メアジードーツ 単語

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メアジードーツ

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メアジードーツ(Mairzy Doates)とは、日本で結構誤解されているフシが多い1976年生のアメリカの元競走馬繁殖牝馬である。人によってはと誤解していることもある。 

名はノベルティソング(コミックソングの一種)の曲名から(関連商品参照)。

ジャパンカップにいたるまで

Hyperionの傍流にして豪州で一大センセーションを巻き起こした大種牡馬Star Kingdomの血を引くNodouble、の孫にAllegedがいるAvalanche LilyワシントンDC国際を勝ち種牡馬としてもリーディングサイアーを獲得したT.V. Larkという血統。
血統は抜群に良いわけでもないが、なんか言うほどダメな血統ではない。

ちなみに競走成績はと言えば、2歳の時にデビューするが見事に負け、その後3歳2月に初勝利を挙げると勝ったり負けたりを繰り返したものの、GIアラバマステークスでは前年最優秀2歳It's in the Airトリプルティアラ達成Davona Daleに次ぐ3着に走した。……5頭立てだが
結局ダートではこれが一番いい成績であり、芝転向となった。ちなみに3歳時は13戦して4勝。一般競走のみだがそれなりには勝っている。 

4歳になって芝で小開Relaxing(Easy Goer)とかWishing Well(*サンデーサイレンス)とかに何度か負けた後、ついに11ハロン(2200mくらい)のGⅢヤーバブエナハンデ重賞勝利を飾る。この年7戦3勝。
5歳になると全に開し、先にGI100万ドルことThe Very Oneの2着に食い込むとヤーバブエナハンデ連覇を含む重賞3連勝を飾る。強い。
しかしその後実績を積んだのが逆に災いしハンデが重くなり、伸び悩む。そしてそんな中、日本から招待状が営に届いた。
そう、際招待競走・ジャパンカップの第1回に招待されたのである。 

1981年・第1回ジャパンカップ

日本世界レベルにするためには、世界を知らねばならない!」というお題の元に作られたジャパンカップであったが、この第1回はいきなり本気を疑わざるを得ないことに、欧州にはハナから誘いすらかけていなかった。
まあ、シーズンオフなのは間違いないし、2020年代になっても香港含む11月以降の競走はBCを除きカルティエ賞に何のももたらさないというあたりの事情もあるので、誘ってもナシのつぶてだっただろうとは思うが。

というわけで、を中心に必死に招致運動を繰り広げた。ながら1980年ケンタッキーダービーを制し、残る二冠も2着2回と大いに実を見せたGenuine Risk、さらに1981年二冠馬Pleasant Colony、芝ダート兼用の最強騸馬でこの年に収得賞金世界記録更新10戦8勝GI6勝を挙げたJohn Henry、前述の100万ドルThe Very Oneらが予備登録していたが、Genuine Riskは怪9月引退、Pleasant Colony来るわけもなし、John Henry戦の疲れもあり本登録せず回避。しかしジャパンカップから2週間後のハリウッドターフカップSには出走してるので、彼も元から来るつもりがなかったかも
その結果、The Very Oneくらいしか玉となり得るがいなくなってしまったのだ。日本競馬ファンは落胆を隠さなかった。
結局アメリカ代表3頭(うち2頭)、カナダ3頭(当時からアメリカより格落ち扱い)、インド1頭(誰だオウンオピニオン)、トルコ1頭(直前に故障し回避、日本観光しただけ)という、なんかさもしい扱いされるメンツになったのである。
そりゃホウヨウボーイモンテプリンスが大いに期待されたわけである。うん、期待するよね……。
そんな中、メアジードーツは営がを撒け! を!」 と回避すらちらつかせて迫るという絶好調ぶりであったが、毛ボーボーでみすぼらしく見えたせいか体調不良説すら言われ5番人気にとどまった。なんか言われるほどしょぼい扱いはされてない。
レースサクラシンゲキ特攻ハイペースとなり、ホウヨウボーイモンテプリンス戸惑う中、2番手から楽に抜けたカナダFrost Kingを外からかわして突き抜け、メアジードーツが優勝。第1回ジャパンカップ優勝いた。
ついでに、当時の府中2400のレコードを1、及び2400の日本レコードも0.5更新した。 

