1974年1月9日生まれ。北海道斜里町出身。
元々はスピードスケートの選手で、長野オリンピックで金メダルを獲得した清水宏保とは同世代にあたる。2002年に行なわれたソルトレークシティオリンピックに出場し500mで8位入賞を果たす。その後オリンピック終了とともにスピードスケートから引退し、日本競輪学校に入学する。
競輪学校へは特別選抜制度として入学し、88期生として2003年7月にデビューを果たす。88期生には、山崎芳仁・佐藤友和・成田和也・渡邉一成・金成和幸・永井清史・南修二など、そうそうたる顔ぶれが揃っている。
2004年には3場所連続完全優勝でS級特進を果たす(当時の最速記録である)。S級に上がってからは快進撃を見せ、7月の寛仁親王牌ではGⅠ初出場ながらいきなり決勝進出を果たしている。その後もコンスタントに成績を重ね、2005年にはデビューから2年半でKEIRINグランプリの出場を果たす。
その後は特別競輪に出場しながらもなかなか結果が出ない日々が続いたが、2008年のふるさとダービー広島(GⅡ)で初めて特別競輪のタイトルを獲得する。同時に、この年限りで廃止となったふるさとダービーの最後の優勝者となった。そして迎えた2009年3月の日本選手権競輪(GⅠ)では後方からの捲くりで写真判定に持ち込み、微差という数センチ勝負を制し悲願のGⅠ初優勝を果たす。9月のオールスター競輪(GⅠ)では平原康多・神山雄一郎という強力ラインで挑み、見事2個目のGⅠタイトルを獲得する。満を持しして迎えたKEIRINグランプリ09だったが、海老根恵太の捲くり追い込みに敗れ2着という結果に終わった。
2010年以降も特別競輪などでコンスタントに成績を残し、2011年は2月の東西王座戦<東王座戦>(GⅡ)、4月の共同通信社杯・春一番(GⅡ)で優勝。そして2012年は東西王座戦<東王座戦>(GⅡ)の最後の王者に輝くと、故郷・北海道の函館で行なわれた6月高松宮記念杯競輪と12月の競輪祭で3年ぶりのGⅠ優勝を果たす。迎えたKEIRINグランプリ2012では堂々の一番人気に支持されるも不完全燃焼に終わり悲願達成はお預けとなった。
2013年は上半期こそ安定感溢れるレースを見せていたが、7月の高知での記念競輪で前を走る選手が先行しながら後ろを牽制し勝機を逸したことで追走義務違反の失格となり、その後のあっせん保留処分を経て9月から2013年いっぱいまでのあっせん停止処分が下された。これにより、グランプリ出場はおろか2009年から守ってきたS級S班の座を退くことになる。
デビューから一貫して先行・捲くりの自力型で、特にスタミナに関してはトップレーサーの中でも1・2位を争うほど群を抜いている。また自力だけでなく、番手に回った時でも差し脚を発揮するなどオールラウンドに動ける選手として活躍を見せている。ここ最近では目立った大崩れが少なく、4倍台の大ギアで使用してより安定感が出てきている。デビュー当時は29歳と、当時は年齢制限があった中で遅咲きではあったが現在でも自力型として第一線として活躍している。
他の競技から特別選抜制度から入学したのは、同じスピードスケート出身の植松仁(長野オリンピック銅メダル)に続いて2人目であった。卒業後は茨城を拠点として活動し、スピードスケート時代から指導を受けていた川村恵三に弟子入りをする。(川村は、アトランタオリンピック銅メダルの十文字貴信の師匠としても指導している)
武田が競輪で活躍するようになると、他の種目から競輪に挑戦する選手がさらに増えるようになった。武田の弟子である牛山貴広(92期)と今井裕介(93期)も、元々はスピードスケートの選手であった。
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最終更新:2024/11/27(水) 17:00
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