トウショウボーイ 単語


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トウショウボーイ

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天馬、空をゆく。

天性のスピードと華麗を極めたフォーム。

翔ぶがごとくにゴールを駆け抜けるその姿は、

まさに"速さの象徴"だった。

JRA「ヒーロー列伝」No.13 トウショウボーイ

トウショウボーイ とは、1973年生まれの競走馬。「天馬」と呼ばれた名馬である。テンポイント、グリーングラスと共にTTG三強と並び称された。1984年、顕彰馬に選出されている。

通算成績15戦10勝[10-3-1-1]

主な勝ち鞍
1976年:皐月賞(八大競走)、有馬記念(八大競走)、神戸新聞杯、京都新聞杯
1977年:宝塚記念、高松宮杯

1976年優駿賞最優秀4歳牡馬、年度代表馬

天馬

父テスコボーイ 母ソシアルバターフライ 母父Your Hostという血統。テスコボーイは当時のリーディングサイアー。母は既に重賞勝ち馬を出している名繁殖牝馬。当時考え得る限り最高に近い良血馬として、トウショウボーイは生まれた。生まれた時から素晴らしい馬体をしており、育つに従って若駒なのに風格すら漂わせるその姿に牧場の期待も最高潮。「クラシックの一つや二つは堅い!」と思われていたと言うのだからすごい話である。

しかしながら、同時にトウショウボーイは競走馬になれないかもと噂されてもいた。それは腰が甘かった(踏ん張りが利かないという意)からで、あまりに雄大な馬格の割りに筋肉の発達が追いつかず、フラフラしていたのである。

それゆえ、当初は茂木為二郎厩舎に入る予定が保田隆芳厩舎に変更とデビュー前からドタバタが発生。入厩後も笹針の効果で体調面の問題は解決したものの調教はゆっくりにならざるを得ず、2歳時は競馬に出ず年明けデビューに向けじっくりと調教を積まれた。

デビュー戦は3歳の1月31日。出走過多で年明け早々のデビューは断念し、クラシック出走にはギリギリのタイミングでのデビューとなったものの、ここを期待通り完勝する。ちなみに、ここには後にボーイとの間に三冠馬ミスターシービーを生むことになるシービークインと後のライバルグリーングラスが出走しており、伝説の新馬戦の一つに数えられることもある。

つくし賞とれんげ賞を楽勝し、関東の大将格として皐月賞へと向かった。ここには関西で圧勝を繰り返し「関西の期待」と呼ばれたテンポイントが出走してきていた。なお、テンポイントはすでに阪神3歳ステークスなどの重賞勝鞍があった事もあり、当レースの一番人気となった(ちなみに、トウショウボーイが一番人気でなかったレースは当レースを含め3つあるが、その全ての一番人気は全てテンポイントである)。

しかし、トウショウボーイはここで直線楽々抜け出すと、レースレコードで完勝した。テンポイントは5馬身離された二着。厩務員のストライキの影響で日程が狂い、テンポイントの調子落ちが噂されていたとはいえ、レコードで圧勝したのだから文句は言えない。「クラシックの一つや二つ」が早くも実現したのであった。

次の狙いは当然ダービーだった。陣営は絶対の自信を持ってボーイを送り出す。しかしここにダービーの魔が潜んでいた。あまりの絶好調さから「せめて見せ場だけでも」との思いから逃げようとした格下馬を馬なりで先行を許さず、「前年のカブラヤオーを超える逃げ切り勝利確実か?」と思われた。ところが、さぁここからと思われた最後の直線で、闘将と言われた加賀武見騎手鞍上のクライムカイザーの出し抜きを食らってしまう。怯んだトウショウボーイが外によれもたつくを尻目にそのまま一気に抜け出すと、直線半ばで体制を立て直し追い込んだトウショウボーイを振り切ってゴールに飛び込んだのだった。

「併せられると怯む」という弱点を突かれ一敗地にまみれたトウショウボーイは、北海道でのリフレッシュ効果の確認もかね札幌記念に出走。奇しくもクライムカイザーも参戦することとなり早くも雪辱の機会となったが、札幌競馬場に入場人員記録となる観客のプレッシャーからかまさかの出遅れで負けてしまう。このミスで、デビュー以来騎乗していた池上昌弘騎手は降ろされることになる。

二ヶ月休養の後、トウショウボーイは当時「天才」の名を欲しい侭にしていた福永洋一騎手を鞍上に迎える。そして神戸新聞杯に出走したのだが、このレースが凄かった。直線で福永騎手に促されると、優雅なフォームで一気に加速するトウショウボーイ。クライムカイザーが必死に食い付こうとするも差は開く一方。5馬身差をつけて悠々勝利した。タイムはなんと1分58秒9の2000m日本レコード。当時の馬場では有り得ないようなタイムに実況の杉本清アナウンサーは「恐ろしい時計です!」と叫んだ。

続く京都新聞杯もクライムカイザーをしのいで優勝。ちなみにクライムカイザーはダービー後、一回もトウショウボーイに先着出来ず、それどころか優勝からも見放されて「史上最弱のダービー馬」候補とまで言われてしまうようになる。この馬にとって最大の不幸はトウショウボーイと同時代に生まれたことであろう。