この結果をの当たりにした日本競馬界は絶望ズンドコに落ち、

毛ボーボーの二流に負ける天皇賞とは一体」

「あんなタイムで走るのかよ、二流も……」

「これは10年以上ジャパンカップじゃ勝てねーわ……もう理だ……おしまいだぁ……」

などという言説が流布された。だが待って欲しい。果たしてこの結果は額面通り受け取ってよいものか。
タイムについて言えば、スプリンターであるサクラシンゲキバカ逃げしたが非常に大きいし、彼女ハイペース上等のダート路線でもGIで3着があるようにハイペースには慣れていた。少なくともゆったりステイヤーのホウヨウボーイモンテプリンスよりは適性は高かったであろう。
それに、毛ボーボーだからといって絶対に手入れ不足とか不調とは言い切れない。実際彼女は絶好調であった。
さらに言えば、元から条件さえ整えばThe Very One(ジャパンカップでは1番人気だった)に薄するだけのポテンシャルはあったのである。斤量背負ったら重賞でも負けてたけどそれはそれ。 
おまけ営がJRAを脅してを撒かせ、メアジードーツの得意なほんのり柔らかい馬場になっていたということもあった。ついでに日本の総大将ホウヨウボーイがすっごい苦手であった。The Very Oneやメアジードーツが前にいて怯んだのでは……。
ともかく、冷静に考えたら条件のった一世一代の大走と思えたであろう結果といえるにも関わらず、二流にぐうの音も出ない負け方をしたという側面ばかりが強調され、日本彼女もやや不当に貶められたり持ち上げられたりしたのは否めない。そもそもメンツが薄いとはいえ5番人気に推されていたんだが。
しかし、2年もしない内にキョウエイプロミスが競争生命と引換にした走で2着に飛び込んで日本に自信を回復させ、その勢いのままカツラギエースをぶち破った。 タブーとは人が作るものにすぎないのである。シービーJC散々だったが。

その後

話をメアジードーツに戻すが、ジャパンカップ勝利を勲章に引退繁殖牝馬となった。で走ってただけでは付けられないような種牡馬……は言いすぎにしても上級の種牡馬があてがわれたがイマイチ結果は出せなかった。
の*メアジーダンサー(Lyphard)と第2*ハイブリッジスルー(Seattle Slew)は日本に輸入され種牡馬となったが、後者羽田盃を勝ったスペクタクルや2003年南部杯東京大賞典で2着に入ったコアレスハンターなど地方重賞をいくらか出したくらいで、両とも中央では鳴かず飛ばずであった。
1戦0勝と不出走という、言い方は悪いがの才欠片もないがありがたがられたあたり、メアジードーツが与えたインパクトは本当に大きかったと実感させられる出来事であった。 

ただし、4番のHanging Valleyがチリ重賞を輩出、孫世代からはGIも出るなど牝系を広げている
そして彼女の孫(メアジードーツから見ると曾孫)にあたり、チリ1000ギニーなどGIを2勝した*ディヴィナプレシオーサが日本で繁殖入りし、ついにメアジードーツの子孫が日本に再上陸した。産駒オープンまではいかないものの順調に勝ち上がっており、近い将来メアジードーツの血を持つが再びジャパンカップで躍動する姿が見られるのかもしれない。

血統表

Nodouble
1965 栗毛
Noholme
1956 栗毛
Star Kingdom Stardust
Impromptu
Oceana Colombo
Orama
Abla-Jay
1955 鹿毛
Double Jay Balladier
Broomshot
Ablamucha Don Bingo
Sweet Betty
Avalanche Lily
1965 鹿毛
FNo.2-s
T.V. Lark
1957 鹿毛
Indian Hemp Nasrullah
Sebzy
Miss Larksfly Heelfly
Larksnest
Tumbling
1953 鹿毛
War Admiral Man o'War
Brushup
Up the Hill Jacopo
Gentle Tryst
競走馬の4代血統表

クロスStardust 4×5(9.38%)

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