京王線グリーン車とは、かつて京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が保有・運行していた旅客用車両の一群を指す呼び方である。国鉄(JR)のグリーン車とは異なる。
広義では京王が1962年まで導入していた、車体色にグリーン(のちライトグリーン)を纏った車両全般を指す。当記事においてはサイズが大型化された2600系・2700系・2000系・2010系の4系列および、サハ2500(2550)形について記述する。
京王線初の17m車で、デハ2600×10両とサハ2650×5両が、終戦直後の混乱が落ち着きはじめた1950年6月に登場した。先頭車前頭部は丸みのある非貫通3枚窓で、ノーシルノーヘッダーのスマートな外見を持つ。本来はもう少し早く登場する予定だったが、製造元の日立と京王の両者でのスト騒ぎで完成が遅れたようである。しかし、底面とホーム面の高低差が規定の38cmを超えてしまったためホームの打ち上げ工事で就役が遅れ、同年9月にMc-Mcの2両編成での運行が開始された。
実は搬入自体はデハ・サハともほぼ同時期だが、諸般の事情でサハの組み込みは1951年3月までずれ込み、ようやくMc-T-Mcの3両編成になった。サハは本来2000形(初代)の改造名義として台車を流用する予定だったようだが、結局国鉄の戦災客車からボッシュートしてきたTR11を改造して履かせている。車籍も新造扱いとなったようだ。
3両編成を基軸としつつ、他車とも柔軟に組んでいて、2両~6両編成などで幅広い運用に用いられた。
1953~62年にかけてデハ2700×24両、サハ2750×5両、クハ2770×14両の計43両が導入された。製造メーカーは東急車輛と日車。前系列の2600系より一回り大きく、全長17.7m、全幅2.7mである。先頭車前頭部は国鉄クハ86形の影響を受けた傾斜のある2枚窓で、裾にアンチクライマーが付く。側窓は幅広くなり明るさが増した。
走行機器については吊掛式を継続したが、主電動機出力は110kwにアップした。制動装置は当初自動ブレーキであったが、後に電磁直通ブレーキに換装されている。
当初は調布以西には入線できなかったが、1953年の調布~高幡不動間の各駅の改良により高幡不動まで、1954年のカーブ付け替えにより京王多摩川まで、1959年の高幡不動~東八王子(後の京王八王子)間の改良工事で東八王子まで入線可能になった。編成はかなり自由に組まれ、Mc-Mc、Mc-Mc-Mc、Mc-Tc、Mc-T-T-Mcなど、年ごとに組成が異なっていたほど。2600系などと混結されることも多かった。
1957年にデハ2000・デハ2050とも8両ずつの計16両が導入された。製造メーカーは2600系と同じく日立。サイズ・デザインとも2700系を引き継ぐが、アンチクライマーはない。
走行機器については平行カルダン駆動を初採用、主電動機出力は100kw、制動装置は当初自動ブレーキであったが、後に電磁直通ブレーキに換装されている。また発電ブレーキも実装された。
当初はMc-Mcの2両編成で運用されたが、その後は中型車(サハ2500)を挟んで3~5両編成を組むことがあった。1965年以降は2両編成に戻っている。
1959~62年にデハ2010・デハ2060とも16両ずつと、サハ2520・サハ2570とも6両ずつの計44両が導入された。製造メーカーは日立・日車・東急車輛。2000系の改良型で、外見上の差は少ないが、増備の途中で前照灯のシールドビーム2灯化や方向幕の設置が行われている。
走行機器については平行カルダン駆動を引き継ぎ、主電動機出力は110kwに戻った。制動装置は電制付自動ブレーキであったが、後に電磁直通ブレーキに換装されている。パンタグラフは当初から連結面寄りに設置している。
当初からMc2両の間に後述のサハ2500・2550(1のグループ)を挟んだ4両編成を組成したが、1962年製の4両編成4本は新製のサハ2520・2570を挟んでおり、編成美が整えられている。その後、中間車はサハ2500・2550(2のグループ)に置き換えられたほか、サハ2520・2570も4両が追加導入された。
2つのグループに分けられるが、いずれも2000系・2010系に組み込まれた付随車である。
当初は1、すなわち戦前生まれの中型車を再利用して長編成化を図っていたが、古さは否めず乗り心地もよくなかった。そこで5000系(初代)の増結用に5070系(のち5100系)を製造するに当たり、2700系から主要機器類を再利用し、その結果浮いた車体を中間車化し、適当な台車を履かせたのが2である。2の投入により1は順次運用から外れ、引退している。2の方は2010系に組み込まれ、車号もある程度そろえられたが、側窓や扉など随所に違いがある。
前照灯の2灯化はその後全ての先頭車に波及したが、お金が無いため、新しいシールドビーム2灯となったのは半数程度で、残りは外された旧前照灯を2灯並べるというケチな改造が行われた。
2010系の一部は昇圧後、導入直後の5000系(初代)に交じってアイボリーにエンジの帯を巻いて、優等種別に運用されるようになった。アイボリー化は2700系や2000系の一部にも波及したが、5000系(初代)の増備が進んだことにより、順次グリーンに戻った。特に2000系のアイボリー車は運行期間1年足らずというレアカラーであった。
2600系では1968年以降、他の3系列でも1972年以降は京王線各駅停車や支線の運用に転じ、京王線各駅停車では2010系4連+2700系or2000系2連の6両編成を、支線では2600系3連、2000系2連や2010系4連などで運用された。冷房改造はおこなわれず、6000系・7000系の増備に伴い、2600系は1977年、2700系は1981年、2000系は1983年、残った2010系も1984年11月までに引退した。2010系の一部は伊予鉄道に譲渡され、さらにその後銚子電気鉄道に転じている。
京王線の車両 |
現用車両: 7000系 ─ 8000系 ─ 9000系 ─ 5000系(新) |
引退車両: 中型車 ─ グリーン車(今ここ) ─ 5000系 ─ 6000系 |
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最終更新:2025/01/08(水) 19:00
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