京王帝都電鉄の中型車 単語

ケイオウテイトデンテツノチュウガタシャ

6.7千文字の記事

京王帝都電鉄(当時)における「」とは、体長13m~15mで戦前に製造された車両の総称であり、具体的には2000形(初代)~2500形(初代)とデハ2500、220形の事をす。その体長にちなみ「14m」と呼ばれることもある。

サハ2500形(2代)は中改造であるが、その特性2010系に分類されると思われるので当記事では記述しない。

概要

とりあえずこの項では各車両概要と戦災前の経過について述べる。戦災後の経過については複雑なので変遷の項で後述する。

なお、2000形(初代)は「2000形」と、2000系(2代)は「2000系」と表記する。

2000形

元玉南1形で、1926年登場。モハ(デハ)1~6が日製で、7~10が雨宮製。モハ4~6,9,10は荷物室付きだった。本形式のみ木造。屋根ダブルルーフなのが特徴。

1957年に登場した2000系(しつこいようだが2代)とは関係。

玉南が京王に吸収合併された後形式名がモハ→デハとなり、大東急時の改番でデハ1~10→デハ20012010となった。1940年に2ドア→3ドア化、1943年に全片運転台化。荷物室もいつしか撤去されたが、時期は不明。

2110形

1927年登場。本形式から半鋼製になった。見た2000形と同じ・・・ように見えるがそうでもない。雨宮製。

大東急時の改番でデハ111~122→デハ2111~2122となった。1940年~41年にかけて2ドア→3ドア化、1943年に全片運転台化。

木造だったせいか2000形が全体的にんだ印だったのに対し、本形式はかなり締まりがある印になった。

2150形

1929年1930年にかけて御陵線の開業に合わせ登場。雨宮製。

外観は2110形とど変わらないが、柱の太さが微妙に違う。

登場当初はクロスシートで、四新宿(当時)~御陵前間を結ぶ定員制(有料)急行という、今の京王ではありえないような列車に使用されていた。

しかし、1937年日中戦争が開戦、そんなご時世でのんきにクロスシートなんぞ走らせている場合ではなくなり、1940年ロングシート&3ドア化、1943年にデハ164,165を除き片運転台化され、他の中と混用されるようになった。大東急時にデハ151165→デハ2151~2165と改番された。

2125形

1933年登場。日製。

本形式から屋根シングルルーフとなり、配置も結構変わった。

すでに150形が登場しているのに、なぜ125形という形式名にしたかというと、当時の中の人く、

「当初は120形を考えていたが、110形と150形のん中ということで5をつけて125形とした」

とのこと。

毎度おなじみ大東急時の改番でデハ125130→デハ2125~2130となった。1940年~41年にかけて2ドア→3ドア化。片運転台化は行われなかった。

2200形

1934年登場。2125形とは台車が違うくらいで後はどなにも変わらない。たぶん。

またしても大東急時の改番でデハ201206→デハ2201~2206となった。1940年~41年にかけて2ドア→3ドア化。

2300形

1934年登場。2200形とは配置が違うくらいで後はなにも変わらない。

大東急時の改番でデハ301306→デハ2301~2306となった。1940年~41年にかけて2ドア→3ドア化、1943年に全片運転台化。

2400形

1940年登場。2200・2300形とは配置が違うくらいで後はあまり変わらないが、中の集大成のような車両人気があった。

登場当初は時期が時期だけに豆腐資材不足でクハ代用であったが、1942年に電装。登場当初から3ドアである。

例のごとく大東急時の改番でデハ401~410→デハ2401~2410となった。

2500形(初代)

デハ2500とデハ2501~2504では生い立ちが全く異なるので別々に解説する。

なお、籍上は同一形式として扱われていたようである。

デハ2500

1931年の御陵線開業に合わせ、(天皇や他の皇族専用車両)として製造。雨宮製。

しかし、お隣中央線多摩御陵参拝用の東浅川が開業、皇族がそちらを使うようになってしまったため1938年に3ドア化、ロングシート改造を受け、一般車となった。おのれ省電

デハ2501~2504とは本来関係であるが、前述のように籍上は同一形式として扱われていたようだ。ただし、機器類は2150形デハ2161~2165とほぼ同じと思われる。

大東急時の改番でデハ500→デハ2500となった。

デハ2501~2504

電動貨車(京急にあるデトみたいな)の台と機器類を流用してうまいこと旅客車両に仕立てあげた改造

デハ501が木南で1939年製造、デハ502~504が鉢で1940年製造。

なぜすでにデハ500が登場しているのにその続番としたのかについては、あくまで編者の推測だが「600形にするのも番がもったいないし、デハ500一般車改造したから続番でいいんじゃね」ということだろう。

