エデンの園とは、
よく誤解されるが、エデンの園とエデンはイコールではない。「エデン」と言う地域に「園」があったと考えるのが正しいと思われる。
このエデンの園にはあらゆる種類の食用果実の木があり、その中にかの有名な「知恵の木」と「生命の木」がある。
詳細は各宗教によって違うが神(YHWH)は土より創造された最初の人間アダムをこのエデンの園に置かれ、園の木のうちからなんでも自由に実をとって食べても良いが知恵の木からは食べないことを命じ、アダムとともに生きるものとしてその肋骨からイブを造り、「産めよ、増えよ、地に満ち地を征服せよ。海の魚、空の鳥、地を這う生き物を支配せよ」と祝福したとされている。
その後、園で暮らしていたアダムとイブは知恵の木の実を食べてしまい、生命の木の実も食べることによって神の如くなるのを恐れた神によってエデンの東方に追放された。その後生命の木への道を守るためエデンの東にはケルビムと回転する炎の剣が置かれた。(→失楽園または楽園追放)
この神話からキリスト教における原罪の思想が生まれ、原罪のなかった頃に人が住んでいたエデンの園を理想郷や楽園とみなす考えが生まれた。
『創世記』によるとエデンの園は東の方にあるという。どこから見て、と言うのはこの場合古代ヘブライにおける神話であるので、現在のイスラエル・パレスチナから見てということになると思われる。イスラエル・パレスチナの東方と言うと現在の西アジア地域になる。
多くの説ではエデンはアルメニア(旧ソ連のため東ヨーロッパに含まれることもあるが西アジアの国)にあったとされる。さらに伝承によればアルメニアの首都エレバンにあったとされる。トルコ領ではあるがエレバンの近くにはノアの方舟の流れ着いたとされるアララト山もあり、何かと聖書と縁の深い土地なのかもしれない。
また、『創世記』によるとエデンから流れ出た川は四つに分かれていたといい、この内の2つがチグリス川とユーフラテス川であり、メソポタミア周辺地域であったのではないかという説もある。
最新のランドサットなどの衛星を使った宇宙考古学の知見によれば、ペルシャ湾は最終氷期の頃は陸地であったと考えられており、現在は海底に沈んでしまった地域にあるとする説もある。
紀元前2600年から紀元前2500年頃にメソポタミアの都市国家ラガシュとウンマの間で争われた「グ・エディン」または「グ・エディン・ナ」と呼ばれる地域(エディンは平野の意)がエデンのモデルではないかと言う説もある。
他にもインダスとメソポタミアの間の交易で栄えたディルムン(首都はバーレーンのバーレーン要塞)がモデルとする説や、人類の出アフリカの経路の一つと考えられるアデン湾周辺ではないかという意見もある。
いずれにせよ、豊かな土地へのあこがれが産んだ神話ということは言えそうである。
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/10/04(金) 21:00
最終更新:2024/10/04(金) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。