東急3450形とは、かつて東急電鉄に在籍した通勤電車である。本来3000系(初代)の形式の一つであるが、特に知名度が高いのでここで紹介する。
現在目黒線を走行している3000系については東急3000系をご参照いただきたい。
現在の東急電鉄の前身である目黒蒲田電鉄および東京横浜電鉄によって1931年から1936年にわたり製造され、モハ510形を名乗った。当初は両運転台であり、運転台にヒサシが取り付けられていた。また、運転台も先頭部3分の1であり、右側はオープンであった。日本車輛製と川崎重工製が存在したが、双方で設計に若干の差があり日本車輛製は前面が角ばっているので見分けが非常に容易であった。
その後、第二次世界大戦時における戦時統合によって形式が3450形へと変わり、戦後大部分の車両の片運転台化等が行われた。両運転台で残されたデハ3450・3498・3499はそれぞれ数奇な運命をたどった(後述)
その後、新玉川線(但し、営業時間外での走行はあり)を除く東急全線でその姿を見る事ができ、青ガエルこと5000系やダイヤモンドカット7200系が導入される中でも主力として活躍し続けた。その後、東横線や田園都市線と言った幹線の運用から外れると大井町線や目蒲線(現:目黒線の一部・東急多摩川線)、池上線と言った支線系統に転用されていった。
登場から50年以上と言う、鉄道車両の中でも非常に長きにわたって活躍していったが、老朽化の為に1989年を持って旅客運用を終了した。しかし、事業用としてはデハ3499が1993年まで活躍していた。
1950年代から60年代にかけて、ほとんどの車両は片運転台化されていったがデハ3450・3498・3499はそのまま両運転台で残された。これらの車両は通常の運用に加えて、検査時における代車(この当時は編成ごとではなく車両ごとと言うケースが存在した)として、またはマヤ34の動力車として活躍をした。
デハ3450はトップナンバー車であり、日本車輛製特有の角ばったスタイルが特徴であった。また、正面は片方が非貫通で、もう片方が貫通である独特の仕様となっていた。その為、先頭車の代車として利用される事が多かった。1989年に3000系系列引退と共に廃車、現在の東急の礎を築いた名車である事や記念すべきトップナンバーと言う事で登場当初のモハ510の形に復元、電車とバスの博物館に保存されている。
デハ3498は川崎重工製なので丸っこい前面である。昭和56年に荷物用車デワ3043に改造、荷物用電車として活躍する・・・かに見えたが、その翌年に荷物輸送が廃止となったので廃車となり、長津田車両工場で入替用電車として活躍した。長津田車両工場内では車籍のない機械扱いであった為、本線走行はかなわなかったが、目につくところに留置していたので非常に知られた存在であった。山側に存在する大きな扉が特徴であり、塗装は緑に黄色い帯が特徴であった。その後、退色が進んだために黄色と紺のツートンカラーとなり、コンプレッサーが大容量のものになるなど細かい変化があったが、2009年にアントと言われる入替用機械の導入により、お役御免となった。その後、動向が注目されたが残念ながら解体処分となってしまった。
デハ3499はラストナンバーであり、運転台の両面が貫通路となっているので先頭車であろうと中間車であろうとも仕事を選ばないオールマイティーぶりに定評があった。また、デハ3450と組んでマヤ34の動力車として活躍したり、新車搬入や中古車搬出における機関車代わり、1989年のデハ3450復元後は初代検測車であるデヤ3001の相方となってマヤ34をはさんだりした。3000系系列が営業運転を終了した後もデヤ3001と共に事業用として残っていたが、7200系アルミ車が検測車となると、いよいよお役御免となり1992年のスタンプラリー号をもって廃車となり、東急車輛に譲渡されて入替用として活躍した。その後こどもの国線で使用されていた7000系がその役を担うと運用を外れて、留置されていたが、解体の危機に際して有志の手により保存の為に搬出され、修復活動が行われている。
総数50両と雑多であった3000系系列としては突出して多く、様々な形態が存在した3450形であるが、その中でも非常に特徴的な車両がこのデハ3472である。この車両の大きな特徴は全金属製である事やヘッドランプが埋め込み式であるのと車体がノーシルノーヘッダーのすっきりとした車体である事である。
これは昭和40年代初頭に二子新地~二子玉川を走行中、ダンプカーと衝突して車体を著しく損傷した為、他系列の車体更新の為に製造されていた車体に交換された為である。当時、二子橋は名鉄のかつての犬山橋のように自動車と電車が同じ面で走る併用橋であり、こうした事故がしばしば起きていた。
3000系系列は多くが解体の運命をたどったが、保存される車両もあった。しかし、時代とともに解体される者もあり、現存数は少なくなりつつある。
およそ半世紀以上の長きにわたって東急線を走っていた為、鉄道ファン以外にもその姿は知られていた。今でも年配者を中心に「旧目蒲線&池上線=緑の電車」と言うイメージが沿線では浸透しており、目黒線を未だに目蒲線と言うような感覚でイメージされる事が多い。
都心の中においても下町情緒漂うこれらの路線を縫うようにトコトコ走る姿はそれだけでも風情があり、他の路線が最新鋭の車両になっていく中でまるで忘れ去られたかのようにオールドタイマーが走行する姿を歌謡曲の題材にされたほどであり、いかに地域に密着した存在であったかを伺わせる。
現在、東急多摩川線と池上線を走る7000系はもしかしたら緑の部分を3000系系列のオマージュとしていると思うのは考えすぎであろうか。
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最終更新:2024/12/22(日) 14:00
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