ピエール・ガスリー(Pierre Gasly, 1996- )とは、スクーデリア・アルファタウリに所属するフランス出身のF1ドライバーである。
1996年2月7日、フランスのルーアン出身。ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0、GP2シリーズチャンピオン
F1では速さもさることながら、タイヤマネジメントに定評がある。特に2018年度のハンガリーGPでは驚異のタイヤマネジメントを披露して見せた。ただ、GP2時代はタイヤにアグレッシブな走り方だったと語っている。
冷静かつ的確なコメントが多い一方、喜ぶときはチームラジオにノイズが入るほど叫ぶといった熱いところも見せる。2019年ブラジルGPで2位表彰台を獲得したときには叫び声による音割れで何を言っているのか全く分からなかった。音割れガスリー
圧倒的な資金力でシートを獲得するドライバーが多い中、ガスリーは実力と成績でスポンサーを獲得していき、F1のシートを勝ち取ることで、F1参戦に資金力が全てではないと証明したかったと語っている。
2013年、ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0で年間チャンピオンに輝く。
2014年、レッドブル・レーシングの育成プログラムであるレッドブル・ジュニアチームのメンバーに加わり、アーデンからフォーミュラ・ルノー3.5に参戦し総合2位という好成績を残す。また同年、シーズン途中のGP2にケータハムレーシングから参戦し、2015年にはDAMSで総合8位、2016年にはプレマ・レーシングでGP2シリーズチャンピオンを決めた。
2017年度にはレッドブル・レーシングのジュニアチームであるトロ・ロッソからのF1参戦も囁かれたが、ダニール・クビアトがトロ・ロッソと契約を延長したため参戦することが出来ず、結果日本のフォーミュラカーレースであるスーパーフォーミュラにTEAM 無限から参戦することとなった。初参戦ながら日本のコースに慣れた他のドライバーを圧倒するドライビングを披露し、遂にマレーシアGP、日本GPでトロ・ロッソからF1に参戦することが決定した。アメリカGPはスーパーフォーミュラ最終戦鈴鹿と被ってしまいどちらを選ぶか注目されたが、本人はスーパーフォーミュラを選択した。最終戦鈴鹿を残した時点でドライバーズランキングトップだった石浦宏明に0.5ポイント差まで迫った。ところが決勝は台風21号の影響で中止となってしまい、惜しくもランキング2位でシーズンを終えたが、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
2017年には思うような成績は上げられなかったが、5戦を完走した。
2018年よりフル参戦する。GP2王者とあってか周囲の期待はとても高く、またスーパーフォーミュラに参戦したこともあってかホンダとの関係性という面でも注目された。バーレーンGPで4位入賞とベストオブレストの成績を残したが、全体を通してみるとマシーン性能に難があったためか非常に苦しいシーズンとなった。テクニカルサーキットでは比較的好成績を残したものの、高速サーキットはスパ・フランコルシャンのベルギー9位が最高である。また後半はレッドブルが来季パワーユニットをルノーからホンダにスイッチすることを発表し、トロ・ロッソが実質テストマシーンとなってしまったためパワーユニット交換によるグリッド後方スタートが多くなり、そういった意味でも入賞が非常に難しくなった。しかしそのようなマシーンでもそれなりの才能を発揮した結果、2019年シーズンより本家レッドブルでの参戦が決定。ガスリーはあまりの嬉しさにプールに飛び込んだという。
2019年はレッドブルより参戦。親友フェルスタッペンがチームメイトとなった。しかしバルセロナテストで2度クラッシュを喫してしまい、フェルスタッペンが十分なマシーンでドライブできなくなったという失態を犯してしまう。また3強チームレッドブルにあって初戦オーストラリアGPで11位と幸先の悪いスターとなってしまった。(これに関してはチームの予選での戦略ミスの他様々な要因があり、ガスリー一人のミスとは言えないが)。天才フェルスタッペンにどこまで食らいつけるかがこのシーズンのカギを握ることになるだろうと思われた。