そして菊花賞。トウショウボーイは一番人気に支持されたが、福永騎手はこの時既にトウショウボーイの調子落ちを感じていた。案の定、レースでは直線でテンポイントに置いていかれ、離された3着に終わった。優勝は2日前に回避馬が出て繰り上りで滑り込んで来たグリーングラスで、この菊花賞がTTG3頭が揃った最初のレースである。

続けてトウショウボーイは3歳最後のレースとして有馬記念に出走。鞍上はこのレースから武邦彦(武豊のお父さん)騎手。この時、本来はオーナーお気に入りの中島啓之に騎乗依頼をしようとしたも断られ後釜に難渋していたところ、関東ではなじみが薄かった武騎手(関西の騎手)を大川慶次郎氏がトウショウボーイ陣営に勧めたという話がある。

このレースは天皇賞馬が三頭も出る豪華メンバーだったのだが、トウショウボーイは直線一気に抜け出して、テンポイントの追い込みを抑えて完勝。優勝タイム2分34秒は当時の2500m日本レコードだった。3歳馬が有馬記念で1・2フィニッシュを決めたのは史上初。この二頭がいかにずば抜けていたかということである。トウショウボーイはこの年、年度代表馬に選出された。

4歳になったトウショウボーイだったが、前年の疲労が抜けず、結局春はほぼ全休。その間に行われた天皇賞ではテンポイントが念願のタイトルを手にしていた。そして宝塚記念。まだまだ本調子ではなかったトウショウボーイと、イケイケなテンポイントの対決となった。一番人気はテンポイント。

レースはトウショウボーイ先頭で、前半はスローに進んだ。テンポイントはこれをぴったりとマーク。しかし、1000m地点でゴーサインを出されたトウショウボーイは、なんと後半の1000mを57秒6という当時の1000mレコードを上回るタイムで駆け抜けたのである。これには流石のテンポイントも付いて行くのがやっと。またもライバル対決はトウショウボーイに軍配が上がったのであった。

高松宮杯も苦手の不良馬場を克服して勝ち、見習い騎手の黛幸弘を鞍上にどんなタイムが出るかという興味だけで出走した1600mの平場オープン戦(現在はオープン戦は全て重賞かリステッドか特別であるが、かつては平場オープンも施行されており、八大競走を勝ったような一流馬でも見習い騎手を乗せて斤量を減らして出走することができた)では、当時の日本レコード1分33秒6という寒気がするようなタイムで優勝。そして、残していたタイトルである天皇賞(秋)へ向かった。もちろん、当時は東京3200mである。

ところがここではなぜか、グリーングラスと先頭を張り合いほとんど暴走気味に吹っ飛ばして、直線では二頭してズブズブ。7着に終わった。武騎手は馬場が悪かったと言ったらしいが、どう考えても乗り方が(ry。まぁ、距離もボーイには長かったのだろう。

トウショウボーイはこの年で引退を決めており、引退レースは有馬記念を予定していた。そこには、最後の雪辱のチャンスに向けて鍛えに鍛え、充実の秋を迎えてビカビカな馬体を見せ付けてテンポイントが待ち構えていたのである。対するトウショウボーイは連戦の疲労でボロボロ。筋肉注射とマッサージをしてレースに向かう有様だった。しかしそれでも挑戦を受けて立つのが王者の矜持であろう。

その有馬記念ではスタートから二頭でぶっ飛ばし、後続は付いて行くのがやっと。どうしてもここで勝負をつけたいテンポイントと、負けるわけにはいかないトウショウボーイの意地がぶつかり合う物凄いレースとなった。

そして直線。一気に抜け出したテンポイントを驚異的な粘りで懸命に差し返すトウショウボーイ。そこにグリーングラスが外から追い込んでくる。しかし、わずかに及ばず二着。最後の最後でテンポイントに先着を許したのだった。しかし、道中テンポイントにマークされながらも、堂々と受けて立った誇り高きレース振りは、テンポイントびいきで知られる実況の杉本清アナウンサーをして「しかし、流石にトウショウボーイも強かった!」と言わしめた。

なお、この年の中山競馬場の内埒沿いの馬場状態は前年に比べ悪く、埒を頼ることで爆発力を発揮するグリーングラスですら最後の直線で内埒沿いを走るのを躊躇った程であった。この馬場状態の差が、荒れ馬場特性とスタミナに難のあるトウショウボーイに災いしたと言う一面もある(もっとも、本来より余計な距離を走らされたのにもかかわらず前年の優勝タイムとの差は1秒半遅れの2分35秒5。余計に走った距離が100メートルだとしたら、馬場問題がなければ第49回でゼンノロブロイが記録した2分30秒切りのバケモノタイムを先取りしていた可能性すらある)。

ちなみに、後にTTGと呼ばれるトウショウボーイ、テンポイント、グリーングラスは、三頭揃って出走したレースでは常に上位を独占して他を圧倒した。三頭が三頭とも年度代表馬に選ばれているのだから、そこらの「三強」とは訳が違うのである。

