井上晴哉(1989年7月3日~)とは、千葉ロッテマリーンズに所属しているプロ野球選手である。
愛称は「アジャ」・「アジャ井上」等。
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高校時代は1年生の頃から4番を打ち、高校通算で31本塁打を放ったが高校自体は強豪校ではなかったため、井上自身も県大会準優勝という結果がベストに終わっている。
高校卒業後は中央大学に進学、ここでも1年の春から4番を打ち、1年の秋には一部リーグの昇格に貢献し、2年生の秋では打率.359で首位打者とベストナインを獲得した他、長打率.513もリーグトップを記録。
3年の春でも打率.354、3本塁打15打点でベストナインを獲得、また大学日本代表にも選出されたが、世界選手権では出場はわずか3試合で、1安打2四球という結果に終わっている。
その後はやや不振に陥った時期もあったが、大学通算で打率.285、9本塁打44打点という成績を残しプロからも注目されたが、自身の実力不足を理由にプロ志望届は出さずに社会人の日本生命に入社した。
日本生命では1年目は5番だったが、2年目に4番打者に抜擢され、19試合で打率.397、5本塁打25打点、出塁率.450という成績で社会人野球表彰でベストナインと最多打点賞を獲得。
JR東日本との練習試合ではのちにオリックスにドラフト1位で指名される吉田一将と対戦しホームランを放っている。
2013年東アジア競技大会では5番を打ち、韓国との決勝では3安打を放つ活躍で日本代表の優勝に貢献、全8試合中7試合に出場し打率.429、6打点、出塁率.571という成績だった。
2013年のドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから5位指名され入団する。
プロでは2014年のキャンプで長打や柵越えの打球を連発し自慢のパワーを見せつけると、実戦となるオープン戦でもその打撃の勢いは衰えず、2本塁打を放つ等の活躍を見せ、最終的に打率.435で新人選手では初、球団としては1950年の戸倉勝城以来のオープン戦首位打者を獲得している。
そして開幕戦では当初の4番候補だった今江敏晃が故障で離脱していたこともあって新人ながら4番DHで初出場を果たす。しかしプロ初打席では摂津正のシンカーを引っかけてサードゴロに終わり、その後も緊張していたのか4打数無安打2三振に終わった。また次の開幕2戦目もバットから快音は聞こえず、3戦目には早くもスタメンを外れている。
しかし4月4日の日本ハム戦では7番DHで久々のスタメン出場を果たすと4回裏の第2打席で吉川光夫からプロ初安打&タイムリーとなる二塁打を放ち、この試合で5打数3安打と猛打賞も記録。その後はまた打撃不振に陥るが、4試合ぶりのスタメンとなった4月12日の楽天戦では第1打席に塩見貴洋からバックスクリーンに飛び込むプロ初本塁打を放った。
最大の特徴は体重115キロ(一部記事では114キロとも言われているがここでは115キロとする)という数字が表すその巨体であり、女子プロレスラーのアジャ・コングに似ているとされていることから愛称は「アジャ」が定着、ちなみに高校時代はボブ・サップと呼ばれていたらしい。(ちなみに2014年4月2日の始球式で井上はボブ・サップと対決している)
この体重115キロはプロ入り時のもので、ドラフト時には110キロと言われており、その時点でも以前「ブーちゃん」として話題を呼んだ中日の中田亮二の107キロを上回っている。
このためドラフト順位は5位と低めながら、プロ入り時から注目を集め、伊東勤監督も「あまり絞りすぎると魅力が無くなるよ」とコメントしている。
好きなものはお菓子、特にロッテの「パイの実」が好きらしく、新人選手による工場見学があると聞いた際には「パイの実は譲れない。製造ラインに入りたい!」、「ヤバイ!眠れない」と大興奮のご様子だった。
選手としては持ち前の巨体から繰り出されるパワーもさることながら、社会人から意識するようになったという右に打ち分ける技術も持ち合わせている。
守備では大学時代に三塁を守ったこともあったが打撃の調子を崩して断念しており基本的に一塁しか守れないが、ハンドリングがうまいと言われている。
走力は150メートルを30秒以内×5セットというノルマの強化走でいきなり3秒オーバーしていたことから過度な期待は禁物だが、2014年のキャンプの紅白戦では相手のまずい守備もあったとはいえランニングホームランを記録している。
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最終更新:2025/12/10(水) 16:00
最終更新:2025/12/10(水) 15:00
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