罪悪感(guilty conscience)とは、自分に対する嫌悪感情の一種である。
罪悪感とは、自分の行為が罪悪であると認識することによって、自分に対して嫌悪の感情を抱くことをいう。
「罪悪感に苛まれる(さいなまれる)、罪悪感を抱く」などと表現する。類似の表現は、「自責の念を持つ」「良心の呵責(かしゃく)を感じる」「悔悟(かいご)の情を持つ」である。
自分の行為が罪悪であると認識するというのは、要するに、「自分は誰かに迷惑を掛けた、自分は誰かに損害を与えた」と思い込むということである。
自分に対して嫌悪の感情を抱くというのは、自尊心の喪失や、自己嫌悪や、自己否定のことである。そうした感情を原因として、萎縮や弱気といった心的状態に陥る。
罪悪感は、道徳・倫理・人道・法律・規範を強く意識するときに発生する。
人というのは、やはり良心的な存在であり、道徳や倫理をかなり気にする種類の生命体である。もちろん、ごく少数の例外がいて、そういう例外はサイコパスと呼ばれるのだが、やはり道徳を気にする良心的な人の方が圧倒的に多い。
先述のように、一部の例外を除いて、人というのは道徳・倫理を強く意識する生命体であり、つまり罪悪感に苛まれやすい生物である。
このため、故意に相手の罪悪感を刺激して相手を弱気にさせ、相手を巧妙に支配するという技法が、人類社会の各所において広く見られる。これを罪悪感の刺激という。
最近では、モラルハラスメント(モラハラ)というのが社会問題として取り上げられているが、そのモラルハラスメントの1形態が、罪悪感の刺激である。
その手口としては、「あなたは周囲に対して迷惑を掛け、損害を与えた」と宣告するものが多い。その宣告に加え、「あなたの行為で、こちらはこんなにひどい損害を被った」といったように被害意識をみなぎらせた抗議を行う事も多い。
そのように罪悪感の刺激が行われ、かなり上手くいくと、罪悪感を刺激された人は息を呑み、表情を硬直させ、手が震え、足も震え、悔悟の情念が極まって頬に一筋の涙を流すことになる。
そして、心が弱気になり、自分の判断に自信を持てなくなり、判断力が一気に低下する。「罪の償い・贖い(あがない)として、こういった行動をしろ」と要求されたら、その要求に対して唯々諾々と従ってしまう。
人類社会には、罪悪感の刺激を上手に行う人たちが多く存在する。その中でも、技術が秀でている人々を紹介したい。
世界中に多く存在する宗教団体は、どれも罪悪感の刺激が上手である。
宗教団体の定義の1つは、戒律を備えていることとされる。その戒律にちょっとでも背くと、寄ってたかって犯罪者扱いして、目一杯罪悪感を刺激する。そうして団体内の秩序を維持する。
宗教団体は数多く存在するが、その中でも罪悪感の刺激が上手なのは、キリスト教最大派閥のカトリックである。
キリスト教は旧約聖書を信奉する。その中の創世記の第2章~第3章は、『アダムとイブの楽園追放』などと呼ばれており、とても有名である。神はアダムとイブを創造してエデンの園に住まわせていたが、「善悪を知る木の実」は絶対食べるなと厳命していた。ところが蛇にそそのかされたアダムとイブは善悪を知る木の実を食べてしまい、その罪で神はアダムとイブをエデンの園という楽園から追放するという罰を与えた(資料)。これをアダムとイブの原罪(original sin)という。
ここまでなら単なる昔話なのだが、キリスト教カトリックは「アダムとイブの原罪は、その子孫である人類全員にも受け継がれている。人類全員は原罪を負っている」という教義を展開した。人類はみんな犯罪者である、というのがカトリックの教義で、これは典型的な罪悪感の刺激といえるだろう。
ちなみに、「御先祖様の犯罪は、子孫に受け継がれる」という考え方は団体責任と呼ばれ、近代刑法において否定されている。近代刑法は責任主義を採用しており、個人責任の追求を大前提としている。つまり、先祖や親や兄弟の犯罪を背負う必要は全くない、というのが近代刑法だといえる。
さらにカトリックでは、一般信者に対しても「いままで行ってきた罪を告白せよ」と熱心に要求する。これを告解とかゆるしの秘跡という。教会の中に告解室というのを用意しておき、信者は神父に対して一対一で面接し、定期的に罪を白状せねばならない。
また、「キリストがゴルゴダの丘で処刑されたのは、全人類の罪を一身に背負ったからである」という解釈を好み、「罪を背負うことは尊い」という説法が行われる。
告解も「罪を背負うことは尊い」という教義も、罪悪感の刺激という点で共通している。
中世のカトリックは、免罪符というものを大々的に販売した。これは、罪悪感の刺激で弱気になり判断能力が低下した信者たちから金を巻き上げる制度である。これに反発して始まったのが宗教改革とされる。
