天保2年(1831年)10月11日、長府藩士・小坂土佐九郎の次男に生まれる。幼名友三郎。諱は時治。
天保8年(1837年)田辺家の養子になり、藩校敬業館で学ぶ。後に復籍。
嘉永2年(1849年)長州本藩の藩校明倫館に入学。槍術に長け、宝蔵院流槍術を学び免許皆伝を得る。
安政5年(1858年)、藩主・毛利元周に従い江戸出府。以降元周の側近として累進する。
慶応2年(1866年)正月、藩主から情勢探索の命を受け坂本龍馬と京都に向かい、伏見の寺田屋で待機する。23日に幕府方の襲撃を受けた際には槍を取って応戦し、坂本を護衛して寺田屋を脱出。一旦別れた後薩摩藩邸に駆けつけて救援を求め、坂本の命を救った。この功績によ長州藩主からは刀を、長府藩主からは20石の加増を与えられた。第二次長州征伐においては高杉晋作指揮の下小倉藩と戦い勝利する。
坂本からもし自分の身に何かあったらお龍の面倒を見てくれるように頼まれており、坂本の死後お龍の世話をし、その後土佐の坂本家に送っている。
明治以後は豊浦(長府)藩権大参事を務めた後東京に赴き、長府毛利家の家扶、皇族北白川宮家の家令などを務めた。晩年は長府に戻って余生を送った。
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最終更新:2024/04/19(金) 10:00
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