クラウディウス / ティベリウス・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(紀元前10年~紀元54年)とは、第4代ローマ皇帝である。
概要
暴君として名高い甥のカリグラと、義理の息子のネロに挟まれた、一般的には地味な皇帝。とはいえ暗殺劇とともに即位し、息子ネロの即位をもくろむ小アグリッピナによる毒殺疑惑による幕切れ、という順風満帆とは程遠い人生を歩んだ人物である。
また建設者として名高い人物であり、皇室のスキャンダルを除いても、地味に重要な皇帝であった。
クラウディウスの即位劇
クラウディウスは大ドルススと、アントニウスの娘アントニアの間に生まれた。しかしこの毛並みのいい出自にも関わらず、彼はあちこちに障害を抱え、知能に問題はなかったようだが、世間からは遠ざけられていた。母親からの愛情からも程遠かったとされる。
しかし、紀元37年、甥のカリグラが彼を元老院議員兼執政官に任命したのである。クラウディウスは酒、博打、女に逃げ、歴史研究に没頭した、内向的な人物であった。
ところが、前皇帝カリグラの暗殺はローマを混乱に陥れた。元老院はこれを機に共和制の復興をもくろんだが、それを阻止しようとしたのは親衛隊である。彼らは宮殿内でカーテンの陰に隠れていたクラウディウスを発見すると、その日のうちにクラウディウスは即位させられたのである。しかしクラウディウスもなかなかしたたかで、親衛隊に賄賂を払う裏取引を行っていた。こうしてカリグラの死から1日も立たずに混乱は終息したのである。
クラウディウスの治世
クラウディウスは、まず暗殺の実行犯で首謀者のカエレア、カリグラの妻カエソニアと娘を殺したルプスを処刑した。またもう一人の首謀者サビヌスもすぐに自決し、こうしてカリグラ暗殺劇は幕を閉じたのであった。
そしてクラウディウスが行ったのは、カリグラ暗殺の反動を主とする政策である。彼はカリグラの政策をほとんど無効にした。クラウディウスは自分も暗殺されえるのではないかという疑心暗鬼から、徹底的に可能性を排除し、それでもなお数度暗殺の危機に襲われた。
その疑心暗鬼は残酷な報復にも表れ、妻のメッサリナやその取り巻きたちに命じられるまま、養父となる予定だったアッピウス・シラヌスらが処刑されていった。そうした恐怖政治から、紀元42年、ダマルティアの属州総督スクリボニアヌスが反乱したものの、あっけなく鎮圧されたようだ。
そんなクラウディウスの恐怖政治の象徴が、妻のメッサリナである。ところがメッサリナは失策を冒す。愛人のガイウス・シリウスと結婚式を挙げたのである。このクーデターまがいの事件にクラウディウスは恐怖し、官房長官ナルキッススの機転でメッサリナとガイウス・シリウスは直ちに処刑されたのであった。
もちろんクラウディウスの治世はそのような恐怖政治だけではなく、解放奴隷による中央集権化や、ブリタニア侵攻といった目立つ施策も行っていた
クラウディウスの死とネロの即位
メッサリナの死後、クラウディウスはカリグラの妹で姪の小アグリッピナと結婚した。しかし小アグリッピナはクラウディウスとメッサリナの子ブリタニクスではなく、自分の連れ子ルキウス・ドミティウス、つまりネロを皇位に付けようともくろんだのだ。
小アグリッピナは財務長官パラスの力を借りて、ルキウス・ドミティウスをクラウディウスの養子にさせ、親衛隊長をそれまでのゲタとクリスピヌスからブルスに代える。そしてクラウディウスの娘オクタウィアをネロに嫁がせ、後はクラウディウスの死を待つばかりとなったのだ。
クラウディウスはすでに病身であったが、小アグリッピナは策謀を巡らせた(らしい)。彼女は宮廷の毒殺の専門家ロクスタ、毒見役ハロトゥス、医師クセノフォンらの協力でクラウディウスを毒殺(したらしい)。
かくしてクラウディウスは亡くなり、ネロが即位するのである。
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