1969年11月9日生まれ。石川県金沢市出身。日本競輪学校74期として94年にデビューする
高校時代から自転車競技で結果を残し、ソウル五輪を目指し日本大学に入学するものの在校中での出場はかなわなかった。しかしアマチュアで着々と力を付け、92年のバルセロナ五輪で1kmタイムトライアルとスプリントの2種目に出場を果たす。その後、当時は年齢制限のあった競輪学校に制限ギリギリで全科目免除で入学する。(在校成績は1位)
94年にデビューして以来パワーのある競争でトップレーサーへと成長するが、なかなかタイトルが獲れず当時の中部のエース格であった山田裕仁や山口幸二・富生兄弟の優勝をアシストするなど「ペースメーカー」と揶揄されることもあった。
しかし2002年のふるさとダービー松阪で特別競輪を初優勝すると、2003年の高松宮記念杯競輪で念願のGⅠ初優勝を果たす。その後2005年には寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント、2007年には東西王座戦(西王座戦)で完全優勝すると高松宮記念杯・寛仁親王牌と2つのGⅠで優勝を果たす。2008年から2010年までS級S班に選ばれていたが、2011年は再び1班に戻っている
先行・捲くりを得意とする自力型であり、40歳を越えた現在でもそのスタイルを続けている。爆発力のあるダッシュを武器に、豪快な競争を見せる。反面、番手(ラインの先頭選手の後ろ)に回った時のいわゆるヨコの動きに不安があり、中部の若手自力型が増えた現在でも別線を選ぶケースが多い。
石川県出身だが石川には競輪場がなく、日本競輪選手会には富山支部に所属している。ホームバンクは富山競輪場だが、普段の練習では石川の内灘町にある石川県立自転車競技場(通称でもある内灘自転車競技場と表記されることが多い)がホームとなる
公式プロフィールでは太ももの太さは74cmあり、競輪界一とも言われている。ちなみに、これは女性のウエストにも匹敵するほどである。
ニックネームは『社長』であり選手間のみならず競輪ファンなら知っている人が多いが、別に会社の社長ではない。
アニメが大好きな模様で、アキバにも詳しいとのこと。その勢いは公私を越え、レースで着るユニホームにケロロ軍曹がプリントされているほどである。しかもだいたい分かりやすいところ(おもに右腕)に・・・・・。おまけに、控え室近くにある自分のピストレーサーの前に願掛けの塩で星を作るなど、意外にもオタクな部分を見せている。
ケロロのプリントはなくなったが、今度は「けいおん!」に夢中の模様。さいたまスーパーアリーナで行なわれたライブイベント「Come with Me!!」に参戦したことを自身のブログで報告(参照
)。圧巻なのは、完全予約生産の秋山澪サイクルジャージ(公式)
を指定練習の場で堂々と着用したことである。ブログで報告(参照
)しただけでなく、スポーツ紙の記事になるなどオタク全開になっている。
本人曰く「検車場で見かけても、そっとしてほしい・・・」とのこと。若手選手から「どうしたんですかそれっ・・・」と聞かれたところ、本人は“どや顔”で応えたということ。一歩間違えれば「けいおん!」が「けいりん!」になりかねない事態まで来ている。なお、本人は上記の通り秋山澪ファンである。
記事作成者も生で見たが、指定練習の場(しかもその日は一般の方に公開)であれは確かに痛すぎる(笑)。
最後に確認するが、アレを着ているのはGⅠを獲った トップレーサーだということをお忘れなく。
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最終更新:2025/12/16(火) 21:00
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