「伊集院忠朗」(いじゅういん・ただあき 1501 ~ ?)とは、島津氏の庶流である薩摩国日置郡伊集院の豪族。
概要
薩摩島津家の二代目当主島津忠時の七男・島津忠経の四男・島津俊忠を祖とする一族の伊集院忠公の子に生まれる。
島津宗家の養子となって薩摩統一を目指す島津貴久と、その後見人をつとめる貴久の父・島津忠良に仕えた伊集院忠朗は、仇敵・島津実久が攻撃してきた際に、島津忠良の陣に加わって参謀を務め、
- 薩摩谷山苫辛城の平田宗秀を攻略
- 島津忠広、本田薫親、北郷忠相らの攻撃をうけた樺山幸久と共に大隈咲隅城を守備して軍功をあげる
- 廻城を破り、本田薫親の咲隅攻めの軍を退ける
- 日当山城、姫木城と本田薫親の城を攻略
- 北郷忠親と共に伊東家を攻撃
- 加治木城の肝付兼演を攻略
- 蒲生家配下の大隈岩剣城攻略戦に参加
と言う活躍を見せて咲隈城主となって本田薫親の旧領に入り、大隅攻略を担当する筆頭家老となった。
戦いの中で、後に島津家の必殺技にまで昇華することになる戦法「釣り野伏」を島津忠良と共に考案したと言われる他、島津四兄弟の島津義久・島津義弘・島津歳久の初陣となった岩剣城攻めでは、日本の歴史上初と言われる鉄砲の実戦投入を進言したとも言われている。
また、宴会を開いた際に、大隅の英雄・肝付兼続の名代として来訪した薬丸兼将に対して、
宴の羮(あつもの)は鶴であるか
と、肝付氏の家紋の鶴の吸い物をすすめて薬丸兼将を挑発し、伝え聞いた肝付兼続が島津家との敵対する道を選んだ事を口実にして大隅攻めを開始したと言う逸話もあるが、当時の状況からしてこんなことをしなくてもすでに島津家と肝付家は争っていたので、後世の創作と言われている。
※その他「伊集院忠朗」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
戦国大戦
「敵を飲み込んでしまえー!」
戦国大戦では筆頭家老の二つ名を子と共に獲得している。采配持ちで武力7、統率5、更に防柵と島津鉄砲隊標準装備の車撃。島津はどいつもこいつもオーバースペック気味である。
計略の「薩摩隼人の采配」は、島津家の武力が上がり兵力が徐々に回復する采配。もしそれが弾数が0の鉄砲隊の場合は効果が更に上がり、同家の島津義弘がその恩恵を受けた時には高武力気合持ちとなり異様なしぶとさとなる。
弾数0になったら即高い効果になるため、弾数1にしておいて采配→撃つ→武力上がった状態で1発撃てるとなり、士気対効果が恐ろしいことになっていた。
流石にVer1.20cでは全面的に下方修正を受けた。川上久朗と並び島津の2トップと言っていい程の使用率にまで上り詰めた結果となったため仕方あるまい。
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▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング九州編では、総合ベスト7位にランクイン。
※島津忠良・島津義弘・島津家久・鍋島直茂・立花道雪・立花宗茂・高橋紹運はチート枠。
補足
「信長の野望」(PC)シリーズにおける伊集院忠朗の能力一覧。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 71 | 政治 | 74 | 魅力 | 71 | 野望 | 70 | 教養 | 72 | ||||
覇王伝 | 采配 | 71 | 戦闘 | 67 | 智謀 | 72 | 政治 | 74 | 野望 | 65 | ||||
天翔記 | 戦才 | 144(B) | 智才 | 146(A) | 政才 | 148(B) | 魅力 | 66 | 野望 | 61 | ||||
将星録 | 戦闘 | 68 | 智謀 | 80 | 政治 | 79 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 69 | 戦闘 | 55 | 智謀 | 80 | 政治 | 74 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 69 | 智謀 | 84 | 政治 | 76 | 野望 | 78 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 65 | 知略 | 76 | 政治 | 69 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 64 | 知略 | 76 | 政治 | 68 | 教養 | 67 | ||||||
革新 | 統率 | 72 | 武勇 | 67 | 知略 | 85 | 政治 | 76 | ||||||
天道 | 統率 | 72 | 武勇 | 65 | 知略 | 85 | 政治 | 80 | ||||||
創造 | 統率 | 69 | 武勇 | 63 | 知略 | 84 | 政治 | 77 |
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