琉球王国のグスク及び関連遺産群とは、日本の世界遺産(文化遺産)である。2000年12月登録。
沖縄県・沖縄本島南部を中心に点在する9件の史跡などで構成される。
1429年から1879年にかけて沖縄地域に存在した琉球王国は、中国や日本、朝鮮半島、東南アジアと政治的・経済的・文化的交流を持っていた。これらの史跡は、琉球王国の文化的伝統を伝える考古学的遺跡であるとともに、沖縄の伝統的な信仰形態である自然崇拝・祖先崇拝の文化を今に伝えている。
このことが世界に評価され、2000年に世界遺産として登録された。
グスクとは、古琉球(グスク)時代の遺跡であり、本土の「城」にあたる。
ただし、「グスク」と「城」は性格が若干異なる。グスクの領域内には御嶽と呼ばれる聖地・拝所があり、多くの人が参拝に訪れる場所だったという。一般的に「城」は軍事拠点であるのに対し、「グスク」は必ずしも軍事的なものではなかったということが伺える。
また、本土の城にみられる石垣は直線的であるのに対して、グスクの城壁は地形に沿って美しい曲線を描いているなど、いくつかの違いがみられる。
名称 | 画像 | 所在地 | 概要 | 国指定文化財 | |
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今帰仁城跡 (なきじんじょうあと) |
sm26106354 |
今帰仁村 | 琉球王国成立以前の北山(沖縄本島北部)を支配していた北山王の居城。1609年の薩摩藩による琉球侵攻で戦火に見舞われている。 | ||
座喜味城跡 (ざきみじょうあと) |
sm26040699 |
読谷村 | 美しい切石積みの城壁やアーチ状の石門などが特徴的。戦時中は日本軍の砲台となり、戦後は米軍の通信基地となっていた。 |
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勝連城跡 (かつれんじょうあと) |
sm7415170 |
うるま市 | 勝連半島の付け根付近に位置している。丘陵地に作られた城で、高低差が大きい。世界遺産に登録されたグスク(城)の中では最も古いと考えられている。 |
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中城城跡 (なかぐすくじょうあと) |
sm26531383 |
北中城村 中城村 |
当時の貿易港だった屋宜港を望む丘陵地に築かれたグスク(城)。当時の遺構がよく残っており、ここに訪れたペリー提督も、その建築土木技術の高さに驚嘆したという。 | ||
首里城跡 (しゅりじょうあと) |
sm25981774 |
那覇市 | 琉球王朝の王城で日本100名城の一つ。中国の城の影響を大きく受けている。現在の復元された正殿などは世界遺産ではない。 |
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園比屋武御嶽石門 (そのひゃんうたきいしもん) |
画像募集中 | 那覇市 | 王家の聖地である森(園比屋武御嶽)の礼拝所。1519年、第二尚氏王統第3代王の尚真王のときに造られた。国王はここで礼拝をしてから琉球各地へと向かった。 |
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玉陵 (たまうどぅん) |
画像募集中 | 那覇市 | 琉球王国・第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓。墓室は三つに分かれ、洗骨前に遺骸を安置する中室、王と王妃の骨を納める東室、他の王族を納める西室となっている。 |
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識名園 (しきなえん) |
sm6926926 |
那覇市 | 中国と沖縄の折衷様式で建築された琉球庭園。王家の人々の保養や外国使臣の接待などに使われた。第二次世界大戦でほとんどの建造物が破壊されており、現在見られるものは復元である。 |
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斎場御嶽 (せーふぁうたき) |
sm26693979 |
南城市 | 正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」。「せーふぁ」とは「最高位」の意味であり、斎場御嶽は文字通り「琉球最高の聖地」となる。近年は観光客のマナー違反が問題となっている。 |
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最終更新:2024/03/29(金) 16:00
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