キム・クライシュテルスはベルギーの元女子テニス選手である。クリスターズ、クリステルス、クライスターズなどの表記揺れがある。
| Kim Clijsters | |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ベルギー |
| 出身地 | ベルギー:ビルゼン |
| 生年月日 | 1983年6月8日 |
| 身長 体重 |
174cm 68kg |
| 選手情報 | |
| 利き手 | 右 |
| バックハンド | 両手打ち |
| デビュー年 | 1997年 |
| 引退年 | 2012年 |
| テニス選手テンプレート | |
かつてジュスティーヌ・エナンとベルギーテニス最強の座を争った女子テニス選手。ウィリアムズ姉妹が全盛期の2002年、ツアー最終戦で姉妹二人を破って優勝したことで対抗馬としての期待を一身に集める。当時は姉妹にも打ち負けないだけのパワーがあり、かつ緩急を使って崩す技術もあるということでエナンよりも評価が高かった。しかし翌2003年の全仏オープン決勝でエナンとのベルギー対決に敗れたところから暗転していく。8月にはランキング1位に立ったものの、同年全米オープン、翌年全豪オープンと四大大会決勝でエナンにまさかの3連敗。それまで二人の対戦成績はほぼ互角だったが得意サーフェスがずれており、クレーではエナン、ハードではクライシュテルスが優勢だった。それにも関わらずのこの結果で「クライシュテルスはメンタルに難あり」の評価が強くなっていく。2004年の途中から故障離脱した後、2005年の全米オープンでようやく四大大会初優勝。しかし翌年も全仏オープン、ウィンブルドンと大事なところでエナンに勝てず、そのまま2007年にあっさり引退してしまう。彼女が引退までに四大大会シングルスで1回しか優勝できないなどとは、2000年代前半のテニスファンには信じがたい事態だった。
引退後、結婚して母親になっていたが、マルチナ・ヒンギスやリンゼイ・ダベンポートの復帰を見ていてやる気になったのか2009年に現役復帰。同年の全米オープンではワイルドカードでの出場ながらキャロライン・ウォズニアッキを下して見事優勝を果たす。同大会は2010年も連覇したあと、最終戦、翌2011年の全豪オープンと重要大会を抑えたことでランキングも1位に復帰した。かつてのメンタルが弱いという悪評も復帰後は完全に払拭していた。しかしその後は故障もあって勝ちあがれなくなっていく。2012年の全米オープンでイギリス期待の若手ローラ・ロブソンに敗れた試合を最後にラケットを置いた。
2003年まではダブルスにも力を入れており、杉山愛とのコンビでは全仏、ウィンブルドンで優勝した。この2人のコンビは2003年だけで10回の決勝進出、うち7回で優勝しており、この活躍でダブルスでもランキング1位を経験している。オーストラリアの男子テニス選手レイトン・ヒューイットとは2000年ごろから交際しており、2003年末には婚約までしていたのだが破局してしまった。最終的には別れたもののオーストラリアでは非常に人気が高く、オージー・キムと呼ばれたりもしていた。
同国のエナンとは仲が悪いと言われることが多かったが、実際のところはお互いただの同国選手で特別に仲が良かったり悪かったりしたわけではないらしい。ベルギーは国内に言語対立を抱えており、クライシュテルスがオランダ語圏出身なのに対してエナンはフランス語圏出身だったため、報道も自然と両地域の代理戦争的な性格を帯びてしまい対立を煽り気味だったようだ。
シングルス |
ダブルス
|
ダブルスでの優勝11回のうち7回を杉山とのコンピで挙げている。四大大会の決勝進出も全て杉山とのコンビだった。
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最終更新:2025/12/12(金) 17:00
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