しかし、シーズン序盤から自身のドライビングと車体のセットアップが上手くいかず、3強どころかマクラーレンよりも下位に沈みかねない前半戦を送ってしまう。バルセロナテストでの傷を引き摺ってしまったか中々自信が取り戻せず、戦闘力が劣るマシーンのオーバーテイクすら出来ない所まで陥ってしまう。結果レッドブル本社はガスリーの契約を打ち切り、アレクサンダー・アルボンと交代と言う形でトロ・ロッソへ事実上降格されてしまう。
しかしトロ・ロッソに戻ったガスリーは慣れ親しんだチームであったからか徐々に復活する。そしてブラジルGPではホンダの高地に強いという特性を生かし3強のすぐ後ろを走行、ボッタスのPUトラブル、ルクレール、ベッテルの同士討ち、アルボン、ハミルトンの衝突によって2位を掠め取り、ファイナルラップは王者ハミルトンをホームストレートでサイドバイサイドになりつつも(DRSが開いたメルセデスエンジンを相手に)抑えきり、見事2位表彰台を獲得した。異なるチームとはなったものの、当初は同じチームメイトであったフェルスタッペン、ガスリーの1・2表彰台を達成した形となった。
2020年は親会社のレッドブル・グループ再編に伴い所属チームの名称がトロ・ロッソからアルファタウリに変更となった。コロナウイルス感染拡大に伴いシーズン開幕が大幅に遅れ、幾つかのレースが中止、延期になるなど波乱の開幕となったが、ガスリーは昨シーズン後半の勢いを保持したまま中段グループで安定した成績を残す。
そしてアルファタウリの母国グランプリとされるイタリアGPではルイス・ハミルトンのピットレーン違反、シャルル・ルクレールのクラッシュによる赤旗と波乱のレース展開となったが、その混乱に乗じてガスリーは首位に立った。レース後半はマクラーレンのカルロス・サインツとの激しいバトルを制し、見事優勝を勝ち取った。ホンダとしてはアルファタウリの前身であるトロ・ロッソとのコンビを組んで50戦目という節目であり、またフランス人ドライバーのF1優勝は1996年にモナコGPで勝利したリジェ・無限ホンダのオリビエ・パニス以来である。
モンツァの表彰台の中央に立ったガスリーは、シャンパンシャワーが終わった後も一人そこへ腰掛け、うつむきながらも時折空を見上げていた。傍らには昨シーズン、スパで事故死したアントワーヌ・ユベールがヘルメットにあしらえたマークと同じ星のトロフィーが置かれ、そのツーショットに「親友が傍らに寄り添っている」と捉えたファンも大勢居ただろう。
日本ではスーパーフォーミュラでの参戦や、トロ・ロッソでのホンダPU初年度のフルシーズンドライバーであること、前のホンダPU使用チームよりも建設的なコメントが多いこともあって、比較的ファンが多い。ペイドライバー(資金力でシートを獲得するドライバー)が多い中、実力でF1シートを勝ち取ったところも好かれる理由かもしれない。
・エステバン・オコンとは友人関係にあったが両者フランスGPで同じフランス人同士ぶつかりクラッシュしてしまう。またメキシコGPでもひと悶着あったため、現在の仲はそれほどでもないようである。しかしドライバーとしての実力は互いに認め合っており、オコンのシートが失われたときは遺憾の思いをあらわにしていた。
・カーナンバー10番はフォーミュラ・ルノー2.0で優勝したときの番号であり、尊敬するジネディーヌ・ジダンから来ていると話している。
・サッカーが非常に好きであり、2018年ワールドカップ優勝時には友人とともに大はしゃぎしていた。幼少期の頃はサッカーをしていたらしいが、前述のオコンに誘われてカートを始めたという。
・蛇が嫌い
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最終更新:2024/12/22(日) 01:00
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