金沢市 | |
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面積 | 467.77km2 |
市役所所在地 | 広坂 |
人口 | 約45万人 |
市長 | 山野之義 |
金沢市は、石川県の県庁所在地である。中核市に指定されている。
地理的には能登半島の印象が強い石川県であるが、金沢市は半島部ではなくその南の付け根の辺りに位置しており、県内区分では加賀地方に属する。
長い歴史を持つ都市で、かつて「加賀百万石」と呼ばれた加賀藩・前田家の居城、金沢城の城下町である。江戸時代には江戸(東京23区)・京(京都市)・大坂(大阪市)に次ぐ、人口第4位の都市であった。近代以降は学都・軍都として栄えた。第二次世界大戦では中小都市にまで空襲の被害が出たものの、金沢市には空襲の被害が全くなかった。このため、古くからの風情あふれる街並みを現代にも残している。
市域人口はおよそ45万人で、地方都市としては中規模であるが、実際はベッドタウンの白山市松任地区(旧松任市)、かほく市、野々市市、内灘町、津幡町などをひっくるめると、密接的な関係を持つ都市雇用圏人口で約74万人(しかも野々市市など比率30%以上のベッドタウンも)、小松都市圏を含めると都市圏人口で110万人に及ぶ(しかし、これで計算すると石川県人口の9割以上となってしまい、あまりに県内に歪みが生じる)など、人口70万代の政令指定都市に遜色ない規模を持っている。
中部地方とは山地によってやや隔絶されており、東北、近畿とも距離があるため、富山、石川、福井の3県で「北陸3県」と扱われることが多い。金沢市はその中心に位置するため各種の施設や企業の本社、支社が比較的多く、付近の都市と比べて都会的になっている。
北陸新幹線の開業によって首都圏からの観光客は増えたが、商業、経済的なつながりは依然京阪神圏が強く、または中京圏とも密接であり、大阪、名古屋、東京のいずれの都市からも特急1本、2時間30分で到着するという拠点性を持っている。金沢市に本社を持つ有名な企業にPC周辺機器の大手、アイ・オー・データ機器、北國銀行、大和、三谷産業、澁谷工業などがある。
中心地は香林坊や片町で、JR金沢駅からは2キロ弱離れた場所にある。JR金沢駅からは観光用の周遊バスを含め、多数のバス路線が出ており、中心市街地を結ぶ。
かつてはこの区間に路面電車も通っていたが、戦後になって交通量の激化に伴い廃止。しかし、兼六園や金沢城などといった観光資源を豊富に持っていたことで、駅前と香林坊の動線が弱まることはなく、空洞化もほとんど起きていない(詳しくは交通の項を参照)。また、CBDの規模は中核市としてはかなりの規模を誇り、面積だけでいえば新宿副都心並みに広い。
ニコニコ動画的には、2009年11月28日には、ニコニコ動画(9)の全国ツアーである「ニコニコ大会議2009-2010」が、更に2011年1月30日には、「ニコニコ大会議2010-11 全国ツアー ~ありがとう100万人~ in 金沢」がそれぞれ、市内柿木畠のホールで開催された。また、2012年にはニコニ公式キャラバンでニコニコ技術部オフが開催された金沢市民芸術村にニコニコカーが訪問した。
市民の多くが住む大半の区域は、市内を流れる2つの大きな川(犀川・浅野川)によってつくられた平野と河岸段丘で成り立っている。後述の兼六園や金沢城公園はその河岸段丘の1つである小立野(こだつの)台地の端に位置している。海岸部は鳥取ほどではないが、長く大きな砂丘が広がっている。残りは山林である。犀川の源流部にある犀滝は、道なき道を徒歩で1日がかりで行ってようやくたどりつくほど、山深いところにあるが、ここも金沢市域である。
気候は、年間を通して降水・降雪量の多い、典型的な日本海側気候であり、冬は太平洋側よりも雪が多く降る。
しかし、同じ北陸地方の県庁所在地である富山市や福井市と比べても、積雪量はそれほど多くはない。
年間雨日数全国1位の石川県というだけあって、1年を通して、日照時間が全国的に低く、曇天模様の日が多い。「弁当忘れても傘忘れるな」を地でいく天候である。
また、年間雷日数も同様に1位。日本海側気候であるため、夏よりも冬に雷が多い。曇天と雷鳴と風雪は、冬の風物詩である。また、特に冬の雷は一様にうるさく、ときには爆発事故でもあったのかというぐらいの轟音と地響きを伴うが、市民は気にしない。
小春日和の日には医王山や大門山、白山連峰(獅子吼高原)の美しい雪景色が見ることができる。
かつて「金沢の街は、曲がり角が たんとあるがや。」と言いながら、外人が小回りのきく軽自動車で狭いクランクを曲がり、細い路地を駆け抜けるという某軽自動車会社のCMがあったように、今でも中心市街地には自動車の通行が難しい道路が多くある。
これは城下町として整備されて以来、第二次世界大戦の空襲の被害を全く受けなかったからである。基本的に、金沢城公園が街の中心になっており、そこから放射状に道が伸びているため、道の構成そのものもちょっとわかりづらい。
