グランドマーチス 単語

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グランドマーチス

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グランドマーチスとは、1969年生まれの日本の元競走馬種牡馬である。フジノオーに続く史上2頭中山大障害4連覇を達成し、日本で初めて獲得賞金3億円を越え、7年間にわたり中央競馬の賞金王になっていた。また障害競走を39戦走り落しという大記録から「飛越の天才」と称された名である。1985年障害競走勝ちからJRA顕彰馬に選出された。

な勝ち
1973年:万葉ステークス[1]
1974年:中山大障害(春)中山大障害(秋)京都障害()
1975年:中山大障害(春)中山大障害(秋)京都障害()、京都障害()

1974年優駿賞最優秀障害
1975年優駿賞最優秀障害

概要

*ネヴァービートミスギンオー、*ライジンライトは半1962年セントレジャーを勝ったヘザーセットがいる良血。半ボールドアンドブレーヴと共に種牡馬として日本に輸入され成功を収めた。は未出走で繁殖入り。そのライジンライトジョッキークラブS1着、セントレジャー2着とそこそこ成績を収めた、1933年英ダービーHyperion産駒である。

競馬好きの皆さんはJRA顕彰馬リストを見て、違和感を感じたことはないだろうか。
例えば、ディープインパクトならな戦績に「クラシック三冠天皇賞(春)宝塚記念ジャパンカップ有馬記念」と書いてあるように、G1勝ちの実績が書いてある。

が、このグランドマーチスの戦績を見て「おや?」と思った人。
その疑問は正しい。
なぜなら、このな戦績は中山大障害4回」なのである。
そう、この障害競走を走りながら顕彰馬に選ばれた一のなのである。

1969年に生まれたグランドマーチスは、元々は厩舎内でも注であり、当時の天才福永洋一騎手新馬戦に出走した時には、その週の追い切りで1番時計を出したこともあり1番人気に推されたものの惨敗している。
まあ、この普通障害の例に漏れず地では……と言いたいところだが、この障害入り直前の1973年万葉ステークスを勝っている。当時の万葉ステークス準オープンレースであったが、その準オープンレースを勝ったことは、この地力があったことの明になるのではないだろうか。

しかし、何故そんな地でも十分通用する障害競走に出すことになったのか。
これには、理由が二つある。

1つは、この祖母ハクレイ中山大障害優勝であったこと。
そして、もう1つが当時厩舎に所属していた騎手寺井千万基という人物がいたことがある。
寺井は減量苦などもあり、デビューした時から障害競走専門の免許で乗っていた。ところが、当時その厩舎には障害競走を走っているがいなかったため、調教師が彼のためにと1頭の障害競走に転向させた。それが、グランドマーチスである。

さて、障害競走転向後のグランドマーチスだが、最初の1年は障害競走13戦で3勝とはっきり言うと優秀なんだかなんだか、よくわからない成績であった。

ところが、翌1974年になってグランドマーチスは覚醒する。
翌年、中山大障害を勝ち重賞制覇をすると、その年は京都障害中山大障害優勝する。(補足だが、当時は中山グランドジャンプなんてレースはなく、中山大障害2回に分かれて行われていた。この他にも東京障害特別・京都障害阪神障害ステークスという重賞はあったが、これらも全て2回に分けられて行われていた)
この結果を受け、最優秀障害に選ばれた。

そして、翌1975年。グランドマーチスは手のつけようがなくなる。
というのは、前年の京都障害ステークスから始まった連勝が、京都障害ステークス京都障害中山オープン中山大障害京都障害ステークス京都障害オープン中山障害ステークス中山大障害京都障害……と、全盛期テイエムオペラオーディープインパクトの連勝記録を作った。
なお、これは障害競走である。
もう1度言う。障害競走である。(大切なことなので2回言いました
何を言ってるんだ、こいつは?と思った方は、是非その戦績を見てほしい。もし、外部リンクの全戦績を見たら驚くと思う。

ただし、その次走の障害ステークスでは72キロという斤量も応えたか6着に敗戦。(この年一の敗戦)それでも、京都障害中山大障害を制しており、この年も最優秀障害に選ばれている。

1976年中山大障害5連覇を中山大障害に出走したものの、兵エリモイーグルに敗れ5連覇は成らず。(この時JRA斤量規定を変えており、元々は『中山大障害勝ちは2キロ増』だったが、『中山大障害勝ちは1勝ごとに2キロ増』となっており、66キロで出走していた)
さらに、4連覇をした京都障害で9着に惨敗。レース中に故障を発生していたことがわかり、引退

地では24戦4勝、障害競走では39戦19勝(障害競走での落は0)という成績を残し、岩手県で乗用の種牡馬として活動したが、1984年甲状腺がんのため死亡享年15歳

その死から20年後の2004年
JRAは50周年ということで『JRAゴールデンジュビリーキャンペーン』と銘打ち、毎週1頭の名を冠した「名メモリアル競走」を行った。その中で、京都ジャンプステークス(前身が京都障害)の行われた週で『グランドマーチスメモリアル』が行われた。

ゴーカイなど名ジャンパーと呼ばれるは数いれど、顕彰馬にまで選ばれ、メモリアルレースが組まれた障害競走日本ではこのくらいではなかろうか。今後ここまでの配偶を得られるがいたとしたらただ一頭、オジュウチョウサンくらいなものである。

血統表

*ネヴァービート
Never Beat
1960 栃栗毛
Never Say Die
1951 栗毛
Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
Brode Elect
1952 黒鹿毛
Big Game Bahram
Myrobella
Netherton Maid Nearco
Phase
ミスギンオー
1958 栗毛
FNo.4-d
*ライジンライト
Rising Light
1942 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Bread Card Manna
Book Debt
ハクレイ
1952 鹿毛
*プリメロ Blandford
Athasi
ハクコウ
レイコウ
競走馬の4代血統表

クロスNearco 4×4(12.5%)、Blandford 5×4(9.38%)

関連動画

これの3番がグランドマーチスである。    中山大障害での走り!

関連リンク

関連項目

JRA顕彰馬
クモハタ - セントライト - クリフジ - トキツカゼ - トサミドリ - トキノミノル - メイヂヒカリ - ハクチカラ -
セイユウ - コダマ - シンザン - スピードシンボリ - タケシバオー - グランドマーチス - ハイセイコー -
トウショウボーイ - テンポイント - マルゼンスキー - ミスターシービー - シンボリルドルフ - メジロラモーヌ -
オグリキャップ - メジロマックイーン - トウカイテイオー - ナリタブライアン - タイキシャトル - エルコンドルパサー -
テイエムオペラオー - キングカメハメハ - ディープインパクト - ウオッカ - オルフェーヴル - ロードカナロア -
ジェンティルドンナ - キタサンブラック - アーモンドアイ - コントレイル
競馬テンプレート

脚注

  1. *当時は700万下
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