1990年代の日本国政府が熱心に行った外交政策は土下座外交である。それを支えたのが自虐史観と呼ばれるもので、「戦前の日本は極悪非道の戦争犯罪をやらかした」という史観のことをいう。
平和条約(講和条約)を結んだらそれ以前のことは水に流して話題にしない、というのが国際外交における1つの常識なのだが、1990年代の日本国政府はその常識を覆し、平和条約を結んだ相手に土下座を繰り返していた。罪悪感の刺激があまりに進みすぎて、そういう国際常識を無視するほどの低劣な判断能力になったと見て良いだろう。
緊縮財政(財政再建)の推進者は、罪悪感の刺激が上手である。
緊縮財政をたった一言で言ってしまうと、国債発行の削減である。緊縮財政の推進者が「国債発行は将来の子孫に対して重い税負担を強いるもので、将来の子孫に大きな迷惑を掛ける罪深い行為である」と述べ立てて、国債発行を進めようとする人の罪悪感を刺激し、国債発行をやめさせようとする姿は、とても多く見られる。
ブラック企業というのは、会社の内部において罪悪感の刺激が活発に行われる。社員に対する罪悪感の刺激の方法は主に2通りに分けられる。
「お前が出勤しないと、店舗の経営が成り立たず、店舗が潰れ、会社に大迷惑がかかる」と社員に通告して、社員の「自分は会社に迷惑を掛けてはならない」という良心を利用し、薄給激務、長時間労働を強要するものが1つである。これは外食・小売系のブラック企業で多く見られる。
「お前は何も会社の売り上げに貢献していないのに、給料をただ貰いしようとしている。お前は会社の資産を食い潰しており、窃盗犯のようなものだ」と社員に通告して、社員の「自分は会社に迷惑を掛けてはならない」という良心を利用し、自爆営業(自腹営業ともいう。会社の商品を給料で大量購入する行為)を強要するものが1つである。これは営業系のブラック企業で多く見られる。
繰り返される罪悪感の刺激の先には「だから耐えなくてはいけない」「人格否定や罵倒が繰り返されるのは自分の責任」「自分の能力では休日出勤・休みなしのサービス残業だらけの薄給激務でも仕方ない」「他社も同じ」という洗脳が待っており、「嫌なら辞めればいい」という選択肢が出てきづらい。
社員の罪悪感を刺激して、社員を弱気にさせ、社員に対して不利益な行為を強要する・・・世の中のブラック企業は、そうした技法を体得している。
社員だけでなく、アルバイトに対し同様の行為を行う「ブラックバイト」も存在するため要注意。
ヤクザ(暴力団)、反社会的勢力は罪悪感の刺激が上手い。
ヤクザが金を取り立てるときは、相手の罪悪感を刺激し、「迷惑を掛けて申し訳ない」という気分を起こさせるのが常套手段である。
一部のヤクザは当たり屋(わざと交通事故を起こし、金を絞り上げる行為)をしているが、ここでも相手の罪悪感を目一杯刺激して、精神的に大きく動揺させ、判断能力を低下させるのがコツとなっている。近年は自動車に限らず、歩きスマホでろくに前を見ない人間も増えたため、目撃者役と結託し、歩きスマホをしている人間にぶつかるのは簡単。
クレーマー・モンスターペアレントなど。(それぞれ該当記事を参照)
店舗・企業、特に後者は学校・組織に対して行う。いかに幼稚でばかばかしい要求であろうと、「穏便に済ませる」「お客様は神様です」(誤用)「お客様が偉い」「疑うのは良くない」「こちらが折れても納得してもらう」といった日本独自の悪習が後押ししてしまう現状がある。
以上振り返ってみると、宗教家や政府関係者といった貴顕の人々だけでなく、ブラック企業やヤクザのような連中まで、人類社会の色んな階層において、罪悪感の刺激という手法が根付いていることがよく分かる。
考える隙を与えないよう間髪入れず、一方的に「お前が悪い」という雰囲気を形成してくるが、冷静に判断し、容易に雰囲気に流されて要求を飲む事がないようにしたい。
掲示板
14 ななしのよっしん
2023/08/24(木) 12:38:15 ID: 3mWac0lQak
「平和条約(講和条約)を結んだらそれ以前のことは水に流して話題にしない」なんて外交常識はない。
植民地支配時代の補償を求める国は多い。
15 ななしのよっしん
2023/09/16(土) 11:30:50 ID: gm26nXz+30
なろう歴史系だと、絶対弱肉強食、だから罪悪感が一切なくどんな虐殺も平気な人間以外生きる資格なし、になってるよなあ。
というか日本も国民主権だ。
国民全員、主権者として国家がやらなければならない鬼畜外道のすべてを背負う覚悟がいるわけだ。
16 ななしのよっしん
2024/03/01(金) 16:52:22 ID: eUrs0rWEIi
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最終更新:2024/11/21(木) 23:00
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