ヤッシャ・ハイフェッツ 単語

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ヤッシャハイフェッツ

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ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetzas 1901年2月2日 - 1987年12月10日)とは、20世紀を代表するヴァイオリン奏者の一人である。

概要

1901年 ロシア帝国領(現リトアニア領)ヴァルナに生まれる。

童の誉れは高く、3歳でヴァイオリンを習い始め、5歳音楽学院へ入学12歳ベルリンにてデビューを果たす。尚、児の頃、ヴァイオリン奏者のが音を外すと泣き出したというある意味酷い逸話が残っている。

1917年に勃発したロシア革命を避け、その後はアメリカ在住(1925年に市民権を獲得)のまま世界中を演奏旅行しつつ多数の録音を行った。また、晩年には後進の育成の為教をとるなどしている。

その超絶的な技巧から「ヴァイリニストの王」と称され、その憑り的なテクニックの前に、「当時のヴァイオリン奏者は例外なくハイフェッツ病にった」とさえ評されたようである。生まれついての天才も振らずに努し続けた結果とは言え酷い話である。技巧的な面からの評価やその他細かい点は、Wikipedia : ヤッシャ・ハイフェッツexitを参照のこと。

一方で、妥協を許さない演奏スタイルから、「冷たいヴァイリニスト」と評されることも少なくなかった。というのも、20世紀初頭のクラシック界では演奏者の個性を表現することが重視されており、彼の妥協を排した冷静な解釈に基く演奏は時流に沿わないものだったのである。現在では大量に残された当時の録音から、再評価されている。

尚、ニコニコ動画いてはパガニーニ作の「24の奇想曲」の演奏が特に有名であるが、ハイフェッツ本人はあまりパガニーニの曲を演奏したがらなかった模様である。

1972年演奏活動から退き、1987年ロサンゼルスにて死去した。

ハイフェッツ病

ハイフェッツの余りに隔絶した技巧の前に演奏をあきらめてしまったり、自分の技量に絶望したりする病のこと。悪化した場合、を手に取ることすら出来なくなる。ヴァイオリンの上達度に例して悪化する傾向にあるようである。

余談だが、ハイフェッツが13歳の頃、ベルリンにて行われた演奏を聴いたあるヴァイリニストが、同じく友人ヴァイリニストに「私も君もこれ(ヴァイオリン)を叩き割ってしまったほうがよさそうだ」とこぼしたそうであり、彼らが最初期の発症者だろう。

なおその彼らとは、カーティ音楽院院長を務めたアウアーの直子で、作曲編曲者、揮者としても名高いエフレムジンリストと、ウィーン高等音楽院を10歳で卒業しその2年後パリ高等音楽院をまた席で卒業、「の喜び」「の悲しみ」などの名曲を多数作曲演奏したことで有名なヴァイリニスト、フリッツクライスラー両氏である。

簡単に言えば、一般人にとっての上の存在であるジンリストクライスラー2名さえもあきれるほど彼の技巧は卓越していたということになる。

最近ではハイフェッツ症候群と名を変え、また世に広まっているとかいないとか。

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最終更新:2024/05/26(日) 16:00

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