中日ドラゴンズ #86 打撃コーチ |
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上田佳範 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県松本市 |
生年月日 | 1973年11月18日 |
身長 体重 |
188cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手、投手 |
プロ入り | 1991年 ドラフト1位 |
引退 | 2008年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
松商学園高等学校へ進学。チームのエースとして活躍し、3年時には春夏連続で甲子園大会に出場。春の甲子園大会では、鈴木一朗(イチロー)擁する愛工大名電高校や優勝候補であった天理高校などを次々と破り、松商学園65年ぶりの決勝進出。決勝戦は惜しくも敗れてしまったが、決勝進出の立役者となり、松商フィーバーの主役として注目を浴びた。夏の甲子園大会では、3試合連続完封勝利を達成し、四日市工業高校戦では延長16回を戦い抜いた末にサヨナラデットボールを肩に受け、準々決勝まで勝ち進んだ。
1991年ドラフト会議にて、日本ハムファイターズから1位指名を受け、入団。同期指名には片岡篤史・島崎毅らがいた。
甲子園大会での活躍から将来のエース候補と期待されたが、プロの壁にぶち当たり、入団から2年間は一軍登板なしに終わる。
1995年、初めて一軍に昇格すると、そのまま一軍に定着。106試合に出場し、打率.226、4本塁打、16打点を記録。
1996年、126試合に出場して7本塁打を放った一方、打率は.201と苦しんだ。
1997年、同年FA移籍で加入した落合博満から指導を受けると、課題であった確実性を改善。ライトのレギュラーに定着し、初めて規定打席に到達し、打率.300、6本塁打、39打点を記録。
その後もレギュラー格として活躍を続けたが、シャーマン・オバンドーやエンジェル・エチェバリアといった外野手登録の助っ人外国人選手の活躍や、中村豊・石本努・森本稀哲の台頭により出場機会が減少。更に実績十分の坪井智哉・新庄剛志などが加入した事により、2005年はわずか11試合の出場に終わった。
2005年シーズンオフ、戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトに参加。その後、中日ドラゴンズから声がかかり、入団テストを受けた後、中日入団が決まった。
移籍初年度の2006年、ベテランの井上一樹や新人の藤井淳志とライトのスタメン争いを繰り広げたが、レギュラーの座は井上に軍配が上がった。以降は守備固め中心に起用された。
引退後は古巣の中日や日本ハムの他に横浜DeNAベイスターズでもコーチを務めた。
走攻守、バランス良く兼ね備えた外野手。ポジショニングの良さと、正確かつ鋭い送球を長所としていた。
学生時代は、甲子園大会で劇的な展開で強豪チームを撃破していったチームのエースということもあり、アイドル的な人気を誇り、長野県内のローカルCMにも出演していた。
通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1027 | 2349 | 2058 | 226 | 486 | 37 | 192 | 36 | 45 | 12 | 208 | 25 | 494 | 46 | .236 | .312 |
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最終更新:2024/12/22(日) 21:00
最終更新:2024/12/22(日) 20:00
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