板倉勝重 単語

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イタクラカツシゲ

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板倉勝重(1545~1624)とは、戦国時代の武将である。

概要

徳川家康の譜代臣の一人。もとは深溝平氏家老で、室町幕府御一家渋川氏の末裔を称する。

板倉好重の次男に生まれ、学問に秀でていたこともあり、11歳の時に門に入れられ、「香誉宗哲」と号した。やがて中島の永安寺の住職となり、本来なら歴史の表舞台に立つことはなかった。

ところが1561年の善明の戦いで板倉好重が、1574年の高天神攻めで板倉定重が戦死し、病弱板倉忠重しかいなくなってしまったのである。こうして板倉の断絶を惜しんだ徳川家康の重ねての要請で還俗。渋川甚平として武士になったのである。

当初与えられた役下の検視であり、ここで優れたを発揮して、500石の駿河町奉行に抜されたのである。この際妻に、人を裁く職務につくのでを期すために口出しをしてはいけない、という頼みをしたと言われている。

そして、板倉勝重と名をめて、奉行の任についたところ、才を発揮。小田原奉行、関東地割奉行、江戸町奉行と出世を遂げ、千石高を得る。さらに関ヶ原の戦いが終わると、1601年に京都町奉行を経て、京都代となり、一万六千石の大名格となったのである。板倉勝重は京都とその周辺の行政法を兼ね備えたこの重役を担い、時には後水尾天皇にも諫言するほどに職務をこなしたとされる。

やがて、板倉勝重が亡くなると、遺骸は三河中島に送られ、長寺に葬られた。

補足

信長の野望」(PCシリーズにおける板倉勝重の力一覧。

まさに徳の内政屋筆頭である。

軍事 内政
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 政治 野望 教養
覇王 采配 45 戦闘 29 智謀 56 政治 78 野望 41
天翔記 戦才 50 智才 112 政才 156 65 野望 42
将星 戦闘 24 智謀 83 政治 88
烈風 采配 20 戦闘 24 智謀 72 政治 85
世記 采配 13 智謀 64 政治 78 野望 51
蒼天録 統率 13 知略 81 政治 81
下創世 統率 12 知略 70 政治 81 教養 81
革新 統率 14 武勇 10 知略 78 政治 90
統率 14 武勇 10 知略 78 政治 90
創造 統率 23 武勇 30 知略 77 政治 89

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