世界遺産である五箇山の合掌造り集落の地域にある一軒家。1958年(昭和33年)に国の重要有形文化財に指定されている。
岩瀬家は約300年前の江戸時代の頃に合掌造りで建設された住宅で、当時の加賀藩の塩硝上煮役(鉄砲火薬の原料である硝酸を製造する藩お抱えの役人)の藤井長右エ門が、天領(幕府の直轄地)であった飛騨白川郷に対して加賀百万石の威光を示すために約8年の月日をかけて建設したとされる。
また、岩瀬家と世界遺産に登録されている五箇山の相倉集落、菅沼集落と決定的に違う点が1点ある。それは、建材にケヤキ材を使っており、建設当初は武士階級にしか使用を認められていない希少価値のあった建材である。建設にあたって、塩硝上煮役という立場から特別に加賀藩から使用を許されたとされている。
このケヤキ材は殿様部屋と呼ばれる書院の間、武者隠しの間と呼ばれる奥書院の間、貴人の専用口として使用していた奥式台などで使われており、風光明媚な色合いで優雅な佇まいを演出している。
各階の床はすのこの平張りとなっている。これはかつて3階以上のフロアで養蚕業を営んでいたためで、1階にある囲炉裏のたき火の暖気が、最上階まで通るように設計されたからである。
2002年8月12日には皇族の秋篠宮家が一家揃って訪問された。翌年の2003年1月15日に開催された宮中歌会始の儀では、「暮し映す 合掌造りの 町並を 見つつ歩めり 妹と吾子らと」と滞在した時のことをしたためた歌を残されている。(この歌以外にも相倉集落などに別の歌碑などが残されている。)
| 建築構造 | 準5階建 木造建築 (合掌造り) |
創建年 | 江戸時代頃 | |
| 総体規模 |
間口 | 26.4m (14.5間) |
当主・ゆかりの人物 | 藤井長右エ門 |
| 奥行 | 12.7m (7間) |
|||
| 高さ | 14.4m (8間) |
|||
| 部屋数 | 20間 | |||
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/09(火) 07:00
最終更新:2025/12/09(火) 07:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。