伊東長次 単語

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伊東長次(?~1629)とは、戦国時代の武将である。

概要

豊臣に使える大坂七手組の番頭の一人。通称は丹後守。

織田信長から羽柴秀吉に附けられた伊東長久の息子。生年は微妙にぶれており、『寛政重修諸譜』の永3年(1560年)、『備中岡田伊東譜』の治2年(1556年)、『伊東御系図』の治3年(1557年)の3通りある。さらに諱もぶれている。衣衆だったようで、中国攻めの初陣以来、羽柴秀吉織田信長から称賛されたほどの活躍を遂げていった。

以後も着実に出世していき、小田原攻めでは伊豆攻略戦で先駆けを遂げる。『武事記』によると堀田正高とともに会津征討に向かう徳川家康石田三成の挙兵を密告したらしいが、史実のもろもろと齬ができるのでたぶん創作であろう。関ヶ原の戦いにも福島正則と通じていたと後世子孫は書き残しているが、石田三成の前で他の豊臣秀頼の直臣らと西軍として取っているなど、いまいち二次史料同士で整合性が取れていなかったりする。

とりあえず関ヶ原の戦いの後に処罰されず、引き続き豊臣秀頼に仕えていた。大坂七手組の頭となった後は、片桐且元の退去の際命がけで彼と交渉に臨んでいった。以後、他の大坂七手組行動を共にしていくが、大坂城に戻れないまま奮戦し、脱出に成功する。この際、自邸に寄るものは敵味方問わず攻撃を仕掛けたため、全に裏切り行為とみなされた。

5月12日野田喜によって高野山に落ち延び、6月にはすでに幕府から許されている。以後備中に下向し、次男の伊東の系統が吉田として続いていった。また、四男の伊東長行の系統が幕臣として続いていく。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける伊東長実の力一覧。

久しぶりに大坂の陣再現した戦国立志伝で伊東長実名義で初登場した。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 戦闘 智謀 政治 野望
天翔記 戦才 智才 政才 野望
将星 戦闘 智謀 政治
烈風 采配 戦闘 智謀 政治
世記 采配 智謀 政治 野望
蒼天録 統率 知略 政治
下創世 統率 知略 政治 教養
革新 統率 武勇 知略 政治
統率 武勇 知略 政治
創造 統率 武勇 知略 政治
戦国立志伝 統率 60 武勇 52 知略 63 政治 44

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