セルゲイ・タネーエフ 単語


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セルゲイタネーエフ

セルゲイ・タネーエフとは、19世紀後半から20世紀にかけてのロシア作曲、ピアニスト、かつ音楽教育ロシアピアノ作曲がやたら対位法に凝るすべての元凶である。

なお、遠い戚に同じく作曲アレクサンドル・タネーエフがいる。

概要

1856年にロシアのウラジーミルで生まれる。しかし幼いころモスクワに移り住み、モスクワ音楽院開設時の生徒の一人となる。そこでは作曲チャイコフスキーに、ピアノルビンシテインことニコライ・ルビンシテインに学び、チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番のモスクワ初演時、第2番の世界初演時のソリストとしてもお染みである。

そのまま1878年に音楽院の教授となり、さらには数年にわたり院長も務めるなど教育者としても精力的に活動した。彼の子にあたるのがスクリャービンラフマニノフプロコフィエフメトネルといったロシア音楽界のそうそうたる顔ぶれであり、力の強さがうかがえる。ロシアが次第に革命に向かいつつある1915年スクリャービン葬儀で引いた風邪をこじらせて亡くなった。

音楽理論としての側面も持ち、作としてはとにかく対位法、何が何でも対位法という感じで、ルネサンス期の音楽バッハなどドイツ音楽に傾倒し、「ロシアブラームス」というあだ名までつけられている。そのためか民学からは距離を置いており、ロシア5人組とは折り合いが悪かったりする。
「ダマスコのイオアン」というロシア語で書かれたカンタータも有名である。
ちなみにピアニストなのだが、ピアノ協奏曲は途中で投げ出されていたりといった具合にほとんど作曲の方面では携わってはいない。

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