通算成績15戦10勝。道悪下手という弱点と各所に故障を抱えながらも、強力なライバルの中で残した成績としては素晴らしいものであろう。特に1600m、2000m、2500mで当時の日本レコードを出しており、完調時のスピードは凄まじいの一言だった。競馬関係者が現在でも「サラブレッドの理想」と褒め称える馬体。首を伸ばして飛ぶように走る優雅極まりないフォーム。人懐っこく賢い気性。あらゆる面で彼は「天馬」の名に相応しかった。

しかしながら、彼の物語はここで終わりではなかったのである。

お助けボーイ

「天馬」らしくということで国内では初となる飛行機輸送が行われ、北海道で種牡馬入りしたトウショウボーイ。当時は内国産種牡馬はまだまだ不人気で、ダービーも天皇賞も取れなかったトウショウボーイは必ずしも大きな期待をされていたわけではなかった。彼は日高軽種馬農協で種牡馬入りしたのであるが、予定配合数を集めるのも苦労し、集まった牝馬も質が悪いものばかりだったという。

ところが二年目産駒からあのミスターシービーが出るのである。ちなみにミスターシービーの母は前述のシービークインであるのだが、実は種付け権がないにも拘らず「こんな良血牝馬、トウショウボーイのためにも逃すべきではない」と担当者が無断で種付けを許可したのだそうである。そのため、後でばれて散々怒られたらしい。しかしミスターシービーの活躍でトウショウボーイの種牡馬としての評価は大きく上がったのだった。

トウショウボーイ産駒はその後も良く走った。毎年のように重賞勝ち馬を出すだけでなく、非常に高い勝ち上がり率を誇り「くずを出さない」という評判をとった。これは高い金を出して馬を買う馬主にとっても有難いことで、トウショウボーイ産駒は大人気となったのである。

トウショウボーイは組合所有の種馬であったので、種付け料は最高でも350万円と、全盛期のサンデーサイレンスが2500万円だったことを考えると非常に低く抑えられていた。それでいて奇形でない牡馬なら最低3000万円で売れたというのだから、牧場としてはローリスク・ハイリターンもいいところだったのだ。

神様仏様、お助けボーイ様」と崇められるのも当たり前である。トウショウボーイのおかげで破産を免れた牧場が数多くあったという。それだけではなく、トウショウボーイの活躍は内国産種牡馬の評価を大きく高めた。最近の競走馬たちが以前に比べればはるかに容易に種牡馬入り出来、また見切られ難くなったのも、すべてトウショウボーイの活躍のおかげなのである。

1992年、トウショウボーイは蹄葉炎を発症。懸命な治療の甲斐無く症状が悪化。日高中の生産者の悲嘆の声に見送られながら、安楽死の処置がとられた。19歳だった。

父系子孫はミスターシービーの失敗もあり、既に残っていない。しかし日高の牧場中に残された牝馬の子孫は当分残り、これからも大レースを賑わせることであろう。

競走馬としても種牡馬としても偉大極まりない足跡を残した名馬トウショウボーイ。彼こそサラブレッドの中のサラブレッドである。

血統表

*テスコボーイ
Tesco Boy
1963 黒鹿毛
Princely Gift 
1951 鹿毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
Suncourt
1952 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
トウショウボーイ
1973 鹿毛
Selene
Inquisition Dastur
Jury
Your Host
1947 栗毛
Alibhai Hyperion
Teresina
Boudoir Mahmoud
*ソシアルバターフライ
Social Butterfly
1957 鹿毛
FNo.1-w
Kampala
Wisteria
1948 黒鹿毛
Easton Dark Legend
Phaona
Blue Cyprus Blue Larkspur
Peggy Porter
競走馬の4代血統表

クロスHyperion 3×4(18.75)、Blenheim 5×5(6.25%)、Pharos=Fairway 5×5(6.25%)

  • 父テスコボーイは11戦5勝で1966年クイーンアンS・ローズオブヨークSなどマイルを中心に活躍した。1978年・1979年リーディングサイアー。
  • 母ソシアルバターフライはアメリカで8戦2勝だが重賞実績はない。1970年代~1980年代にかけてソシアルバターフライ牝系が活躍したが、現在は活力が失われている。産駒はほかにトウショウピット(父パーソロン、関屋記念・中山記念など)がいる。
  • 母父Your Hostは23戦13勝で、1949年デルマーフューチュリティ・1950年サンタアニアダービー優勝など。

主な産駒

  • ダイゼンキング(1980年産 牡 1982年阪神3歳ステークス)
  • ミスターシービー(1980年産 牡 1983年皐月賞・東京優駿・菊花賞 1984年天皇賞(秋))
  • パッシングショット(1985年産 牝 1990年マイルチャンピオンシップ)
  • アラホウトク(1985年産 牝 1988年桜花賞)
  • サクラホクトオー(1986年産 牡 1988年朝日杯3歳ステークス)
  • ダイイチルビー (1987年産 牝 1991年安田記念・スプリンターズステークス)
  • シスタートウショウ(1988年産 牝 1991年桜花賞)

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