デハ502~504はなんと台が一部露出していた。デハ501は種が違うので台は露出していない。

1943年にデハ501が片運転台化改造を受けた。デハ502~504は元から片運転台である。

大東急時の改番でデハ501~504→デハ2501~2504となった。

変遷

以上のとおり、大東急への吸収時に改番された以外は特に大きな変化はなく運用されていたが、1945年5月8月の2度の襲がこの中群の運命を変えた。

デハ2117~2119・2121・2157・2163・2205・2304・2305・24072500・2501の13両が5月に、2151が8月に焼失、また1946年1月にデハ2122・2201・2502が、1947年2月にはデハ2126が火災で焼失した。

これらの車両は、当時を知る古沢明氏によれば「ずらっと並んだ戦災車両はどれも錆び付き、焼けただれた組み、側だけの姿で、ペンキで書きなぐられた号のみからかすかに羅災前の勇姿をぶことができる状態であった」という。

その後、デハ2117~2119・2122・2151・2157・2163(全てダブルルー)が1946~47年に中小メーカー出張により工場(当時)の隅で鋼体を叩き直して復旧され、残った車両(全てシングルルー)は1949年に台のみ流用、体を日本車輌が新製した上で復旧された。デハ2500と2501・2502はこの時にほぼ同一仕様になっている。

初期に復旧されたデハ2118・2119はダブルルーフ当時の高さのままシングルルーフで復旧されたため国鉄20系客車のような(実際はもっと不恰好だが)外観になり、ファンから「タコ坊主」「食パン」と揶揄された。実は食パン電車はこちらのほうが先である。このうち、デハ2119は千歳烏山駅で3回脱線し、調の結果台が40mmんでいることが発覚したため休の後1954年となった。当初は解体した後屑鉄屋に売り払う予定だったそうだが(これも古沢明氏談)、日本鉄道自動車(後の東洋工機)が底的に修理しモハ7として庄内交通に譲渡された。

また、2000形は老朽化がしく、デハ2008の数カ前にサハ化され他もそれに続くかと思われたが結局2600系・2700系に代わられ同じく1954年になった。その後、デハ2001・2004は台チキに流用、デハ20032009東急輛により江ノ電300系305Fに台に流用、デハ2002・200720102700系のサハに台車を流用し、デハ2006はデハ18として松本電気鉄道(後のアルピコ交通)に譲渡、1960年代に更新され1986年まで使用された。

1955年には2110形が台車不具合のために全サハ化され、当時の最新台車TS-103に履き替えファンを驚かせた(JR103系ボルスタレス台車を履いているようなものである)。電装品は2125形等に流用され出力アップに貢献した。

他の車両は18mにまじり運用されていたが、京王線1500V昇圧が決定すると大半の車両がサハ2500形(2代)に改造され2000系や2010系のサハとして組み込まれた。当初は更新された戦災復旧改造されていたが、次第にダブルルーなども改造されていった。2200形、2300形(後述のデハ2201・デハ2307を除く)は実に全改造されている。番号が被る2500形(初代)はデハ2500~2503が2500形(2代)に改造、デハ2504はデハ2307に改番された。また、デハ2201はサハ2110に改造・改番されている。

残った車両は一部の2110形・2150形・2125形と叩き直した戦災復旧や経年の浅い2400形(戦災復旧であるデハ2407を除く)、及び改造から外れたデハ2307の31両で、戦災復旧のデハ2110・2117・2118・2121・2122・2126・2151・2157・2163が台車流用ついでに1962~63年にになり、また原形のデハ23072162が1963年2月7月になった他は昇圧前日の1963年8月3日まで使用され有終の美を飾った。

その後、デハ2402・2404・2408の3両が京福電気鉄道に譲渡されホデハ261~263に、デハ2405が庄内交通に譲渡され前述のモハ7に続きモハ8となり、またデハ2125が角栄交通越後交通に譲渡されモハ3005となった。また、デハ2130・2401・2409・2410が後述の220形に改造された。それ以外の車両は順次解体された。

その後、2500形(2代)サハ2507が前照等を復元した上で元のデハ2115に番を書き直し京王遊園に保存された。パンタグラフもない手抜き仕様だったが子どもたちの遊び相手としては活躍したようだ。しかし、結局数年後に解体された。

