舞台少女とは、未来の舞台女優を目指す、キラめきに溢れた少女たちのことであり、二層展開式少女歌劇『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』に登場する概念である。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の劇中において、主人公ら聖翔音楽学園第99期生をはじめレヴューの舞台に立ちキラめきを放つ登場人物を指す「舞台少女」は象徴的な用語であり、ただ単に役者の卵であるとか演劇学校の学生というだけの意味に留まらない広義の概念を包含している。
狭義的には、テレビ版第1話で主人公の発言した「舞台に憧れ、舞台に生きることを選んだ少女たち」、「同じ舞台を創る仲間であり同じスタァを目指すライバル」という説明にあるように、スポットライトを浴びるスタァに憧れて“舞台に立つ生き方”を自ら選択した者、そして舞台に立つために学び舎で切磋琢磨する成長途上の舞台役者のことを指す。舞台少女は情熱を燃やし、キラめきを放って舞台の上に立つ。
一方で、作品の内外で実際に用いられるこの語の使用範囲は上述した定義だけで説明することができない。すなわち、どのようなポジションや身分、立場にある者が「舞台少女である」と明言したり定義したりできない使われ方をしている、ということである。
舞台の上で演じているにも関わらず「舞台少女ではない」・「舞台少女として死んでいる」とされることもあれば、舞台に立たない裏方や表舞台を離れた教師のような者であっても「舞台少女である」と見なされる場合もある。舞台少女であるかどうかを区別しているのは、「一度きりの舞台に全力で挑み、自身にできる最良を演じようと努力し続け、そして舞台を終えるたびに燃え尽きては、その炎の中からふたたび生まれ変わって何度もまた次の舞台に向かって立ち上がる」心持ちを抱いているかどうかである。愛城華恋の台詞「舞台少女は日々進化中」「一瞬で燃え上がるから、舞台少女は舞台に立つたびに新しく生まれ変わるの」に象徴される、全身全霊を尽くして遥かなる頂きへと挑み続ける姿勢こそが舞台少女を舞台少女たらしめているのである。
その点で、舞台少女とは精神性やある種の生き方・エートスを表す用語であるとも言えよう。
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の舞台版からアニメシリーズ、各種メディアミックスのコンテンツに至るまで、舞台少女という概念は作品の大きな支柱となっており、つねに「舞台少女とは何か」「舞台少女であるとはどういうことなのか」を自ら問い続けながら、登場人物の舞台少女たちは舞台の上で生き、キラめきに溢れる作品世界は紡がれてきた。舞台少女という生のあり方を知ることは、そのまま作品を深く理解していくことにも繋がるのである。
スタァライト九九組『舞台少女心得』は、曲名の直球そのままに舞台少女の生き様について歌った楽曲である。
歌詞中では「私たちは舞台少女 未完成の舞台少女」と謳い、「真ん中には常に愛を」「希望なぞって足を前へ」とその気質を言い表している。舞台少女は役を演じる役者についてのものだけではない、舞台少女は「生まれながら」舞台少女であって、いつも「未完成」である=成長の可能性を抱き続けている存在として歌われる。「世界は私たちの大きな舞台」という歌詞の通り、世界そのものを舞台として捉え、そのように生き続けるすべての人を舞台少女であるとして称える曲なのである。
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』では、主人公たち登場人物の学び舎からの卒業と巣立ちがテーマの一つとなり、舞台少女の概念の幅を広げ、世界に羽ばたいていく舞台少女たちの姿が語られた。同時に「舞台少女の死」が描かれ、舞台少女の精神性を失った登場人物は舞台少女として死んでしまうということが示唆された。
そのうえで、舞台の上に立つことの意味、舞台で生きるための決意を手にすることで、改めて舞台少女としての自分の立ち位置を見定めた彼女たちの生き様が描かれている。
また、劇中「大決起集会」シーンにおいて、A組の俳優育成科生徒とB組の舞台創造科生徒(裏方)とが一緒になって最後の舞台に向け奮起する様子が見られ、当該場面の劇伴が『舞台少女心得』をアレンジした楽曲であることも合わせて、「舞台少女存在としての裏方(B組生徒)」を強調している点が指摘される。
同様に、劇場版のラストシーンには、映画館の観客すらもまた「舞台少女存在」であることが演出されているのである。その真意は観る者一人ひとりの心の中に投げかけられたキラめきが伝えてくれる、舞台少女の有り様であると言えよう。
“ 私たちは 舞台少女 ”
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最終更新:2024/12/01(日) 13:00
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