ズデーテン地方とは、チェコ(ボヘミア、シレジア、モラヴィア)にあるドイツ国境沿いの地方のことである。チェコ語、スロバキア語で Sudety、ドイツ語ではSudetenland(ズデーテンラント)と呼ばれる。
からなる。
ボヘミア公国の公が神聖ローマ帝国皇帝の臣下となってから、ボヘミアは強烈にドイツ系の影響を受けることとなった。これは、1198年にボヘミアが王号へと昇格し帝国内におけるボヘミアの重要性が増したことでより顕著となった。
更に、14世紀からは王位はハプスブルク家、ルクセンブルク家などのドイツ系によって保持されるようになる。加えて、ドイツ東方植民によって東欧地域にはドイツ人の割合が増加していく。貴族階級もフス戦争の白山の戦いや三十年戦争のベーメン・プファルツ戦争で没落していき、ドイツ系で埋められた。この状況は、神聖ローマ帝国の終焉以後も、ハプスブルク帝冠の下に継続された。
第一次世界大戦で、オーストリア=ハンガリー二重君主国が崩壊すると、ボヘミアがモラヴィア、スロヴァキアを伴い、チェコスロヴァキアとして独立に至る。然し、数百年以上に亘るドイツ人支配の影響は早々に拭い去れるものではなく、国内には旧制に復することを目指す勢力が一定程度いたほか、300万人以上のドイツ人含め、国内には多くの少数派が居住しており、チェコスロヴァキアが独立後これらの少数派は即座に分離運動が開始された。
戦後ドイツの政権を握ったヒトラーとNSDAPはこうした状況と英仏の融和政策を利用しつつチェコスロヴァキアを圧迫していった。英国首相チェンバレンは、自国内の戦争回避の姿勢から、チェコスロヴァキアに圧力をかけつつ、ミュンヘンでヒトラーと会談をする(ミュンヘン会談、ミュンヘン協定)。この協定でチェコスロヴァキアはヒトラーの意見をほぼ無条件で飲まされ、ズデーテン地方はドイツ領ズテーテンラントとなった。この会談で自信を付けたヒトラーはチェコスロヴァキアの解体、メーメル要求、そして「ダンツィヒか戦争か」へと至る。
第二次世界大戦で、ドイツ敗北に伴い、再独立を果たしたチェコスロヴァキアの下にズデーテンランドを回復される。なお、ズデーテンランドのドイツ人はドイツ域内に追放/移送がなされており、この地域にはチェコ人が入って、再度民族問題が起こることはなくなった。とはいえ、ズデーテン・ドイツ人はチェコ政府に対し、補償を求めている。
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最終更新:2024/12/27(金) 09:00
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