長谷川昌幸(はせがわ まさゆき、1977年7月16日~)とは、茨城県出身の元プロ野球選手(投手)である。
(主に広島東洋カープ時代の)ファンからの愛称は「ハセガー」。
| OB | |
|---|---|
| 長谷川昌幸 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 茨城県神栖市 |
| 生年月日 | 1977年7月16日 |
| 身長 体重 |
185cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1995年ドラフト5位 |
| 引退 | 2011年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1995年にドラフト1位で入団。甲子園出場経験はないものの、素材は一級品という評価だった。
素材を大事に大事に磨きあげるため、異常なほど彼の身体を気遣った首脳陣は、プロの身体が出来るまでボールに触らせないという徹底した保護管理育成を行ったが、結果としてこれが大きく裏目に出てしまう。ようやくボールに触れるようになった時には、彼はピッチャーの自分としての投げ方を見失ってしまっていたのだ。この育成方針のミスが彼の今後にも大きく影を落とすことになる。
1997にはプロ初勝利を収め、2001年には9勝、2002年には13勝を挙げる(ただし被安打と失点はリーグワースト)など、期待の若手とされていた。
2005年は23試合に登板したが、2勝10敗と大きく負け越した。
2006年は中継ぎとして起用されていたが、シーズン終盤に先発投手が足りなくなったことで先発として起用された。
2007年は5勝止まりも100イニング以上投げ防御率2点台をマークし、完全復活かと思われた。
2008年は絶不調。あまりの打たれっぷりに、登板前から「長谷川花火大会」と称されるほどであった。
2009年は10試合の登板で3勝に留まったが、このうち2勝はロングリリーフで挙げている。
2010年、シーズン序盤に2試合登板するも、いずれも5回持たずにノックアウト。首脳陣もついにしびれを切らした。
2010年5月15日には迎祐一郎+金銭とのトレードでキダゴーこと喜田剛と共にオリックス・バファローズに移籍することになった。6試合の先発を任され、まずまずの投球を見せるも打線と上手くかみ合わず10年ぶりにシーズン未勝利に終わった。
2011年シーズンは二軍でも打ち込まれ、一軍に上がれないまま10月9日に戦力外通告を受け、現役を引退した。横浜に移籍した後の森笠と全く同じような幕切れとなった。
金銭トレードという事で森笠同様コーチ若しくは球団職員になると思われたが、2012年からは実業家として広島市内で鉄板焼き屋「はせ川」の経営や、時計の輸入販売などを行なっているようだ。
現在もカープ関係者のブログ等で飲み会の話題等が取り上げられる際、店や本人が度々登場する。
顔立ちは端正で、彼に高校時代を捧げた広島女子も少なくないとされているが、髪や乞食ヒゲが伸ばし放題なために「イケメン浮浪者」だとか「汚い浮浪者」とか呼ばれていた。
晩年の彼を一言で語る言葉「いつまでもたもたしてるんだ!」 by大下剛史
| 通算:14年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 209 | 130 | 8 | 1 | 42 | 61 | 0 | 9 | .408 | 900.1 | 347 | 688 | 497 | 444 | 4.44 |
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最終更新:2025/12/06(土) 13:00
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