浅野幸長(1576~1613)とは、戦国時代の武将である。
概要
浅野長政と浅野長勝娘の間に近江坂本で生まれた。天正17年(1589年)に従五位下左京大夫に叙任され、小田原攻めでは三千の兵を引き連れて父親に従軍した。そのまま甲斐に置かれた父親から16万石を与えられたが、妻の姉が豊臣秀次の側室だったことから嫌疑をかけられ、秀次事件で能登津向に左遷された。とはいえ前田利家の娘とかつて婚約した関係から、前田利家・北政所の助力があったらしい。
慶長元年(1596年)に恩赦されると、朝鮮に渡海し、明軍と戦っていく。やがて豊臣秀吉が亡くなると、石田三成に敵対する七人衆といわれたともあるが、この辺の「実際にあったこと」の再生がまだ殴り合いになっているため、よくわかっていない。とはいえ、関ヶ原の戦いでは東軍に立ち、先手衆として活躍して紀伊国を与えられた。
従四位下紀伊守となった彼だが、加藤清正同様あくまでも豊臣秀頼の生き残りを優先していった。ところが38歳であっけなく亡くなり、嫡子がいなかったことから弟・浅野長晟が継いだものの、秀頼派の一翼の早世は、大坂の陣に影響を与えたとも。
補足
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 75 | 戦闘 | 73 | 智謀 | 57 | 政治 | 64 | 野望 | 42 | ||||
天翔記 | 戦才 | 158 | 智才 | 136 | 政才 | 154 | 魅力 | 76 | 野望 | 43 | ||||
将星録 | 戦闘 | 78 | 智謀 | 76 | 政治 | 77 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 61 | 戦闘 | 67 | 智謀 | 73 | 政治 | 77 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 56 | 智謀 | 66 | 政治 | 72 | 野望 | 49 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 57 | 知略 | 63 | 政治 | 62 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 57 | 知略 | 61 | 政治 | 62 | 教養 | 48 | ||||||
革新 | 統率 | 64 | 武勇 | 72 | 知略 | 68 | 政治 | 69 | ||||||
天道 | 統率 | 64 | 武勇 | 72 | 知略 | 68 | 政治 | 69 | ||||||
創造 | 統率 | 62 | 武勇 | 68 | 知略 | 66 | 政治 | 67 |
関連項目
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