GP2とは、
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国際F3000選手権に代わるF1ドライバー育成の選手権として2005年に規定された。
2004年まで開催された国際F3000選手権では、F1に比べてエンジンパワーや空力特性に大きな差を生じるようになり、同選手権でチャンピオンを獲得しても、F1で大成できない事態になったためである。
そこでエンジンパワーをF1に近い600馬力のものを採用し、空力性能もF1に近いものを開発することで、よりF1に昇格してもなじめるような配慮がなされることとなった。
GP2シリーズはヨーロッパ各地を中心に開催され、一部のグランプリがF1のグランプリと日程が重なっており、直にF1関係者へアピールする絶好のチャンスとなっていた。
特に、2005年チャンピオンのニコ・ロズベルグが2016年にF1チャンピオン、2006年のチャンピオンであるルイス・ハミルトンが3度のF1チャンピオンとなり、そのほか、ティモ・グロック、ニコ・ヒュルケンベルグ、パストール・マルドナド、ジョリオン・パーマー、ストフェル・バンドーンといった歴代チャンピオンもF1で活躍した。
日本人ドライバーでも、中嶋一貴、小林可夢偉がGP2からF1へ昇格していた。
しかし2012年からはGP2チャンピオンからすぐにF1にステップアップできないという異常事態となった。
F1そのものの運営コストが高騰したことに加え、各チーム側でオファーするスポンサーに限界が生じていることもあり、チャンピオンという実力よりも、多くの個人スポンサーを持ち込むことが重要視されているためである。
そのために、チャンピオンほどの成績を出せなくても個人スポンサーの持ち込みでシートを獲得するドライバーが出ているのが現状である。
将来的に考えても、F1が真のモータースポーツ最高峰と呼べるかも疑問がもたれる。
2013年では、独自開催されるラウンドはなくなり、完全なF1のサポートレースとなった。
2017年からはレギュレーションを引き継ぐ形で、FIA F2選手権と名称を変えて開催された。
GP2アジアシリーズは2007年にアジア人ドライバーの育成のために設置され、各チームに最低でも一人アジア人ドライバーを起用することとなっていた。
レース開催は、GP2メインシリーズおよびF1の終了後となる11月から翌年4月までに行われる。一部はF1のサポートレースとなった。
マシンはGP2メインシリーズで使われていた型落ちの物(GP2は3年ごとにマシンの更新を行う)を使い(2010年まで)、エンジンもメインシリーズよりもパワーが落とされている。
アジアシリーズでは、2008-2009年シーズンで小林可夢偉が日本人、アジア圏唯一のチャンピオンを獲得している。
当初は東南アジア、中東のサーキットでレースが行われていたが、リーマンショックによる世界的な景気低迷によって2010年シーズンからは開催地が激減し、2011年にはバーレーンでの反政府デモの影響でアブダビのみ(1レースをイタリアのイモラで代替)の開催になってしまった。
そして2012年にはGP2シリーズに統合され、マレーシア、バーレーン(2戦開催)、 シンガポールの4戦が組み込まれた。翌年は完全にF1のサポートレースとなり、アジア開催はマレーシア、バーレーン、シンガポール、アブダビとなった。
GP2マシンはワンメイク規定が採られ、シャーシ設計、製造はダラーラでグラウンドエフェクトカーの構造を持ち、エンジンはルノー(実際の設計、製造はメカクローム)の4L V8自然吸気エンジンを採用し、最大600馬力を出力する。
シャーシは3年単位で新設計されて更新を行い、型落ちとなった物はGP2アジアシリーズに使用される。しかし、3代目となるGP2/11からは、アジアシリーズでも同時期に使われた。
2014年にはコスト削減のため、3年サイクルから6年サイクルに変更し、その代わりに2015年からはF1でも採用されているDRSを追加することとなった。
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最終更新:2024/05/06(月) 10:00
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