動画

関連項目

【スポンサーリンク】

  • 2
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

山口剛央 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: Pyun Pyun
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

高階貴子

1 ななしのよっしん
2015/12/08(火) 15:39:06 ID: 22mYkDVllv
この人の和歌が一番好きだ
まあ自分はいつか来る不幸味わう前にっていう後ろ向きな共感だけれども
👍
高評価
0
👎
低評価
0

ニコニコニューストピックス