ショーン・オチンコとは、噂の元野球選手である。愛称はチンク(Chink)
概要
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ショーン・オチンコ(Sean Peter Ochinko)は1987年10月21日生まれの元野球選手。
2009年6月のMLBドラフトにおいて11巡目でトロント・ブルージェイズに指名され入団。傘下のオーバーン・ダブルデイズに所属していた(なお、守備・走塁面での評価が高くなかった事が指名11巡目という数字となってしまっている)。守備位置はキャッチャー・ファースト・DHを兼任しているが、初戦ではマスクを被り先発出場している。
マイナーリーグでも強打の捕手として有望株の選手であったはずだが、なぜか日本のテレビなどで紹介される事はほとんどない。にもかかわらず、日本ではなぜか女性ファンが増えているという。また、なぜかWikipediaではオチンコ選手の記事を削除するべきという意見が出たようだが、削除すべき理由が無い為存続という結果になっている。
※当記事掲示板ではあまりこの名前をいじらないようお願い致します。いじるなよ、絶対いじるなよ
成績
2009年
プロ1年目の2009年、他よりも負担の多いキャッチャーとなったオチンコ選手だが、その逆境を見事に跳ね返し、リーグ首位打者争いに参加する活躍を見せた。そう、オチンコ選手のバットが火を噴いたのである。
リーグ前半戦は36試合で打率306、4本塁打を記録しオチンコ選手はオールスターに選出される。これに発奮したのかは不明だが、リーグ後半戦はオチンコ選手のバットの振りが鋭さを増し、オチンコ選手は16試合で打率.359、2本塁打を記録。最終戦ではオチンコ選手は5打数2安打、シーズン打率をトータル188打数61安打の打率.324とし、オチンコ選手のプロ1年目を終えている。
なお、オチンコ選手のライバルであるマルティネス選手が最終戦3打数1安打、トータル187打数61安打の打率.326となり、マルティネス選手の打数が1打少なかった為に首位打者はマルティネス選手となった。
2010年
プロ2年目の2010年。3月19日にオープン戦に初出場したオチンコ選手は3打数2安打という結果を残している。
2010年シーズンのオチンコ選手は1Aのランシング・ラグナンツでプレイ。オチンコ選手はキャッチャーやファーストの他にもサードを守るなど守備で活躍、さらに2010年もオチンコ選手のバットが火を噴き8月15日にはサヨナラホームランも放っている。
オチンコ選手の打率は2009年よりは低いものの3割台をキープ。オチンコ選手のホームランの数はサヨナラホームランを含めて8本だった。
2011年
プロ3年目となった2011年。シーズンが始まって暫くは調子が上がらなかったが、6月以降はオチンコ選手のバットも輝きを取り戻し始め、結果的にホームランの自己ベスト(16本)を記録した。
なお、シーズン通しての打率は3年目にして初めて2割台となってしまっており、2012年のオチンコ選手のバットの完全復活が期待される。
2012年
プロ4年目は1A+からのスタートだったが、5月に2Aのチームに加入。2012年はオチンコ選手のバットも調子を崩し2010年の8本を上回ったもののホームランは9本に留まった。また、打率は2011年に続き2割台となった。
なお、2012年は捕手としての出場が多くなり、オチンコ選手がボールを受ける機会が増えた。
2013年
プロ5年目のキャンプはブルージェイズに招待選手として参加。オープン戦ではオチンコ選手の活躍もあってヤンキース相手に勝利したが、3月14日にマイナー行きとなり3Aのバッファローバイソンズでプレーしている。因みに監督は広島カープと楽天の元監督、マーティー・レオ・ブラウンだったりする。監督推薦でラロッカのようにシュールストロムがNPBにスカウトするのも時間の問題だろう。
4月15日には早くもオチンコ選手のバットが火を噴き、今シーズン初本塁打を豪快にスタンドへブチ込んだ。
その後、6月にはブルージェイズでチームメイトやファンから絶大なマスコット人気を得ていた川崎宗則と2日間だけ同僚となっており、わずか2試合ではあるが遂に日本人選手との初の共闘を果たした。ただ2試合中、2人が同時に先発スタメンになる事はなかった。
2014年
2Aにて調整を行った後に3Aに昇格。復帰初戦でオチンコ選手のバットが火を噴き、ホームランを放つ。
しかし、その後はオチンコ選手のバットが元気を失い2Aに降格。その後もオチンコ選手のバットはなかなか元気を取り戻せなかったが、2A最終戦にてオチンコ選手のバットが元気を取り戻し、ホームランを含む2安打を放った。
結果、打率を何とか2割台に乗せてシーズンを終了した。
2015年
春季キャンプに招待選手として参加していたが、22日にマイナー行きを通告された。オープン戦ではオチンコ選手のバットも元気なく9試合に出場し9打数1安打、打率.111だった。
なお、オチンコ選手の2015年の成績は打率.253で出塁率は.288。2本塁打25打点で三振率は9%と、オチンコ選手のバットはそこそこ元気だったが、2015年11月に自由契約となった。
2016年以降
前年に自由契約となって以来、シーズン終盤の9月に至るまでフリーエージェントであり、オチンコ選手のバットも火を噴く事はなかった。
後に、オチンコ氏が2015年限りで引退していたことが分かった。
現在は母校ルイジアナ州大学のコーチ(2018年以降はボランティアという情報も)をしている。ルイジアナ州大学硬式野球部は過去に何度もカレッジワールドシリーズ(全米大学野球選手権)を制した実績があり、多数のプロ野球選手を輩出していることでも知られている(広島、阪神で活躍したアンディ・シーツも同校のOBである)。オチンコ氏は主に打撃を指導しているとのことで、今後、後輩の学生達をどこまでムクムクと大きく立派に育て上げられるかに注目が集まっている。
関連動画
参考スレ
関連項目
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