…と、ここまでgdgdと文章を書いてきたが、これではわかりづらいと思うので以下のとおり各の変遷を表にまとめた。

変遷表

2500形(2代)に改造された車両はその改造年を、それ以外の車両年を載せている。なお、備考欄が欄の車両2500形(2代)台車を供出している可性がある。

戦災復旧 改造 (改造)年 備考
2001 (チキ271) 1954年 後台台車チキ271へ流用
 2002  - 台車2700系サハへ流用
2003 - 後台江ノ電300系に流用
 2004  (チキ272) 後台台車チキ272へ流用
 2005  -
 2006  - 松本電気鉄道へ譲渡、デハ18となる
 2007  - 台車2700系サハへ流用
2008 - になる半年前にサハ化される
 2009  - 後台江ノ電300系に流用
2010 - 台車2700系サハへ流用
2111 サハ2531 1962年  
 211 サハ2505  
2113 サハ2532  
 211 サハ2506  
2115 サハ2507  
 211 1963年
 211 1962年 台車2700系サハ2754へ流用
 211 タコ坊主
台車2700系サハ2755へ流用
2119 1954年 タコ坊主
庄内交通へ譲渡、モハ7となり1975年
2120 - 1963年
2121 台車2500形(2代)サハ2575へ流用
2122   台車2500形(2代)サハ2576へ流用
2151   1962年 台車2500形(2代)サハ2524へ流用
2152   サハ2555 1961年  
2153 サハ2582
2154 サハ2508
2155   サハ2558  
2156   サハ2557  
2157   1962年 台車2500形(2代)サハ2525へ流用
2158   サハ2556 1961年  
2159   サハ2581  
2160   1963年
2161    
2162  
2163   1962年 台車2500形(2代)サハ2526へ流用
2164   1963年
2165    
2125   越後交通に譲渡、モハ3005となり数年後に
2126   1962年 晩年は運転台を撤去し中間
台車2500形(2代)サハ2523へ流用
2127   1963年  
2128      
2129      
2130     事故復旧により運転台全室化
後に220系クハ231に改造
2201   1962年 晩年は台車を履き替えサハ2110に改造・改番
台車2500形(2代)サハ2523へ流用
2202 サハ2559
2203 サハ2560  
2204   サハ2561
2205 サハ2554 1960年  
2206   サハ2562 1962年  
2301 サハ2509  
2302   サハ2510  
2303   サハ2511  
2304 サハ2552 1960年  
2305 サハ2553  
2306   サハ2512 1962年  
2401     1963年  事故復旧により運転台全室化
後に220系デハ221に改造
2402     京福電気鉄道に譲渡、ホデハ262となる
2403      
2404      京福電気鉄道に譲渡、ホデハ263となる
2405     前に地下化された新宿駅の習熟運転に使用
庄内交通に譲渡、モハ8となる
2406      
2407 サハ2504 1960年  
2408     1963年 京福電気鉄道に譲渡、ホデハ261となる 
2409     220系クハ232として復活
2410     220系デハ222として復活
2500 サハ2503 1960年
後に3ドア化・ロングシート化され一般車となる
2501 サハ2501 貨車101
1939年にデハ501(2501)に改造
2502 サハ2551 貨車102
1939年にデハ502(2502)に改造
2503   サハ2502 貨車103
1939年にデハ503(2503)に改造
2504 1963年 貨車104
1939年にデハ504(2504)に改造
1960年にデハ2307に改番

220系

デハ24012130は解体されずに残り、井の頭線車両から機器を流用して1500V化されそれぞれ220系デハ221、クハ231として1964年京王5000系と共に工した。

その後、籍を抹消され工場(当時)に放置されていたデハ2409、2410もクハ232、デハ222として整備の上同じく1964年復活し、2編成になり動物園線競馬場線で使用された。

体は少しでも良い印を与えるためか5000系と同じアイボリーにエンジ帯の塗装となり(登場当初は緑色だったが)、動物園線を走行するときは側面に動物をあしらった看板をつけていた。

また、内はほとんど変わらないものの運転台が全室となった。ちなみに、デハ221、クハ231はデハ24012130時代に踏切事故の復旧を行った関係で元から全室である。

ちなみに、なぜ形式名が「220系」になったかというと、当時の京王中の人が「14mだから事業用と同じ3ケタの番号でいいんじゃね」と考えたかららしい。

しかし、ATSの設置が事実不可能だったため1969年された。

保存車両

その後、デハ222がデハ2410に復元の上多摩動物公園駅前に展示された後、京王資料館に移動し、一の中として保存されてきた。一般には非開であったが、実は以前は多摩テックの観覧車からデハ2410のほか、2010系デハ20155000系クハ5723を遠に見ることができた。もっとも、多摩テック自体が閉園したため京王資料館の一般開時以外は見ることができなくなった。

2013年の「京王れーるランドリニューアルにより、他の車両とともに京王資料館から移動し展示されている。実に15年ぶりの多摩動物公園駅前への帰還である。但し古い車両のため立ち入りに制限がある。

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関連項目

京王線車両
現用車両 7000系8000系9000系5000系(新)
引退車両 中型車(今ここ) ─ グリーン車5000系6000系

参考文献

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