| OB | |
|---|---|
| 戸叶尚 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 栃木県佐野市 |
| 生年月日 | 1975年2月4日 |
| 身長 体重 |
181cm 88kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1992年 ドラフト5位 |
| 引退 | 2006年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1975年2月4日生まれ。栃木県佐野市出身。小学4年時に本格的に野球を始めた。
佐野商業高等学校に進学。甲子園大会出場歴はないが、2年秋の県大会3位決定戦でノーヒットノーランを達成。3年時に練習試合で春の甲子園大会準優勝の東海大相模高校相手に完封勝利を挙げた事で、スカウトの目に止まった。
1992年ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから5位指名を受け入団。同期入団には佐伯貴弘・五十嵐英樹らがいた。
入団から2年間は一軍登板なし。
1995年、スリークォーター気味のサイドスローに転向。オールスター明けに初めての一軍昇格を果たし、同年は11試合に登板し、2勝を挙げた。
1996年、中継ぎ投手として19試合に登板。秋のキャンプでは新たにシンカーを習得した。
1997年、シンカーを覚えたことで投球の幅が広がり、先発ローテーションに定着。優勝を争うヤクルトスワローズ戦で5勝を挙げるなど、存在感を示し、10勝7敗、防御率4.11とブレイクを果たす。
1998年、開幕から不調に陥ったが、後半戦に入り復調。防御率は5.17と今一つながら、7勝8敗を記録。優勝を争う読売ジャイアンツ相手に24イニング連続無失点で3勝を挙げるなど巨人戦での活躍が目立ち、セ・リーグ制覇と日本一に貢献した。
1999年、防御率7.10とスランプに陥り、以降は低迷する。
2000年シーズンオフ、小川博文・杉本友とのトレードで進藤達哉らとともにオリックス・バファローズへトレード移籍。
オリックスでは主に中継ぎ投手として起用された。2001年、43試合に登板し、2勝4敗、防御率4.06と復調。2004年、40試合に登板し、4勝、防御率2.61と好成績を残した。
2004年シーズンオフ、オリックスと近鉄バファローズ両球団の合併に伴う分配ドラフトを経て、新球団の東北楽天ゴールデンイーグルス所属となる。
楽天初年度の2005年、12試合に登板して1ホールド、防御率5.52を記録。
しかし2006年、精巣癌を患い手術を受けた。術後の経過は良好であり、シーズン終盤には練習に復帰していたが、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトを受けたが、獲得球団は現れず、そのまま現役を引退した。
引退後、解説者としての活動を経て、現在は中学野球の指導者として活動している。
140km/h代後半の直球とスライダーやカーブ、シンカーを武器に活躍したサイドハンド。優勝を争うチーム相手に好投するなど、勝負強さを持っていた。
愛称は「トカピー」。自身のシンカーには「トカちゃんボール」と名付けていた。
| 通算:11年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 252 | 0 | 0 | 32 | 35 | 0 | 1 | .478 | 593.1 | 263 | 466 | 349 | 311 | 4.72 |
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最終更新:2025/12/05(金) 17:00
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