自動車社会に入るようになって、ようやく片側2車線の幹線道路が整備されたものの、中央分離帯が無い、1車線分の間隔が狭い、変則的な交差点がある、交差点の右左折レーンが多い…などと、他の都市以上に特徴的な道路交通網である。金沢市民ですら、慣れるまで時間がかかるほどである。週末や連休などに、市内の運転に慣れないペーパードライバーなどが市中心部を自動車で回るのは時間の無駄である。
一方で、郊外部ではより高規格な道路が次々とできているものの、他の都市と同様、住宅地やロードサイド店が多いことなどから渋滞が各所で多くみられる。
公共交通機関としては、かつては路面電車が走っていたが1968年に廃止され、今ではバスが主体である。金沢駅や武蔵ヶ辻、香林坊、兼六園下といった中心市街地各所から放射線状にバス路線が伸びている。
また、観光やコミュニティ用に循環バスやシャトルバスが整備されており、兼六園シャトルやふらっとバス、城下まち 金沢周遊バスがその例である。
鉄道は先述の通り、路面電車が廃止されたが、北陸鉄道の浅野川線と石川線がある。北陸新幹線が金沢駅まで延伸した。JR在来線は北陸本線と七尾線があり、サンダーバード、しらさぎ、能登かがり火などの特急列車が運行されている。ほかに、IRいしかわ鉄道がある。なお、敦賀駅まで北陸新幹線の建設が決定していて、開業したときに並行する北陸本線は、IRいしかわ鉄道への経営分離が決まっている。
金沢城・兼六園などがある、古くから賑わってきた地域。が、最近ではキャパシティが限界を迎えている。
かつては田んぼばかりの地域だったが、バブル期以降再開発が激しくなった地域。もしバブルが続いていれば後述の50m道路沿い一帯が大繁華街になっていたと思われるが、現在ではむしろバブルの傷跡を多く残す。
しかし、北陸新幹線の開業が確定し間近に迫った現在、かつて駅の東側に存在した施設が移転してきたり、新たな商業施設の建設が決まったりと、再開発が活発化してきている。
車がないとアクセスが不便なうえ、これといって歴史的な建造物もないため、観光客は特に行く必要はない。
市中心部から見て、浅野川を挟んだ北側。ひがし茶屋街や、松井秀喜が在籍していた星稜高校、市内北東端の町、森本地区がある地区で、金沢城のちょうど北側に面している。
金沢市街地の東端~南端、医王山系の山々に沿う様に作られた新たな環状線は、2006年に全線開通し山側環状と呼ばれ、市内のアクセスを飛躍的に効率化した。
この道路に沿った地域は、今までは文字通り最果てのような場所だったが、開通と同時に一気に人が集まるようになり注目を浴び、活発な再開発が行われ始めている。
西金沢駅や北陸自動車道金沢西IC、西武緑地公園などがある地区。それなりに市街地ではあるが開発が既に成熟しており、郊外に当たる。
詳しくは 若い力 の項を参照。
掲示板
47 ななしのよっしん
2024/03/11(月) 10:02:40 ID: DCiYdEqTbB
北鉄バスの路線図が複雑怪奇すぎて理解出来ない
地元民以外で一見の観光客が利用するの不可能だろ
48 ななしのよっしん
2024/05/12(日) 09:23:01 ID: fs05dXQ8kM
金沢市は、ディズニーランドと同じか。ディズニーランドと違って、深掘りすればするほど面白いんだけどな。
まぁとはいえ食って行くには割り切らないといけないから、外から来る若者に楽しんで貰えているならいいことではあるか。
テーマパーク化する観光地としての金沢。
https://
>今年、金沢を訪れる観光客は、過去にない数に上っているようです。主要な観光スポットは人波があり、行列も目立ちます。客層もかつてない幅広さで、従来の中高年に加えて、若者たちやインバウンドの欧米人が目に見えて、印象的です。
>いま金沢で人気がある観光スポットは、「近江町市場」「金沢21世紀美術館」「ひがし茶屋街」といったところで、それぞれ背景や文脈が異なりますが、若者観光客にとって、そんなことはどうでもよく楽しさがあればそれでオッケーなのでしょう。
>つまり、そもそも、とか、もともとは、とか、そのような文物を支えている背景や文脈を追い求めていく作業は不要で、楽しく
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
49 ななしのよっしん
2025/01/29(水) 23:46:45 ID: Ee2pejPuoD
日本ではテロリスト、韓国では英雄と正反対の評価を受ける人物…日本に独立運動家の追悼館が設立へ
https://
1月29日、韓国SBSによると、その追悼館は「尹義士が1932年に上海での義挙を成功させた後、日本軍に連行され殉国した金沢市にて、今年4月に開館する予定」だという。
朝鮮半島が日本の植民地だった1932年4月29日(天皇誕生日)、尹奉吉は上海の日本人街にある虹口公園で行われた祝賀式典会場に侵入し、爆弾を投げて日本軍の要人2人などを殺害した。
この爆発で、後に外相となる重光葵が右足を失うなど、多数の死傷者が出ている。
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最終更新:2025/02/09(日) 23:00
最終更新:2025/02/09(日) 23:00
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